中国共産党の北韓とパキスタンへのWMD技術移転過程

ブット首相は北韓を訪問したとき、ウラン濃縮技術のデータを北韓に渡し北韓のミサイル技術資料を持ってパキスタンに帰国した。

金泌材

(2016. 2.22)

 

 トーマス・リードとダニー・スチールだけが書いた『Nuclear Express』によれば、中国が自国の核技術を北韓など共産国家とパキスタンなどイスラム国家に拡散させると決定したのは1982年だという。中国はライバルであるインドの宿敵・パキスタンが核兵器の開発に着手するや技術者たちを招請して教育させ、核兵器設計情報を提供した。

 

 パキスタンは1998年、インドが一連の地下核実験を実施するや17日後の5月28日、対応の核実験を実施し核保有国になった。パキスタンの核開発責任者だったカーン(Abdul Qadeer Khan)博士は核実験に成功して‛国民的英雄’になった。

 

 当時、パキスタンが核実験に使用した核爆発装置がまさに中国のCHIC-4と呼ばれるものだ。カーン博士は核開発の過程で中国、北韓、リビア、サウジアラビアなどの国々を数回も訪問した。北韓は少なくとも13回訪れ、この過程で核兵器の設計図を北韓側に渡したと知られている。

北韓のミサイル技術が利用されて作られたパキスタンの弾道ミサイル/defence.pk

 

 カーン博士は1993年12月、ブット(Benazir Bhutto)パキスタン首相(当時)が北韓を訪問する数日前、首相執務室を訪れた。彼はブット首相に、金正日に会えばパキスタンの核開発プログラムを北韓が支援するよう頼むよう要請した。カーン博士は、核弾頭の搭載が可能な長距離ミサイルの設計図が必要だとブット首相に説明した。当時、パキスタンは核弾頭を装着できるミサイルの研究に没頭し、ブット首相は、カーン博士を支援すれば軍部が政府に対する干渉を減らすだろうと考えて彼の要求に同意した。

 

 ブット首相は北韓を訪問して金正日が主催した晩餐会で“それぞれの国は、経済・社会の発展に合う平和的目的の核技術を獲得し開発する権利がある”と述べた。ブット首相は北韓を訪問したとき、ウラン濃縮技術のデータを北韓に渡し北韓のミサイル技術資料を持ってパキスタンに帰国した。

 

 パキスタンはこのような方法で北韓のミサイル技術を獲得し、これを研究した結果1998年4月、労働ミサイルを変形させたガウリ(Ghauri)ミサイルの試験発射を成功させた。北韓の場合1990年代初め、核開発の試みが発覚されて(第1回目の核危機)、米国との交渉の末1994年10月に核開発の放棄を骨子とする‛ジュネーブ合意’を締結した。

 

 しかし、北韓は米国との合意の後も秘密裏に核開発プロジェクトを進めた。金正日は核兵器を権力維持の手段と考えた。彼は核兵器がなければ、南韓の経済力に吸収されるか米国の軍事力に圧倒されると信じた。

 

 金正日は1997〜1998年、密かに核兵器を開発する代案を探した。その代案は開発過程が遅く難しいが、比較的に隠蔽しやすい高濃縮ウランで核兵器を製造することだった(ジョージJ.テネット米CIA局長は2004年2月24日、上院情報委員会の聴聞会に出席、北韓がパキスタンのカーン博士が提供した技術で高濃縮ウランの核プログラムを推進していると明らかにした)。

 

 核兵器の開発と関連して北韓と利害関係が一致していたパキスタンは2000年、ウラン濃縮に利用されるガス遠心分離機などの核開発機器を北韓側に支援した。中国は核とミサイル技術をイラン、シリア、パキスタンなどの国々へ移転する過程で、北韓を再移転(retransfer)の拠点として利用した。中国は北韓とパキスタンの間の核開発関連機器やミサイルの取引に対しても何の措置も取らなかった。中国と北韓は1998年と2006年、ミサイル発射実験の前にも緊密に情報を交換した。

 

 米国の著名な核物理学者のジークフリード・ヘッカー博士(Siegfried Hecker)は2010年11月、北韓を訪問した後、8ページ分量の『北韓の寧辺核施設訪問報告書』を作成した。ヘッカー博士は報告書で、“2000個の遠心分離器が完全に動作していることを確認はできなかったが、北韓は彼らが主張する通り遠心分離器を稼動しているか、近いうちにそういう能力を持つことができる”“もっと大きな憂慮は、この施設と同じかもっと大きな容量の高濃縮ウラン製造施設が別の場所にあるかも知れない点だ”と指摘した。

 

 ヘッカー博士は3時間30分間、寧辺の核施設を視察した。以下はヘッカー博士が明らかにした北韓のウラン濃縮施設に対する主な内容だ。

 

 <私たちは長さ約100mの施設の2階の制御室展望台に案内された。展望台の窓から見下した光景は驚くべきだった(stunning)。当初、北韓にあるだろうと推定されてきた小規模の遠心分離機ではなく、1000個を超えるきれいな現代式遠心分離器が見られた。

 

 遠心分離器はすべてきちんと整列されていた。北韓の技術責任者は、昨年(2009年)4月に遠心分離機の設置が始まり、数日前に完成したと説明した。遠心分離器は直径20㎝、高さ180㎝と推定された。北韓の責任者は、工場には2000個の遠心分離器が構築されていると述べた。だが、遠心分離器の仕様に対しては教えてくれなかった。

 

 私たちが、パキスタンが開発した‛P-1型遠心分離機なのか’と質問したら北韓の責任者は‛いいえ’と答えた。彼は“すべての材料は国内で生産したものだが、オランダのアルメロと日本の六ヶ所村の遠心分離器をモデルにした”と言った。制御室は驚くほど近代的だった。

 

 1950年代の米国や1980年代の舊ソ連の再処理施設や原子炉制御室とは完全に違ったもので、米国の現代的な処理施設にも適した水準だった。私は、2000個の遠心分離器をこんなに早く構築できたことに驚きを表明し現在、この施設らが実際に稼動しているかと訊いて見たら、彼らは断固として‛そうだ’と答えた。

 

 北側の主張通り年間8000㎏-SWU規模の濃縮能力なら、北韓は年間最大2トンの低濃縮ウランを生産でき、施設を切り替えれば最大40㎏の高濃縮ウランを製造できる。>整理/金泌材(趙甲済ドットコム)

 

www.chogabje.com 2016-02-16 10:38

更新日:2022年6月24日