黄祐呂長官のせいだ

理念と体制を護る闘争から逃げてきた黄長官に、理念と体制の核心である戦争の指揮棒が任せられているためひやりとする。

金成昱

黄祐呂長官のせいだ。多くの問題がそうだ。左偏向の科書問題の是正が混乱する背景に黄長官がいる。彼は民に積極的な説明や説得をしない。微温的だ。彼にはいつもの‛葛藤回避的な本能だけが見られる。手に土は付けず果は食べたがるウェル・ビーイング主義官僚のように見える。いわゆる進と左派に睨まれて国会議長への夢が駄目になるか戦々恐々する日和見主義の本性が見られる。

新民連の文在寅代表1027日夜、ソウル光化門場での演で“黄祐呂教育部長官も私に、自分の意志ではなく上の意志だと話した”と言った。黄長官がそう言ったことがないと強く否定するや、文代表は“副総理を私が好きなので(黄副総理の)立場を難しくしたくない、と言いました。大きく報道しないでください”と記者らに忠告(?)した。史で戦争をするという党が、敵將が‛好きな将帥に戦いを指揮させているとは喜劇だ。

科書定化TFの秘密運も黄長官の性格が投影されたようだ。もちろん、夜中に押し掛けた野党は正常ではない。‛政監視活動でなく‛公務執行妨害に近い。際に科書問題は担当部署表した業務だ。黄長官が“政化するかどうかを決定していない”と言った108日よりも3日前にチムが作られたが、決定に先立って容を確認する必要もある。存の組織に限界があるとき限時的に新しい組織を作るのも通常の行政行だ。要するにTFムの構成は不法ではない。

問題は教育部のTFムの運方式だ。秘密主義は、ただでさえ科書問題の態を正確に知らない多くの民に‛何か後ろめたいことという誤解を与える。親日・独裁美化工作をするという扇動に力を与える。“史を正しく書き直す正当なことをするのになぜ心配するか、恐れるな”と言った朴槿大統領の1013日の首席秘書官議での言とも背馳する。ご尤もな話だ。黄祐呂長官は正しい仕事をするのになぜ民と野党に堂堂と明や得をしないのか。

黄長官の体質がそうだ。円満なことが良いのだ。適当な妥協を善と思う。彼の政治的履歴では惡に対する義の怒りは見られない。物理的衝突を防ぐという名目で2012、党の若手と一緒に作った‛国会先進化法'も黄長官の作品だ。彼は汝矣島の動物国会を、基礎的な民生連法案も生産できない植物国会に退化させた。党代表時代の201312月、いわゆる‛家情報院改革特委関連法改正案を成立させた。野党の家情報院無力化主張に野合した行為と保守層から集中非難を受けた。

黄長官は昨年の24日、国会の渉団体代表演で“統一はもはや理念と體制の問題ではなく、民族の共同生活体の復元と個人の生を向上させる次元で接近せねばならない”と言った。理念と體制、これを護るいを避けてきた黄長官に、理念と体制の核心である戦争の指揮棒が任せられているからひやりとする。指揮棒のもう一方には“北の核は弱小然追求せざるを得ない秘の武器”と言った金尚律・瓦台育文化首席が布陣しているから青息吐息だ。

部陣容をしっかりと整えないと外でのいは難しくなるしかない。

http://libertyherald.co.kr 2015.10.31 02:54

更新日:2022年6月24日