教科書改革対立の核心はこれだ!
これさえ確認すればよい。‛変種共産主義'である民衆民主主義的歴史観で書かれたのか?それなら無くすべきだ。
趙甲濟
‛民衆の意志と世界観に合う歴史学’が作り出したものが反大韓民国の教科書だ。民衆史観勢力は歴史を学問ではなく、権力闘争の手段と見做すというのが学会の創立趣旨文によく表れている。
‛民衆民主主義は変形共産主義’
民労党とその後身の統進党綱領の核心である‛民衆民主主義’と‛進歩的民主主義’が、北韓で言われる‛人民民主主義’と同義語であり、大韓民国憲法の国民主権主義を否定し社会主義を指向する反憲法的理念であるというのが請願書の法理だった。これは検事長のとき公安事件の捜査を通じて‛民衆民主主義’の利敵性を最初に究明して大法院の有罪判決を導き出した高永宙弁護士の作品だった。
この法理が2013年11月、法務部に採用されて憲法裁判所に統進党解散を請求する核心論理になった。ついに昨年の12月19日、憲法裁判所の統合進歩党決定文によって、民衆民主主義は違憲であることが最高判例として確定された。憲法裁判所が民衆民主主義を、北韓政権の南韓共産化革命戦術理論であると規定したことで、これまで民衆民主主義を主張し、又はこれに基づいて論理を展開し、教科書を書き政策を樹立した勢力に対する監視、捜査、規制が避けられなくなった。
高永宙放送文化振興会(MBCの大株主)理事長は、28年間の検事生活のほとんどを公安業務に携わってきた。‛民衆民主主義’が変形された共産主義理念である事実を最初に究明したことで、韓総連を利敵団体と規定、瓦解させることができるようにし、全教組が標榜する‛真の教育’が利敵理念であることを突き止めてこの勢力の拡散を防ぐ役割をした。
彼が民衆民主主義理念の伝道者を直接認知し拘束したときじゃ、公安業務の大家である大檢の公安部長までも“民衆が主人となる国を作るというのが何の問題か”と憂慮したという。韓総連を利敵団体と規定するときは、実務部署であるソウル地検公安部から反対があり、全教組が標榜する‛真の教育’の利敵性を究明したときは、一緒に仕事をした大檢の同僚公安研究官たちも信じなかったという。
誰が未来世代の魂を取るのか?
去る10月6日、国会の国政監査場ではこのような問答が行われた。
*崔敏姫議員(新政治連合):盧武鉉(元)大統領は共産主義者ですか?
*高永宙:民衆民主主義者であると言いました。
*崔敏姫:変形された共産主義者ですか?
*高永宙:はい、私はそう見ました。
民衆民主主義の論争が韓国史教科書を超えて国会へ飛火した。‛民衆民主主義’という幽霊との戦いが歴史戦争へと拡大したのだ。‛民衆民主主義’が階級闘争論に基づいた‛変形された共産主義’であるなら、この理念に基づいた政治活動や教科書の執筆は反共自由民主主義体制では許されない。教科書改革や高永宙理事長の発言波紋を契機に‛民衆民主主義は何か、では、誰が共産主義者なのか’という論争が汎国家的に行われるはずだ。金日成勢力と韓民族との対決構図は<民族史の正統性と生の生き方をおいて争う、妥協が絶対に不可能な総体的権力闘争だ。>
権力闘争は武力闘争と理念闘争の様相を帯びる。理念闘争は、誰が韓民族を代表する正統性のある勢力であるかを決める歴史戦争の形式をとる。韓国史教科書は歴史戦争の武器なのだが、これが民衆史観で記述されたということは、反共自由民主勢力が共産主義者との戦いで負けているという意味だ。
すべての理念戦争は、政府、国民、軍隊が全部参加する総力戦、あるいは内戦的様相を見せる。朴槿恵政府が宣布した‛歴史戦争’は‛どちらが韓半島の正統勢力なのか’を決めるまで続くだろう。勝負は学父母の世論によって決定されそうだ。歴史観の戦争は、未来世代の魂を誰が取るのかの戦いであるからだ。国防部が強調したように、体制の運命をかけた歴史戦争の武器である教科書の執筆権を左傾化された国史学界と左派の顔色を窺う教育部に任せてはならない。全国家機関、全国民が参加する討論を通じて教科書の慘狀を正確に認識した後、対策を講じねばならない。
問題の核心は、韓国史教科書が果たして民衆民主主義史觀で書かれたのか、だ。この事実が、論理的に、法理的に証明されるとそのような教科書を廃棄し、筆陣を変えるべき正当性が確保される。
‛働く人が主人になる世の中'
2014年12月19日に出た憲法裁判所の統合進歩党解散決定文は‛民衆民主主義’を集中的に分析、違憲性を確認した。決定文の該当部分はこうだ(中略した部分がある)。
<民衆主権:被請求人(注-統進党)の綱領前文は、“労働者・農民・中小商工人など働く人々の要求と利害関係を反映し代弁する政党であり、彼らの知恵と力を集めて働く人が主人になる世の中を開いていく”と言いながら、“働く人が主人になる自主的民主政府を建て、民衆が政治、経済、社会、文化など社会生活全般の真の主人になる進歩的な民主主義社会を実現したい”と宣言している。進歩的民主主義は、民衆の利益に服務し、民衆に国政の方向を最終的に決定する政治的支配権・主権がある社会、つまり民衆主体の民主主義、民衆主権論に基づいた民衆民主主義と見ている。>
決定文は民衆民主主義が階級闘争論に立脚したことを確認した。
<‛21世紀の進歩民主主義’では、“自主的民主政府において民衆たちはこれ以上政治的被支配階級ではなく、政権を握った執権勢力になる”、“労働者と民衆たちが政治・経済権力を掌握し、労働者と民衆の利益を優先させ服務することを第一の課題として打ち出す民主主義体制がまさに21世紀の進歩民主主義体制なのだ”という。>
‛米・日帝国主義に抵抗する人々が民衆’
決定文は、主権の担当者になる‛民衆’、つまり‛働く人々の意味’をもっと掘り下げる。
〈綱領では変革の主体である‛働く人々’、つまり民衆に対して具体的に定義していないが、その前文に照らして‛労働者、農民、中小商工人など’と‛非正規職の労働者をはじめ、青年、女性、中小零細商工人、貧民、社会的弱者’を働く人々の例として提示したものと見られる。被請求人の主導勢力が認める民衆の具体的範囲は、労働者、農民を中心として青年学生、女性、進歩的知識人、良心的宗教家、愛国的な(下層)軍人、障害者をはじめ社会的少数者集団、帝国主義資本と国内独占資本に抵抗する中小零細商工人、米・日帝国主義に抵抗し、分断を克服しようとする統一運動勢力と言える。〉
左偏向の国史教科書は、李承晩、朴正煕、企業家、軍人、科学者、米国を押し出し、上の民衆であると規定した勢力を現代史の主人公にして国民国家の建設史を民衆の抵抗史に変えた。民衆民主主義に基づいた民衆史観で書かれたという証拠だ。
国民を階級で分けて敵対させる概念
憲法裁判所の判決文は、‛働く人が主人となる’民衆主権論が韓国社会を階級的に分裂させ、敵対させることで政権を取ろうとする階級闘争論的戦略を持っていると判断する。
〈‛21世紀の進歩民主主義’では“(変革の問題は)特権的支配権力の手中に掌握されている権力を奪って、権力の真の主人である民衆に返す作業だ。わが社会では特権的支配階級とそれに敵対する民衆(大多数の国民大衆)の主権が敵対的に対立するため、民衆の利益を中心に主権問題に接近せねばならない。”という。〉
憲法裁判所の決定文は、階級闘争論に立脚した民衆主権論は‛北韓式社会主義を追求する戦略'であり大韓民国憲法の国民主権論に違反すると判断した。
〈以上を総合すれば、被請求人の主導勢力はすべての国民に主権があるという国民主権の原理とは違って、主権者の範囲を民衆に限定し民衆に対比される一部の特定の集団に対して敵対的な関係であると設定しているため、被請求人の主導勢力が打ち出す民衆主権主義は一般的な意味としての国民を主権者と見る国民主権主義と異なると言うべきだ。〉
民衆民主主義に基づく民衆主権論が変形共産主義勢力の執権戦略であれば、民衆史観はそういう戦略を可能にする戦術だ。つまり、大韓民国を否定し北韓政権を利する目的で記述されて学校で階級闘争の戰士たちを養成する目的を持つ歴史観だ。
3大原則は憲法、事実、公正さ
民衆主権論に立脚した政策を集約的に表現したものは、2012年の総選挙と大統領選挙のとき登場した‛1対99’の扇動スローガンだった。1を特権階級、99を民衆階級と設定したスローガンだった。民衆主義で装った共産主義的(階級闘争的)世界観は1980年代以降、韓国の政治、言論、教育、文化、法曹、宗教などあらゆる方面に染みこんだ。歴史学界の左傾化を主導した韓国歴史研究会の創立趣旨文を読んでみると民衆史観の影が見える。
〈我々は今どのような歴史学を樹立し何をすべきかを決定せねばならない時点に来ています。我々は何よりも、社会の変革と進歩を実現していく主体が民衆であることを自覚し、民衆の意志と世界観に合う歴史学を追求しなければなりません。また、我々自身が変革の主体であることを確信し、この社会が抱えている矛盾を克服するための実践運動を積極的に実践していかなければなりません。1988年9月3日、韓国歴史研究会の創立者一同。〉
‛民衆の意志と世界観に合う歴史学’が作り出したものが反大韓民国の教科書だ。民衆史観勢力は歴史を学問でなく、権力闘争の手段だと看做すことが創立趣旨文によく表れている。
趙甲済ドットコムの金泌材記者は、2011年の韓国史教科書の分析した本の序文で“私に一世代の若者たちをくれ。それで世の中を変えて見せる”と言ったレーニンの言葉を引用した。彼は「反逆的教科書で洗腦教育を受けた若者たちが反逆的世代になって大韓民国体制を覆す‛紅衛兵’になる」ことを憂慮した。国民国家は歴史観を共有する共同体だ。“この国は生まれてはならなかった存在”と考える人や“敵の方がむしろ正統性がある”と確信する人が多くなれば維持できない。問題は学父母たちの選択だ。子供たちが学ぶ教科書を読んで見るだけで腹が立って我慢できなくなるだろう。やはり分かることが力だ。読んで見ないと高名な言論人であっても民衆史観の肩を持つようになる。
教科書の執筆権を国史学者たちの專有物の状態から切り離せば解決策は意外に簡単だ。
大韓民国の現代史は美化も卑下も必要としない存在だ。あったことをそのまま書けば良い。“大韓民国憲法に符合し事実に忠実で公正に記述する”ことを3大原則として立て、筆者たちの恣意的解釈の余地のないほど緻密な執筆基準(本の分量以上でなければならない)を作って、民衆民主主義者たちを排除することができる制度的装置を備えれば良い。同時に、新しい教科書が出るまで使用せねばならない現存の左偏向教科書に対する補完措置が必要だ。
www.chogabje.com 2015-10-17 12:12