21世紀の韓国に‘両班-常民の時代’が再来

 

‘新士農工商の時代’が開かれた。

李江湖

(2016.12.12)


 訊ねてみよう!仮に、崔順実でなく、その配役にSKY(*ソウル大、高麗大、延世大)やアイビーリーグの学閥を持った‘高級な’人士が登場したらこれほどの激しい騒動が起きただろうか。何れにせよ、騒動は起こり、そして大統領は弾劾された。気持ち悪いという感情が理性的良識を押さえ無理強い法に法治が降伏した。広場や紅衛兵式の大衆の時代が開かれた。


 ところが、開かれたのはそれだけでない。朝鮮時代に反正で王を追い出した後、権威の座を占めたのは民(百姓)ではなく士林だった。 21世紀の韓国もそうなった。‘屑のようなメディア連中’、‘386左翼士林’が国を牛耳っている‘21世紀の韓国の両班-常民の時代’、‘新士農工商の時代’が開かれた。


 企業という工商人たちはもう結社の自由もなく、21世紀の士林の腕章たちが呼び出せば頭を下げて訓戒を聞かなければならない時代になった。屑の記者たちが新聞という21世紀版の上疏状に勝手に走り書けばそのまま‘お前、自らの罪を認めろ’と責められる時代になった。

 広場に陶酔された者たちは‘国民の勝利’と歓呼するが、実際は国民は敗北し勝利したのは新たな士林の両班連中だ。国民は法治国家の国民としての良識を失い、民心というくびきに縛られる百姓となっただけだ。


 勝利をつかんだ新しい士林の輩は今後も民心を持ち出し続けるだろうが、昔も士林の両班たちが‘百姓の心’を本当に尊重したことはなかった。彼らには百姓とは牧民の対象であっただけで、従って百姓は精々家畜で犬や豚に過ぎなかった。今の新しい士林の輩はどうだろうか。彼らにとって百姓とは機会さえあれば広場に呼び出して‘吠えさせる’そういう存在ではないか。そうでないと言えるのか。


www.chogabje.com 2016-12-10 11:08

更新日:2022年6月24日