‘メディアの乱’、韓国の言論を弾劾する!


 崔順実魔女狩り、朴槿恵人民裁判、ロウソク偶像化、拙速弾劾に発展したメディアの乱。ジャーナリズムの倫理を放棄して扇動機関に転落、共同体の安全を脅かす記者たちをどうすべきか


趙甲濟

(2016.12.21)


1.崔順実事件がJTBCのスクープによって拡大し始めた1カ月半で国会が朴槿惠大統領の弾劾訴追を可決して憲法裁判所に送付して大統領の職務が停止された。あまりにも速い事態の展開だ。当事者である朴大統領はおい、おいと言う内にやられた気がするはずだ。5年制の単任大統領中心制の根幹を揺るがす弾劾訴追を断行したためことの順序が滅茶苦茶になってしまった。


2.検察は大統領を尋問もしない状態で、被疑者だの共犯だのと発表した。崔順実氏に対する刑事裁判、特検、国政調査と憲法裁判所の裁判が同時に進行する。憲法裁の決定が先に出たら、後に刑事裁判の結果と違い得る。大統領罷免の可否を決定する裁判で、このような不一致は憲政の深刻な危機を提起する。来年の大統領選挙がいつ行われるのかも不明であるため政党も混沌に陥った。

 

3.国会がマスコミの嵐のような報道やロウソク示威に背中を押されて急いで弾劾を可決したのがこのような副作用を生んだ。ここに文在寅氏は連日、内乱扇動的な発言を続けて混乱を加重させる。国会の弾劾訴追案は、検察の控訴状とメディアの報道をそのまま書いたものだ。国会の独自調査はない。憲法裁判所は多くの証人を呼び、数々の証拠調査をするなど時間がかかる。2004年、盧武鉉大統領弾劾裁判のときは訴追された事実に対する争いはなく法理を適用するだけだった。それでも2ヶ月かかった。


4.政治と裁判日程を滅茶苦茶にしたのは、大統領に対する人民裁判式の報道がもたらした拙速弾劾訴追だ。一連の事態を‘メディアの乱’と呼ぶ人々の中にはジャーナリスト出身が多い。崔順実魔女狩り、大統領人民裁判、ロウソクの偶像化を主導したのは‘朝(朝鮮)・中(中央)・東(東亜日報)’と呼ばれる主流メディアだった。新聞や総編TVを立体的に動員した暴露性集中報道は、感情的でかつ敵対的で主観的だった。ジャーナリズムの原則を放棄した扇動一辺倒だった。誤報や歪曲と確認されても訂正しなかった。韓国言論史において大きな汚点となった。


5.朴槿恵大統領が崔順実を‘崔先生’と呼んだ、崔順実の息子が青瓦台に勤めている、セウォル号沈没の日に朴大統領は青瓦台で崔太敏のためのグッド(*厄介払いの法事)をやった、崔順実を中心とした‘8仙女’のグループがある、崔順実が大統領専用機に同乗して外国に行った、高・ヨンテがホストバーで崔順実に会った、車・ウンテクが深夜に青瓦台に入って大統領と会った等々の報道は虚偽と判明されたが訂正されなかったためほぼ全韓国人がこの瞬間にも事実として信じている。


6.‘朝・中・東’が先導した大統領乱打に左右が合作して‘反朴の統一戦線’が形成されたため怒った市民たちが光化門に繰り出した。メディアはロウソク示威を積極的に応援した。示威群衆の数を主催側の主張通り表記、実際より5〜10倍も誇張した。批判的見解は‘ロウソク卑下発言’と規定されて袋叩きにされた。朴槿恵大統領は抵抗不能の状態になった。青瓦台秘書室はいち早く無力化され、セヌリ党(特に親朴勢力)が恐怖に震えながら屈服する間に朴大統領に対する誹謗はいくらやって大丈夫という認識が広く拡散し、ついに袋叩きにされてしまった。韓国のほぼすべてのメディアが終日朴大統領を裸にして滅多切りにするから朴大統領に対する評価が5%台に落ちた。このような雰囲気の中で、検察は安心して大統領を攻撃できた。


7.朝・中・東の競争報道によって崔順実の不正を暴いた初期の功労は認めねばならない。朴大統領がずっと秘線の実体について国民に嘘をついたことが暴露され、その根が40年前に遡って崔太敏という問題児につながるという点で、通俗的な週刊誌にふさわしい興味誘発要素はあふれた。メディアの報道を検察が捜査を通じて確認し、ロウソク示威が激化する中、これを受けて国会が弾劾手続きを取ったため一瀉千里に進んだのだ。


8.メディアは、朴大統領とセヌリ党が反撃の意志を失うや無理をし始めた。客観さと公正さと公益性を核心とするジャーナリズムの倫理を無視した。後に誤報になる疑惑がトップ記事になり、反論は黙殺され、大統領のヘアケアの時間や服用した薬に対して何日間も扇情的放送を続け、誤報であることが明らかになってもほとんど訂正しなかった。


9.メディアは朴槿恵大統領に不利な情報は大きく報道し、ロウソク示威隊に不利な情報は意図的に縮小するか隠蔽した。ロウソク示威を主導した団体が左派性向で、2008年の狂牛病暴動主導団体と多く重なるという事実、示威の主題歌として歌われた歌『これが国か』が金日成賛歌を作った者の作品である事実を報道しなかった。ロウソクの偶像化に朝・中・東が加わったのは喜劇だ。


10.趙甲済ドットコムはこのような政治的激変期にいつも事実を重視する編集姿勢を堅持した。事実関係さえを明白になれば、判断や対策は自ずとできるという信念がある。崔順実事態を報道するに当たって自然とメディアに対する批判が主になったのは、メディアの役割と逸脱がそれほど大きかったためだ。趙甲済ドットコムに寄稿した方々の鋭い分析がわれわれを助けた。


 フリーランスの李江湖氏は“21世紀韓国の両班-常民の時代、‘新士農工商の時代’が開かれた”で記者、検事、政治家が主導した弾劾事態の歴史的背景に触れた。


 “朝鮮時代に反正で王を追い出した後、権威の座を占めたのは百姓ではなく士林だった。21世紀の韓国もそうなった。‘堕落した記者ら’、‘386赤の士林’たちが国を牛耳っている、‘21世紀韓国の両班-常民の時代’、‘新士農工商の時代’が開かれた。”


 彼は、国政調査の聴聞会で世界的大企業の経営者たちが教養のない議員から受けた侮辱に興奮した。


 “企業という工商人たちはもう結社の自由もなく、21世紀の士林たちが彼らの所に呼び出せば、頭を下げて訓戒を聞かねばならない時代になった。ゴミのような記者たちが新聞という21世紀の上疏状に勝手に走り書きさえすれば、‘お前、自分の罪が分かるだろう’と言える時代になった。


 広場に陶酔された者ら“国民の勝利”と歓呼するが、実際、国民は敗北し、勝利したのは新しい士林の両班の輩だ。国民は法治国家の国民らしい良識を失い、民心というくびきで縛られる民(百姓)になっただけだ。勝利を掴んだ新しい士林の輩は、これからも民心を云々し続けるだろうが、以前にも士林の両班たちが‘百姓の心’を本当に尊重したことはなかった。彼らには百姓とは牧民の対象であるだけで、従って百姓は精々家畜で、でなければ犬や豚に過ぎなかった。”


11.朝鮮王朝以後、今日まで、メディアの道徳的名分論は常に政治を動かした。朝鮮時代には三司(司憲府、司諫院、弘文館)と吏曹銓郞と士林が言論と世論を主導し政治を導いた。朝鮮王朝の政治構造と言論の生理は今日の韓国と似ている。


 宣祖以降の支配官僚層を輩出した朱子学信奉の士林は、朝鮮朝開國に反対した儒学者の弟子たちだった。生来的に反体制的かつ大義名分論が強く抵抗的だった。朝鮮王朝で生きながら朝鮮朝開國の正当さを認めなかったのと大韓民国で生きながら建國の正統性を否定する心理は似ている。これは、自傷的で僞善的な道徳主義につながるしかない。朝鮮王朝のエリートたちは性理學(朱子學)を教条的に信奉した。韓国の政治家と言論人は民主主義を教条化する。朝鮮王朝の党争の主な武器は朱子学的名分論で、三司と吏曹銓郞が作った言論と弾劾だった。韓国知識人の様態は教条化した民族主義と民主主義を武器化して主に国家、軍隊、企業、米国、法治を攻撃し良心家然することだ。言論は実用精神、尚武精神、自主精神とは対立した。


12.21世紀の韓国メディアの作動メカニズムも朝鮮王朝と似ている。朝鮮時代の司諫院の役割をメディアが担当し司憲府の役割は検察と法院が、弘文館は大学生、士林は在野の左翼運動圏に比肩される。今回の事態で如実に証明されたように彼らが核心勢力だ。自由民主主義と市場経済体制の中のメディアだが、価値観と行動は朝鮮王朝的(守舊的)だ。朝鮮王朝的な伝統、つまり名分論、偽善、反体制性、軍事-経済-科学に対する無知、事大性、教条性は前近代的であるため、自然に守旧的な左傾理念と通じる。類は友を呼ぶ、だ。北韓政権は朝鮮王朝の後続だ。左傾的朝鮮王朝は600年に至り、大韓民国の建国以降、初めて自由と競争など右派的価値観が力を得るようになった。それでも右派70年、左派600年であるわけだ。右派の根は弱く左派の根は深く広い。


13.朝鮮王朝と韓国の知識人たちの精神世界を支配する考えの中で最も重要な欠陥は、自主国防意志の欠如だ。


 “駐韓米軍がいる限り、デモはなくならない”


 朴正煕大統領が1970年代に独白のように言った話だ。光化門へ示威に出かける人々の中に‘われわれがこう行動することが安保にどのような影響を与えるか’と考える人が10人くらいいるだろうか。北韓の核問題が崔順実事件よりもっと重大な事案であるという事実に同意する人は?自主国防を放棄した人々がやれない真似はない。自分と共同体の生命と財産と自由を護ることに関心がないと、必然的に些細なことに命をかける、稚拙な権力闘争に没頭する。自主国防の意志は彼我の区分から始まる。敵と味方を分けることだ。黄長燁先生は“理念とは共同体の利害関係に対する自覚だ”と言った。自主国防を放棄した事大主義者たちは、内部の敵に対する警戒心や憤怒、そして敵対感が弱いしかない。このような考えが一般化すれば、自由を破壊する自由を許容する。


14.李・ヒドという趙甲済ドットコムの会員が書いた文を紹介する。


 “なぜ大韓民国の保守はすべてを失ったのか。なぜ大韓民国の保守は世界史に類例のない金字塔を築いたのにすべてを失ったのかをつくづくと考えてみます。私は大韓民国の保守が公正・公平という陥穽と安っぽい寛容の陥穽にはまった結果だと思います。われわれ保守は公正・公平という定規を非常に観念的な次元で適用して極左までを許容する愚を犯したのです。法曹界を見ましょう。特に、法院は当然、右派の理念が支配せねばなりません。したがって、法官を採用するとき、当然極左性向の人物は排除すべきでした。司法試験に合格してもインタビューでチェックすべきでした。しかし、その無分別な公正・公平のため赤い思想の所有者も試験に合格すれば任用されて今日、大韓民国の安危がかかった事件でも、法院の正当な判決を期待し難くなりました。李文烈氏がやられたとき一緒に戦って護ってあげるべきだったのに、袋叩きになるよう放置したから、誰があえて右派を自任するでしょうか。今も同様に金鎮台議員が袋叩きにされれば庇ってあげねばならないのに、護れる手段すらありません。何があってこそ護れるのではありませんか。老衰した右派陣営があちこち出動もできず、すべてが保守が無分別な寛容をした結果です。今からでも保守右派は護り戦わねばなりません。”


15.文明国家では類例のない‘メディアの乱’は文字の乱でもある。2016年、メディアに溢れる文章の特徴は不正確、感情的、曖昧模糊、観念的だ。国語に対する反乱だ。韓国語が事実の破壊、常識の破壊に使用されたのだ。一世代にわたるハングル專用が、韓国語を暗号にし、ついに記者たちの思考を低級化させ浅薄な記事文を量産しており、このような文が世の中を揺るがす。自主国防意志を放棄した事大主義的な奴隷根性とハングル專用による言語能力の退化が結合されたのが‘メディア(言論)の乱’、その背後のはずだ。


www.chogabje.com 2016-12-19 01:34

更新日:2022年6月24日