‛北の善意’を前提にした対北政策は虚像
柳根一
(2016. 1.12)
今まで韓国の歴代政権は‛保守’も‛進歩’も、北側の対南政策がわれわれの態度によっては善意に基づいたものへと変化できるという期待を設定し、そのような期待に符合すると考えられる対北提案を提示した。しかし、今の時点で見ると、そういう楽観論は一方的な‛当て込み’だったことがますます確実になっている。
北側はわれわれに対して一度も善意を持ったことがない。善意を持っていたとしたら、彼らが味方だと看做した南韓の特定の政治勢力に対する戦術的な見せかけだっただけだ。核実験を重ねるごとに、北側のこのような対南姿勢はもっと露骨にあらわれている。北側は始めから今まで‛大韓民国の破壊’を前提とした対南政策、対米政策、軍事政策だけを追求してきただけだ。
にもかかわらず、韓国の歴代政権は、北韓がわれわれの優れた経済力、在来軍事力、韓米同盟、国際協調の前でいつかは崩壊するか(crash landing)、妥協的に出るか(soft landing)、ただ、何とか延命するだろう(muddling through)という前提でやってきた。ところが、北側の核とミサイルの開発とその実戦配備はわれわれの歴代政権のそういう楽観論が虚像だったことを反証した。北側はわれわれに対して逆に‛核優位’に基づいた‛通牒外交’へと転換している。“我々が望む通りにやるか、それとも火の海になるか”と。
情勢をこのように判断すれば結論は自明だ。“北韓はわれわれに対して善意でなく悪意を持っている”という前提の下で、今後のわれわれの対北政策を立てなければということだ。主思派運動圏が牛耳る野党はこれに反対するだろう。中途改革を自任している「国民の党」はどちらでもない中途半端な折衷論、だが‛太陽政策'の方にやや傾いた姿勢で臨むだろう。セヌリ党は魂、哲学、価値観、歴史観、積極的意志がないから、何を言っても重要でない。
重要なことは事実と真実をありのままに見る正直さだ。政治的性向や目的によって、北側の真面目を勝手に脚色し潤色して対北政策を立てることからもう脱皮せねばならない。真実を見つめ、その真実に基づいてやるべきことをやらねばならない。真実は何か。対北政策は北側の悪意に対するわれわれの理念的対応、軍事安保的対応、外交的対応、国内政治的対応の総合でなければならないということだ。
余計なことは言うな。複雑に言うこともない。外国に留学したという連中、物知りぶってあれこれ‛学術的方法論’を南・北韓間の現実に適用して実験しようとするな。統一・対北政策は、韓半島的な生と死の具体的な現場で蓄積されたわれわれ実存的体験とそこから出てくる正直な反応と瞬発力のある決断があってこそできるもので、たかが、三寸の下でやるものでない。
柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2016.01.08 20:39