北韓の核ミサイルの前で有権者が決断しよう!

左派の中の‛極端’と右派の中の‛安逸’を清算しなければならない。

(2016. 2.10)

柳根一

 新聞や放送などあらゆるメディアが4月の総選挙を前にした政党系の公認戦いばかりを取り上げている。本末転倒の論題設定(agenda setting)であるわけだ。もっと重要なことは北韓が4回目の核実験をして大陸間弾道弾を軌道に進入させた今日の現実に‛大韓民国が進むべき道は何か’という問いだ。選挙はその問いに答えるまでの手順であるだけだ。しかし、現実的には政党やメディアとしては当面の権力闘争に100%没頭せざるを得ない状況だ。咎めるばかりも無理な事情だ。

 だが、そういう点を考慮しても、今回の総選挙を通じて“これかた、今日の北韓の核・ミサイルがもたらした安全保障の危機を突破するためどのような政治地形を創出すべきか”という緊急かつ根本的な問いも同時にかけて当然のはずだ。そうしてこそ‛政治を、選挙をなぜやるか'という合目的性を期すことができるはずだから。

 われわれは、果たしてどのような政治地形を作らねばならないか。結論から言えば、今日の安保危機、つまり、北韓の核ミサイル実戦配備とその‛核優位’に基づいた北韓の挑発的な対南攻勢に最も適切に対応できる政治地形を作らねばならない。如何に?これはもちろん当為論的な話になるが、何とか希望的な期待値を設定しておけるはずだ。

 切実なことは、安保問題に関する限り、米国の民主党-共和党のように、われわれも超党的共感帯の上で、与党であれ野党であれ...ができれば、ということだ。今回の総選挙を通してそういう与野党の政界を作り出せて欲しいのだ。そのためには左派の中の‛極端’と右派の中の‛安逸’を清算しなければならない。

 左派の中の‘極端’は北韓の核とミサイルの前でわれわれの自衛の正当防衛に正面に反対する。そして、右派の中の‛安逸’は“われわれが善意で臨めば金正恩集団もいつかは応じるはず”という、もはやとんでもない迷信であることが証明された仮説に執着する。この二つの惡弊の共通点は、核の歯を持つ強暴な敵の前で大韓民国の武装解除を促進するという点だ。この弊害の群像が与野党の政界を牛耳れば、われわれは今の安保危機に有効適切に対応できない。そうなれば、核ミサイル戦力の優位を占める北韓の前でわれわれは軍事的に二流、三流国家に転落するしかない。これは奴隷への道、滅亡の道だ。

 したがって、国民が、有権者たちが覚醒しなければならない。どう覚醒すべきか。安保で失敗すればすべてを失うという認識で、昨今の安保危機に無関心な左派の中の‛極端’と右派の中の‛安逸’を分離させて彼らを政治地形から追い出さねばならない。それで野党と左派の主導権は、相対的に少しは穏健な部類が掌握するようにし、与党と右派の主導権は正気で定見のある部類が掌握するようにすべきだ。両方ともそういう人々が全然いないかも知れないが、それでも比較的に見れば、差等があり得る。政治とは結局次惡を選択するものではないか。

 新聞や放送などがまったく競馬の中継でもするように、沒価値見物と解説ばかりに没頭している。ここに一緒に踊られて派ならない。このペテンの局面でも冷静になって国と私の家族の安全のため一定の価値論基準を立てて弁別力を発揮せねばならない。そうしてこそ、先進的な有権者と言える。

 2016年4月13日に行われる総選挙の全過程を、北韓の核ミサイル脅威に対する国民的覚醒と奮発の契機にしよう。そして、これを丙申年のお正月の家族の集まりの話頭にしよう。

柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016.02.07 20:53

更新日:2022年6月24日