崖っぷちに立った自由民主主義陣営


柳根一

(2016.11.4)


 自由民主主義陣営が崖っぷちに立った。もちろん、自由民主主義陣営は朴槿恵大統領やセヌリ党が指導し指揮してきた陣営ではない。朴槿恵大統領が有故になったり、セヌリ党が滅びても自由民主主義陣営は存在する。しかし、朴槿恵大統領が権威を失い、セヌリ党が無力化されながら自由民主主義陣営全体が一緒に揺らいだ。嵐が吹きつける真っ暗な夜の海で船長も船員も、羅針盤もなく揺れている一葉舟- これが今の韓国の自由民主主義陣営の姿だ。


 一つの陣営は、リーダー、幹部陣、戰士団、政治パート、文化パート、オピニオン集団、大衆組織などで構成される。今、自由民主主義陣営の場合は、このうち前部のほとんどが吹っ飛んだのだ。問題は、この吹っ飛んだ部分を直ちに代替する人的資産が見えないということだ。‘潜龍’(大統領候補郡)5人が会合したというが注目も引かない。つまらないことこの上ない。彼ら潜龍?誰が潜龍と認めたか。彼らの中で誰が大衆的信望を受けるリーダーの器と言われているか。1人もいない。‘自称リーダー’たちだ。カメラの前で演技者のような微笑みや、オレンジ左派の真似をして、目立つようにはしゃぎ、頭の中は空っぽで、大衆的親和力のないため乖離している式だ。


 ‘親朴’はすでに‘遠朴’と言われている。朴槿恵大統領の人気が落ちるや大統領から遠く離れようとする者が現れるということだ。‘非朴’はこの状況でも実利をとる工夫ばかりだ。状況を楽しんでいるわけだ。両方ともさもしいちゃっかり族だ。このような連中を自由民主主義陣営の政治的代表集団のように選出し期待してきた自由民主主義陣営有権者たちだけが気の毒だ。本当に運も福もない自由民主主義の有権者たちだ。


 こういうセヌリ党の連中だからある日、雷に打たれたらやることが野党の‘挙国内閣’の要求に“はい、そうしてください”と白旗をあげたのだ。そうしたら野党は“錯覚するな、本当だと思ったの?”と揶揄った。揶揄われて当然だ。

 挙国内閣とはいったい何をどうするものか。連立内閣の似たようなもののようだが、では、それが何とかして辛うじて発足したとしよう。その内閣は与党のTHAAD配備賛成なのか、それとも野党のTHAAD配備反対になるのか。答えて見ろ。与党か野党が考えを変えねばならないのに、そうなれると思うのか。与党が考えを変えれば、韓米のTHAAD配備合意は紙切れになるのか。


 セヌリ党はまた、挙国内閣の総理として野党の孫鶴圭、金鍾仁、金秉準を取り上げた。では、自分たちには総理候補が一人もいないことを認めた格好だ。これが一国の与党というものだ。本当にそうであるなら、最初から白旗をあげて政界から引退したほうがむしろ素直ではないか。


 セヌリ党はむしろ自爆しゼロベースから新党を作ったらどうか。セヌリ党の連中に果たしてそういう悲壮な覚悟があるか確信がないためただ行って見ただけだ。ところで、新党を作るなら、本物の自由-保守路線の人々と、利益があれば中道左派の真似をする人々はもう別れたほうがよいだろう。金鎮台と劉承旼が同じ党にいるのはコメディだからだ。親朴と非朴が‘まだ’同じ党であるのも三流新派劇で。


 大統領選挙はわずか1年先に迫ってきた。この時点で政権が崩壊したと言えるほどの大惨事が自由民主主義陣営を襲った今日だ。自由民主主義陣営に果たして希望はあるのか。希望に会える道はただ一つ-“生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる”という名言がそれだ。自由民主主義陣営はこれが実行できるか。死と絶望を生きて体験して見ない者は、生と希望を享受する資格がない。韓国の自由民主主義陣営も奈落まで落ちて見てこそ再び再起しる力を得る。世の中にタダはない。


柳根一の耽美主義クラブ

http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016.11.01 22:41

更新日:2022年6月24日