親中派、彼らは親日派よりましか?
大韓民国という‘大成功作’がいま中国共産党独裁、全体主義、覇権主義、武力示威の前で屈従を強いられている。こういう時に決まってわれわれの内部から内通者が現れた。

柳根一

(2016.8.9)

 

 われわれにとって中国は何か。“われわれにとって日本とは何か”と訊けば、小学校の学童もこう答える。“柳寬順姉ちゃんを殺した国よ”。そうだ。日本はそれでその子供たちには‘以前、わが国を奪った’悪い歴史を作った国だった。そのため、われわれの中の代表的な高位親日派はさらに指弾されるしかなかった。


 では、中国は?ここで中国とは漢族の帝国、満州族の帝国、契丹の帝国をいう。その帝国は交互に古朝鮮、高句麗、百濟、渤海、高麗、そして朝鮮を侵略し苦しめた。それでも韓国人は‘日帝の35年’には歯軋りをしながらも‘中華覇権主義数千年’にはほとんど切歯腐心しない。なぜだろうか。奇怪なことだ。何か鎮痛剤でも飲んだためか。


 振り返って見ると、われわれの先祖に対する中原帝国の横暴は計り知れないほどだった。百済、高句麗が唐に亡びたとき、宝蔵王、義慈王および多数の流民は捕虜として連れて行かれて奴隷になった。イスラエルの民の‘バビロン幽囚’がそうだったはずだ。淸は丁卯胡乱と丙子胡乱のとき、われわれの民を捕らえて‘死の行進’をさせながら殴り、飢えさせ、婦女を辱め妾にした。生きて鴨緑江を越えた人々はお金をもらってから釈放した。‘奴隷商’だった。朝鮮王朝の末に総督として漢陽に駐屯した袁世凱という20代の清の奴は、あえて馬に乗って朝鮮王宮に入り狼藉を働いた。


 今も共産党中国の御用‘媒体’や‘物書き’は、THAADを配備することにした韓国に対して武力打撃を脅迫するなど、袁世凱そっくりギャングの真似をしている。彼らと金正恩は核ミサイルでわれわれを狙っていながら、なぜわれわれはそれに対応する核・ミサイルどことか防御武器も持ってはいけないと脅迫するのか。中国が無知で乱暴だとは聞いたがここまで「厚黑」な奴とは知らなかった。一体、相互性というのがない。


 問題は、中原の帝国がこう出るとき、われわれの内部には決まって内通者が現れたという事実だ。高句麗が亡びるきは淵蓋蘇文の長男淵男生が二人の弟たちによって放逐されたことに恨みを抱いて敵国である唐に進んで協力し、平壌城が包囲されたときは城の中の反逆者たちに城門を開けるようにして自分の国を滅ぼした。


 高麗時代には洪大純、洪福源、洪茶丘の3代が元につき元が攻めてくるたびに道案内をし、高麗の王たちを苦しめるなど、モンゴル軍より酷かった。洪大純は血筋は中国系だが、その祖先が新羅に帰化した。モンゴル軍が攻めてくるや、地方の司令官だった彼は投降してその手先となった。その息子の洪福源はモンゴル軍の案内役をしながら汚く卑劣極まりない生を生きたが、死ぬ時は元皇帝の憎しみを買って踏み潰されて死んだ。 3代目の洪茶丘は高麗が日本征服に乗り出すように高麗王にあれこれと指図をし、あらゆる横暴を働いた。


 こうであるにもかかわらず、親日派のみが民族反逆者で、親中派は民族反逆者でないのか。淵男生、洪大純、洪福源、洪茶丘が李完用よりましなことが何か。大韓帝国の末に親中派が親日派に劣らずどれほど憎かったら、開化派でかつ独立協会の会員だった徐載弼が、今の西大門外にあった慕華館(中国天子の勅使を迎えた施設)を壊して独立門を建てただろうか。


 大韓民国の1世代の指導者たちは、われわれが日本帝国主義から解放されたら、尊明事大(大国中国に仕えた)の朝鮮王朝に戻るか、当時流行だった社会主義・共産主義革命へ走るか、ファシスト独裁へ進んではならず、ただ、自由-民主-共和-万人の平等-市場-開放-文明開化へと進むべきだと考えた。アジア大陸と日本列島の封建主義-絶対王政-天皇制ファシズム-ボルシェビキ独裁ではなく、西側の自由民主主義近代文明と融合しようというものだった。それで大韓民国を建て、大韓民国68年史は大成功作だった。


 この‘成功作’が今、中国共産党独裁、全体主義、覇権主義、武力示威の前で屈従を強いられている。この厳重な事態の前、われわれの中にまた現代版の淵男生と洪大純・洪福源・洪茶丘が現れないという保障が果たしてあるのか。ない。

 

柳根一の耽美主義クラブ

http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016-08-08 00:35

更新日:2022年6月24日