“市民は生まれるのではなく作られるものだ!”
韓国国民に告ぐ

 

金仁燮(法務法人・太平洋の名誉代表弁護士)
(2016.8.9)

 

 大韓民国を、第2次世界大戦後に独立した国々の中で民主化と産業化に成功した唯一の国という。1995年にはOECDにも加入した。世界最貧国の一国だった国が、解放後50年ぶりに先進国の隊列に入ったのだ。韓半島の5000年歴史の中で最も成功した時代をわれわれは生きているのだ。


 ところが、これに対する感謝や誇りどころか奇跡の歴史を成し遂げた大韓民国を‘生まれてはならなかった国’と罵倒する三民主義(民族、民主、民衆)歴史観が蔓延している。この三民主義の歴史観が大韓民国の歴史をサボタージュしている。シモーヌ・ヴェイユは“歴史を破壊した者は、世界は誰よりも重い罪を犯したのだ”と言った。ここからわれわれの悲劇と危機が始まった。


 盧泰愚政権以降、わが社会は民主主義と法治主義が調和をなし、企業も一歩アップグレードされた社会へと進むべきだった。だが、その後、わが国はポピュリズムと扇動政治、賎民資本主義から抜け出せずにいる。韓国の民主主義はいま高コスト・低効率の形で現在進行中だ。


 なぜこうなったのか。私は民主市民教育がなかったためだと思う。民主市民教育とは‘政治指導者や社会のエリートを含む国家構成員のすべてを民主市民にするための教育’だ。


 われわれは去る半世紀間、民主主義を叫んできたが、一般市民であれ職業政治家であれ、われわれは民主主義に対しる体系的な教育を受けたことがない。‘民主化闘争’をした大統領も内容的には‘文民独裁’や‘帝王的大統領’だったのもそのためだ。


 民主市民が自然に、偶然生まれてこない。米国の政治学者ベンジャミン・バーバーの言葉のように“市民は生まれてくるものではなく作られるもの”だ。米国の教育学者であるジョン・デューイは教育の社会的目標は“良い市民の育成”と言った。


 米国の著名な教育学者ロバート・フリーマン・バッツは、民主市民意識教育の核心としてⓛ建国の理念と歴史②国家のアイデンティティと法治主義③民主市民を挙げた。教育を通じて国家の魂と目標、憲法の内容と法治主義、そして国民の権利と義務、権限と責任を教えねばならないということだ。


 われわれは今、その教育がなされていない。それで、1919年の3・1運動の後、臨時政府の樹立を大韓民国の建国と主張するとんでもない話や、到底同じ大韓民国国民と言えない人々もいる。国家理念とアイデンティティに対する共感や歴史認識を共有できないのだ。一言で‘国民形成(nation building)’ができていないのだ。建国、つまり‘国家形成(state building)’はしたのに、国民の形成ができていないということは、家は建てたのに中に入って住む人がいないようなものだ。国民形成ができていないのに、社会統合を云々するのは間違いだ。南南統一ができないのに、南北統一ができるものか。


 建国初期や開発年代にはこのような民主市民教育に目を向ける余裕がなかったはずだ。しかし、少なくとも盧泰愚政府のときからはこの市民教育を実施すべきだった。今日、われわれが直面している危機は、これを怠ったことから始まったのだ。


 理念的葛藤が深刻な現実で、民主市民教育が容易ではない。でもやらねばならない。その第一歩は、大韓民国憲法の価値を教えることから始めなければならない。産業化と民主化をなした大韓民国の歴史を‘国家発展史観’という観点からバランスのとれた視点で教えねばならない。現代史に対する偏向したドグマ的解釈から脱して自らが成し遂げた成果を自覚するとき、これに基づいてわれわれは統合を遂げ、先進民主法治国家へと進むことができる。

 

(月刊朝鮮2016年8月号)

更新日:2022年6月24日