大韓民国の‘運命の分岐点’


次の大統領選挙の本当の具体的な争点は“大韓民国体制が持続可能か、そうでないのか”と集約されるしかない。

柳根一

(2016.9.21)

 

 2017年の大統領選挙の争点は何か。何であるべきか。与党vs.野党?保守vs.進歩?左右? TK vs.湖南?第1党vs.第2党vs.3党?もちろん、そのような要素らもある。だが、そういう抽象化された用語にこだわれば、現実の本当の具体的な争点の実体がぼやける。幻覚剤であるわけだ。


 では、現実の本当の具体的な争点は何か。1948年8月15日に建てた大韓民国体制が持続可能か、そうでないかがそれだ。あまりにも過激な表現だと?状況がいくら険しいと言っても、まさかこの体制が持続できない可能性があるというニュアンスを醸し出すのは過度な‘サイレン鳴らし’と非難でき得る。だが、北韓の核・ミサイル現況とそれに対するわれわれの‘お手上げ’はそういう究極の憂慮さえ思い出させる。


 ‘お手上げ’という表現にも“それはそうでない。われわれにも対策がある”と反論はできる。どうかそうであってほしい。だが、核保有国と非核国は基本的にゲームにならないではないか。国際政治においても核保有国たは彼ら同士が交流し協商して取引し、非核国らは決定的な局面では捨てられるのがゲームの法則だ。われわれが今、そういう‘いざとなったら捨てられる’対象に墜落しているではないか...?


 韓米同盟の‘拡張抑止力’が確固たるものなのになぜそういう心配をするかと言うかも知れない。どうかそうなることを願う。ところが、それはそう簡単に安心できるものでない。国際政治の現実では“何が国益に役立つか”によってのみ政策決定が行われるため、現在、米国のシンクタンクの一部では、われわれが知らない間に“米国の国益のために北韓を核保有国として認めてあげて、米-北の平和協定締結を協商テーブルにのせよう”という仮説を検討する人がいないという保証がない。ドナルド・トランプも“金正恩と会う”と言ったことがある。会えば必ず‘ギブ・アンド・テイク’があるはずだ。


 それで、昨今の北の核・ミサイル軍備とそれに対するわれわれの‘対策なし’がこのままでは、北韓が核ミサイル戦力を完備し、それを実戦配備してから米国に向かって、“さあ、米国は南韓と別れ、我々と向き合うべき時”と言ったとき、米国の朝野がそれをいつまで無視するか、われわれとしては真剣に考えねばならない時ではないかと思う。


 米国のあるシンクタンクのセミナーでは、米国の元合同参謀議長が北韓に対する‘予防打撃’の可能性と必要性を提起した。だが、これは現実性が少ないと思われる。米国国民、政治家、議会、メディアが‘戦争アイデア’を良いという雰囲気ではないからだ。だからといって、韓国の独自の核武装と米国の戦術核兵器の再配置に対しても良いという米国朝野ではない。いても少数であるはずだ。


 次の大統領選挙の本当の具体的な争点は“大韓民国体制が持続可能か、そうでないのか”と集約されるしかないと筆者が力説するのは、それで立てて見た論題だ。経済も重要で福祉も重要だ。しかし、核安保に比べるとそんなことは全部おつまみだ。


 今まで数多くの学者と政策立案者たちと大統領たちと政権が“外交と協商とお金の力で北韓の態度を変化させることができる”という前提で、あらゆる対北平和共存、交流協力、同質化、平和統一の方案などを追求した。だが、今になってみると、それは全部虚しいものだった。北の世襲王朝の一貫して究極的な対南戦略は結局はただ一つ- 南朝鮮革命であることが、もはや隠せない真実として明らかになった。平和協定?それをやったら駐韓米軍撤収、韓米同盟の解体、韓国社会のパニック(恐荒)現象が次々と襲うだろう。


 筆者は以上の憂慮らが筆者の無知の所産であることを心から願う。誰がこれをいちいち“そうまで心配する必要はない”と言って欲しい。だからといって筆者が憂鬱な決定論を言っているわけではない。このような究極的な心配をして見ることで、われわれはついに澄んだ悟りと決然とした行動の靈感と動力を得られると信じるためこうしているのだ。国民の偉大な覚醒を信頼したい。


 2017年の大統領選挙がわれわれの本当の具体的な災難に対する正直な論争の場になることを希望するだけだ。


柳根一の耽美主義クラブ

http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016.09.18 20:29

更新日:2022年6月24日