“平壤に訊いて見たのが何が問題か”


柳根一
(2017.4.24)

 

 「共に民主党の文在寅大統領候補のTV討論団長を務める陳聲準前民主党議員が宋旻淳元外交部長官の回顧録論議と関連し“百歩譲ってわが政府が北韓人権決議案に対する立場を北韓当局に訊いて見たとしてもそれが何が問題か”と反論した。(朝鮮ドットコム4月22日)」


 明確な答弁だった。非常に正直な答弁だった。まさにあれだ。あれが筆者が聞きたかった答弁だった。自由民主右派の国民/市民/個人が相手している側の一部の典型的心性はまさにあれだ。国連の北韓人権決議案に対して大韓民国政府がどういう立場を取るべきかについて、“それを平壤に先に訊いてから決めようというのが何が問題なのか”と考える心情 - それがまさに自由民主右派の国民/市民/個人の最もきついカウンターパートの部類だ。われわれはそういう部類と戦っている。


 では、朴槿恵大統領が崔順実に事前に訊いて見たのはそれに比べれば大したことではないね?崔順実は北韓のような反大韓民国の人ではないではないか。ところが、いくら反大韓民国でなくても、大統領府がある重要な決定を下すとき、外部の非公式の実力者に事前に訊いて見ることなどは許せないと言い、去る6ヶ月間、あの大騒ぎがあった。それで、朴槿恵大統領は罷免されて拘置所に拘束された。これが当然なら、崔順実よりも数万倍ももっと警戒すべき平壤の金正日集団に事前にこっそり訊いて見てから決定したのは大騒ぎすべきことではないか。

 

 “北に訊いて見たのが何が問題か(A)”って?では、同じ論理から“崔順実に訊いて見たのが何が問題か(B)”と訊くのは話になれないのか。(A)が問題ないなら、(B)も問題ないと言ってこそつじつまが合い、(B)が問題なら(A)も問題と言ってこそつじつまが合う。一言で、自分がやればロマンスで、お前がやればスキャンダルということだ。

 

 仕方ない。このまま辛抱し戦い続けることだ。行くところまで行くことだ。そのためには忍耐と執拗さと断固さと持久力、そして癪に障らない習性を学ばねばならない。いくら話にならないことを聞かれても、それに踊られない耐性を育てなければならない。そうしてこそ、心臓病・気病み・高血圧などにかからず、長く持ち堪えながら相手以上の執拗さで相手に勝たなければならない。自由民主の右派ももうそのような戦いに慣れなければならない。


柳根一の耽美主義クラブ

http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2017.04.22 15:38

更新日:2022年6月24日