朝大生200人を貢ぎ物としてささげて金日成勲章をもらった朝鮮大学校

 

統一日報

(2016年5月18日付4面から)


 金正恩は先月、開校60年を祝う祝賀文で、朝大は学生たちを如何なる状況の下でも社会主義祖国を最後まで護り抜くように教育するよう求めた。では、「首領たち」に忠誠を尽くすため、朝鮮大学校(朝大)の教職員たちがこれまで学生をどのように扱ってきたのか、その真実を見よう。

 

 大学とは知性を磨く殿堂であるはずだが、朝大にはそもそも知性など存在しなかった。それは共産主義や朝総連の本質からくるものだが、朝大は開校当初から共産全体主義の中で生き残るための生存闘争が展開されたからだ。これが暗い歴史的な傷として残る。

 

 朝大は日本でのインテリ工作基地としての体制整備も終わらないうちに、「北送事業」に動員された。自由世界から全体主義社会へ大量に誘拐・追放されたこの北送事業は、人類史の中でも稀な組織的な犯罪であり悲劇だった。

 

 日本での生活に絶望感を感じていた多くの在日同胞、特に家長たちが社会主義祖国への夢をもって「祖国」へ帰るよう家族たちを説得した。祖国へ行けば無償教育が受けられるという甘言は、子供たちの未来を考えた親にとって、北韓への帰還を決心させた決定的理由になり得た。

 

 朝総連は一人でも多くの同胞を「社会主義楽園」に送るため組織を総動員した。その第一線に朝総連学校の教員たちがいた。北送事業の最大の被害者は、まだ一人の独立した人間としての判断力・分別力のない、親や大人たちの決定によって生の運命が決められるしかなかった未成年者たちだった。このような事情に目を付け付け込んだのが、北送ノルマの達成に躍起になっていた朝総連組織、特に朝総連学校だった。

 中には聡明な弟子の人生を考えて祖国への帰還を勧めた先生たちがいたかも知れない。いずれにせよ、多くの教師たちが未熟な弟子たちに北へ帰るように勧め説得、強調した。朝高ではクラスごと北送される悲劇も起きた。朝大の場合は、人生の中で最も情熱に燃える青年期にあたる学生たちの情熱に火をつけるだけで十分だった。

 

 しかし、祖国への帰還熱気は、北送事業は始まって直ぐ冷めはじめた。北韓の実情が日本にも伝わった。北へ帰還した者から悔恨の知らせが届いたからだ。祖帰還希望者は激減する。北送事業の初期には、自身も騙されて愛する弟子たちを地獄の北へ帰還するよう勧めたケースも少なくなかったはずだ。

 

 だが、金日成への忠誠を争った韓徳銖や金柄植など朝総連の指導部は同族に対する赦されざる犯罪を犯し続けた。朝総連、朝大は「文革」のような混乱に陥った。そして、この狂気の中で、朝大、いや朝総連の歴史上最も恐るべき事態がおきた。暴君に人間を生贄として捧げたのだ。

 

 元朝大の副学長だった朴庸坤は2007年10月、NHKのスペーシャル番組で悔恨の証言をする。それは金日成が還暦を迎えた1972年のことだった。朝総連から様々な貢物が平壤に贈られた。その目玉は「人間200人」を捧げることだった。金日成の還暦を祝って平壌に送る「忠誠の手紙伝達の青年祝賀団」200人を「社会主義建設の先鋒隊」として金日成に捧げたのだ。

 

 当初選ばれた200人のうち100人は親や本人の動揺で辞退。残り100人の枠を埋めるために朝大の先生たちが弟子たちを説得した。金日成への貢ぎ物として祖国に帰還させられた青年たちの夢・大学での勉強などはもちろんかなえられなかった。朝鮮大学校は1975年5月「金日成勲章」を受けた。

更新日:2022年6月24日