‘今日の戦いの本質’を正確に見抜いてこそ


結局、来年の大統領選挙は「8月15日」が「解放された日でかつ大韓民国建国日である」と「建国日ではなく解放された日であるのみ」の2つの間の戦いだ。

 柳根一

(2016.9.12)

 政局は今どこへ流れているのか。これから1年半は政権交代期だ。各政派と社会集団らが必死に「次期」を先取りするため既に戦い始めた。戦線は今どのように引かれているのか。もちろん、まだ最終的な対峙線が引かれる段階ではない。だが、何と何が激突するかは大体見当がつく。

 

 大きくは右と左の戦いであるしかない。これは1945年の解放以来まったく変わっていない。半世紀以上これで戦っているのだ。しかし、政界にはこのレベルの戦いだけであるわけではない。この戦いより低いレベルで展開されている戦い、つまり政争と権力闘争もその戦いに劣らず激しい。


 今行われている政争と権力闘争の中で最も深刻なのは、朴槿恵大統領陣営と左派陣営の間の戦いの前に「朴槿恵右派」と「反朴右派」の間の戦いだ。そしてもう一つ、親文在寅野党(左翼運動圏)と非文在寅野党の間の戦いがある。いわゆる「保守」も分裂しており、いわゆる「進歩」も分裂しているのだ。


 なぜこのように戦っているのか。多党制が存在し難くなっている今の憲法的制約のためだ。多党制が存在しやすい憲法なら、今の政界版図通り、保守党、自由党、穏健進歩、急進党の4個程度の党があればちょうど良いはずだ。ところで、筆者がいま改憲の話を持ち出すつもりでは決してない。筆者は現在の時点の改憲には明確に反対する。


 筆者が今指摘しようとするのはまさに両党体制の圧倒的な重圧のために、親朴と非朴が決別せず一つ屋根の下で戦っており、親文-非文が決別した後も同じ票田(全羅道、進歩、青年、労働界、低所得層)を耕しているという事実だ。それで、ただでさえ狭い領土を皆が「私が代表する」とするから、大きな枠組みの左・右の戦いの前に、各陣営内部の権力闘争がもっと激しくなるしかない。


 この内部闘争がいまや過熱し過ぎたため、内部の争いではなく“離婚も辞さず”とまで進んだようだ。いや、離婚程度ではなく、骨肉の争いに達したのではないかという感じさえする。


 この各陣営の内部の権力闘争がもたらした現象の中でも金武星、朴智元、金鍾仁の3人の言動が特に目立つ。金武星の動きをどう見るべきか。彼はしばらくはそれなりに反左派のようなことを言ったが、最近は急速に「セヌリ党は極右だ」「以前、私が労働界を非難したことは間違いだった」「北に対してもっと開放的でねばならない」云々して、左翼の真似をしている。


 朴智元はこの金武星が「懐かしい」と言う。金武星はかつて鉄道労組の不法ストのときも朴智元と呼吸を合わせて、死にかけた鉄道労組の救出作戦で一翼を担った。そういう金武星はまた、内閣制など改憲を通じて議会権力- 政党権力-職業政治家の権力を強化し、政府を弱体化させようと意図を表わした。この金武星の挙動を見ると、彼は「心でには」おそらく朴槿恵のセヌリ党をすでに遠く離れ、むしろ野党の一部と周波数を合わせる蓋然性が見られる。この点では劉承旼も同じかもしれない。


 金鍾仁は彼特有の資質を表して自分が恰も全国の群雄を集めて第3地帯にビッグテントでも張るような動きを見せている。このアイデアには朴智元も同調している。彼が金鍾泌を訪れたのはすべてそのようなジェスチャーと言えよう。


 こう見れば、1年半後の大統領選挙を控えた今の権力闘争は、全羅道の李貞鉉を党代表にした朴槿恵キャンプ、大邱出身の秋美愛を選んだ文在寅キャンプ、そして第3地帯のビッグテント論者の間の複雑な3者対決構図と言える。だが、ここで確実なのは朴槿恵キャンプと文在寅キャンプだけだ。金武星-朴智元-金鍾仁-安哲秀-孫鶴圭-鄭雲燦云々は、言葉はもっともらしいが実体がはっきりしていない。


 金武星が思い切ってセヌリ党を飛び出るタイプなのか。飛び出たって何か術があるか。朴智元が一つの政派の道徳的-文化的リーダーの権威を確立できるだろうか。金鍾仁に「言葉」でなく実力の土台があるのか。孫鶴圭が大衆性やボス(boss)気質と支持層があるか。鄭雲燦?安哲秀?まあ...


 結局、戦争は「群れ」と「群れ」がなすものだ。今の時点では、朴槿恵キャンプと文在寅キャンプだけが将卒の位階秩序を持つ「群れ」をなしている。文在寅キャンプは野党の中で最も組織的-感情的な凝集力が強い。朴槿恵大統領は任期末にもかかわらず、以前のどの元大統領も享受できなかった30%台の固定支持層を確保している。


 しかも、現在の状況では、朴槿恵キャンプと文在寅キャンプだけが韓半島の理念地形を明確に反映している。「8.15は光復節でかつ建国の日」と言った朴槿恵大統領と、「8.15建国云々はドジな主張」と言った文在寅元代表の二人の対蹠、これが今日の韓半島の現実を最も赤裸々に反映する。


 「経済は進歩、安保は保守」と言っては直ぐ再び「経済も進歩、安保も進歩」と迷走したり、ずっと保守と言ってきては、ある日突然「中道派」の真似をする、何が何だか自分も分からない言動をする「正体不明」は、「第3の道」でもなければ、確実性・厳密性・明澄さも落ちる。こういうものを中道-中庸-中間と呼ぶのは、かつて真の中道、真の中庸を説くた孔子や仏様に対する冒涜だ。


 「親朴」と「親文」を同時に排斥するという修辞とスローガン自体はもっともらしい。筆者もそのどちらでもない。なおさら親朴-反朴の戦いには関わらない。筆者自身の基準で是是非非するだけだ。しかし、仮に、「8月15日」はどんな日なのかと尋ねられたとき、そこには「解放された日でかつ大韓民国建国日である」と「建国日ではなく解放された日であるのみ」の2つの答えしかあり得ない。この二つのいずれかを堂々と選択することだけが正直かつ正確な答えだ。そして韓半島の本来の激しい戦いは、まさにこの両者の間の戦いだ。来年の大統領選挙もその両者の戦いだ。そうするしかないようだ。そうすべきだと思う。


柳根一の耽美主義クラブ

http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016.08.27 01:21

更新日:2022年6月24日