自由史観と民衆史闘争

[イシュー]科書論の本質

李栄薫(ソウル大学経済学)

科書論は魔性化した民族主義力からわれわれの自由理性を解放する宗教戦争

科書論が展開された去る12年間、界は如何なる水準の開放的か創造的な対応をしなかった。いやできなかった。それを可能にする理念が欠いていたからだ。界が共有する理念は民族民主革命理論、俗に言われる民衆史観だ

2003年普及された金星社出版の現代史科書が“米国の力によって解放されたのはわが民族が進むべき望ましい方向に障害になった”とか、“統一を願う民の熱望を踏みにじって南韓だけの単独政府の樹立のためのが施行された”と記述したのはそのようなに立脚したものだ。

の大韓民史を親日親米・独裁勢力と民族民衆民主勢力の闘争過程として描いたのも、419(学生義挙)を民族民主革命の出発として美化しのも、前の世代の偉大な社会経済的成就を反民衆・既勢力のお祭りであっただけと貶めたのも、去る12年間の論にもかかわらず、今の科書に至るまで根本的な改善がなされなかったのも、改善と言っても片言隻語レベルの誤魔化しに過ぎないのも、このようなによってのことだ。

1930年代の共産主義者たちが確立した民族民主革命理論は、国々によって‛新民主主義革命や‛人民民主主義革命などと多に呼ばれた共産革命の理論は、それを実践したすべてので例外なく失敗した。

にも拘らず、それが今まで韓で健在しているのは、1960年代以降の高度経済成長が必然的にそれに相応する威主義の政治体制を成立させたとき、それに抵抗する政治勢力を形成し支持する役割を果たしたためだ。

政治力へと展した民衆史

1988年、民主化時代が開かれながら遂に彼らの時代が開かれた。民衆史観によって訓練された若い史家たちが科書執筆力を取得した。2003年の認定制度施行と共にこの文化力はより一層固になった。なぜなら界の中に民衆史と競争する他のが存在しないためだ。

そして民衆史は政治力に展した。民族民主革命理論は民主化闘争の過程でそれなりの方式で進化した。その理論は韓人なら夢でも願いである民族統一論理として見事に装した。‛わが民族同士‛民族経済に立脚した統一を成し遂げようという2000年の‛615宣言はその絶頂だった。

それは魔の誘惑だった。その危な約束はあまりにも甘かったので一時、のすべての知性と政治を麻痺させた。今日、新政治民主連合(以下、新民連)をはじめとする野党勢力はまだその深い誘惑の沼からけ出せずにいる。

新民連の党綱領は“我々は大韓民臨時政府の抗日精神と憲法的法統、4月革命、釜馬民主抗、光州民主化運動、6月抗をはじめとする民主化運動を承し、経済発展のための民の身と努力、労働者と市民の利の向上のための努力を尊重する”と宣言している。民衆史の充実な版だ。

彼らは19488月にできた大韓民事件を黙殺している。共産主義の甘い誘惑を振り払った代の韓人たちの偉大な選を否定している。1950年の際共産勢力の侵攻に立ち向かって彼らの自由と立を護るために命を捧げた100万護牲に沈している。

漢江の奇跡を成し遂げた、市場と企業の論理に対する没理解を現している。新民連の党綱領は、自らの自由と立を尊い値として仰ぐ多数国民が二度とこの集に執の機を与えない呪詛も同然だ。

民族民主革命の民衆史観に代わる新しいは、人間個体の自由と立の理念に基づいた自由史観だ。自由史に立脚するとき、われわれの史は明るく肯定的に再解される。

67年に達するわれわれの建史だけではない。開港(1876)以降、さらに1718世紀の史も自由史観が再解すべき象だ。いま展開されている国定か検認定かの議論は単に行制度をめぐるいではない。界が主張するように親日と裁を美化するための力者の陰謀でもない。

▲南の科書国定化を力に非難する<労働>をはじめとする平壌の媒体ら。不思議なことに野党と左派体の主張と通じている。


絶体絶命の理念戦争

われわれの暗鬱な時期に、将来する民族立のため近代文明を習し実践した勢力を親日と決めつける手法は、元々共産主義者たちが傳家の寶刀として使った革命略だった。その略に立脚して毛東が中大陸を掌握した。19459月、北韓に独裁を建てろと言ったスタリンの秘密指令は範な反日ブロックの結成を前提とした。

19485月、平で開かれた南北交は“李承晩と金性洙の親日徒党を粉しよう”というスロガンを掲げた。界と新民連が彼らの政治的競争者たちを親日と罵倒する行為は、彼らがまだ彼らの失敗した先輩世代が使した常套的言にとらわれていることを暴露しているだけだ。

去る12年間、自由史観も進化した。初は議論を提起した少グルプだけの孤軍奮闘だった。2008年に執した右派政は意的にこの議論から距離を置いた。彼らは自由史觀に立脚して書かれた代案科書に一回も目もくれなかった。彼らは、史論争などは彼らが係すべきではない、という用主義を標榜した。

糾してみれば用主義でもなかった。彼らは用主義哲が前提する人間型が分からなかった。それは史ニヒリズムに近かった。執ハンナラ党やセヌリ党の綱領には今も史がない。彼らはせいぜい勇気を揮して自党の史的起源を遡及するのは1997年からだ。その前の49年間の史を彼らは解できない。それも一種のニヒリズムだ。

それに比べれば、昨今の事態は新しい展開だ。その始まりが執者の混乱の中のであり得るが、このが停せずく大きな道に進することを示唆する新しい局面だ。

論争の本質は、国定か検認定かをめぐる制度の水準でない。自由理念が分からない者たちが問の自由を標榜している。好んで明を表する一化された集が多性の旗をげている。そこにまれるか躊躇しては困る。

新しい事態の本質は自由史観と民衆史闘争だ。われわれの史を解する権柄を誰が掌握するかという絶体絶命の理念戦争だ。魔性化した民族主義力からわれわれの自由理性を解放する宗教戦争でもある。

おそらく長期になるこの戦争で自由史観の愛営は勝利する。人間個体の自由と立の理念が、はるか遠い昔消えた部族主義やその現代版である民族主義よりもはるかに力であるからだ。

未来 www.futurekorea.co.kr 2015.11.04 01:12

更新日:2022年6月24日