退任後がもっと輝いたトルーマン大統領の淸貧

 

トルーマンは、企業や商業と関連する一切の活動を拒否し回顧録執筆に収入を得た。2冊の回顧録は米国の歴代大統領としては初めてだった。67万ドルの印税収入の3分の2を税金として納めた。


趙甲済

(2016.9.27)

 ハリーS.トルーマン(1884〜1972年)。米国の副大統領のとき、フランクリンD.ルーズベルト大統領の急死で大統領職を承継したトルーマンは、確固とした歴史意識と自由に対する信念で第2次大戦と韓国戦争を指導して世界を救った人だ。彼は、米国が自由陣営の守護者の役割をするように導き、共産全体主義の膨張を阻止する決定的な措置をとって、40年後‘悪の帝国’が崩れるようにした。原子爆弾投下の決定に太平洋戦争を勝利で終息させ、韓国を解放させてから国連監視下の自由選挙を通じての建国過程を支援し、トルーマン・ドクトリン宣言、ベルリン封鎖の克服、マーシャル・プラン、NATO創設、対ソ戦略(NSC -68)の立案などでソ連の侵略主義を牽制した。


 金日成がソ連と中共の支援を得て卑劣な奇襲南侵を起こすや即座で米軍派兵を決定し、国連軍の創設を主導して韓国を救った。中共軍の不法侵略で国連軍が総退去し、韓国を放棄しろという国内外の圧迫が強まったとき、“米国は友人が困難なとき捨てる国でない”と言い、国家非常事態を宣言して本格的な対ソ封鎖網の構築に取り掛かった。


 韓米軍を主軸とした国連軍が共産侵略軍を阻止する間、トルーマンは台湾の保護を宣言し、日本の経済復興、ドイツの再武装、NATOの強化、国防費の増額で本格的な軍備競争を開始、自由陣営が東西冷戦で勝てる土台を作った。彼はまた、公務員と軍隊で白黒差別を禁ずる行政命令を出して黒人の人権向上の里程標を作った。


 李承晩とトルーマンが指導した韓国戦争は、今日では‘冷戦の勝利を予約して人類を救った聖戦’と評価される。二人の指導者は、国連軍が韓国と米国の利益を超えて人類全体の自由を護る偉大な戦争を遂行しているという信念を共有した。トルーマンは、休戦協商が開始されるや自由意思による捕虜送還原則を発表して反共捕虜たちを救ったが、共産軍側の反発で休戦が遅れて数万人の米軍が犠牲になった。彼は韓国戦争に対する米国の世論が悪化するや不出馬を宣言し、歴代最低の支持率の中で退任、故郷に帰って淸貧の生活を送った。トルーマンは、国際共産主義が崩壊しながら人気が高くなって、専門家たちの調査を総合した最近のランキングでは43人の歴代米国大統領の中で6位と評価される。


 彼は元大統領として生活姿勢でも模範を見せた。世界最高の権力者から田舎の平凡な庶民に戻った。彼の退任後の収入は1次世界大戦参戦者としてもらう軍人年金(月112ドル)だけだった。トルーマンは、企業や商業と関連する一切の活動を拒否し、銀行からの貸付金で暮らしながら回顧録執筆で収入を得た。1955-56年に出た2冊の回顧録は米国歴代大統領としては初めてだった。67万ドルの印税収入の3分の2を税金として納めた。トルーマンはまた自分の記録物らを寄贈、記念図書館を建設してその後の大統領たちがならうようにした。米国議会が元大統領の礼遇規定を作ったのもトルーマンの後だ。


 大学を卒業せず早くから政治を始めたトルーマンは、米国の普通の人々の愚直さ、勇気、誠実さとユーモア感覚、そして読書を通して涵養した歴史意識が総合されたリーダーシップを駆使した。‘強力な心を持ったボス’というニックネームを持つトルーマンは、歴代最高の長官に評価されるディーンアチソンとジョージ・マーシャルの尊敬を受けた。彼は“すべての読書人がリーダーになるわけではないがすべての指導者は読書人だ”という言葉を残した。


www.chogabje.com 2016-09-25 17:00

更新日:2022年6月24日