あなたが気付いていない韓国の文化戦争
「大韓民国守護勢力」対「反大韓民国勢力」の理念戦争
梁東安(韓国学中央研究院名誉教授、未来韓国)
韓国では一般国民が気付いていない中、文化戦争が熾烈に展開されている。韓国社会の文化的ヘゲモニーを掌握した大韓民國反對勢力(反大勢)がいろんな領域で大韓民国の正当性を否定する観念を大衆の脳裏に植え付けるための努力を多様に展開し、大韓民國守護勢力(大勢)がそれに対して何とか抵抗している。
韓国で展開されている文化戦争は「反大勢」と「大勢」が文化の領域で展開する思想対決だ。「反大勢」は自由民主主義の政治体制と競争市場の経済体制を社会主義体制に変革しようとする思想を持っており、「大勢」は自由民主主義の政治体制と競争市場の経済体制を擁護する思想を持っている。
この文化戦争はこのように「反大勢」と「大勢」の思想対立から始まった対決だが、文化ヘゲモニーを掌握することでこの戦争の主導権を掌握している「反大勢」が、戦術的な理由から文化戦争が展開されていないかのように、思想対決がないかのように偽装しているため、一般国民は韓国で文化戦争が行われている事実に気付いていない。
歴史教科書の対立から李承晩・朴正煕論争まで
中•高校の韓国史教科書の歴史歪曲および韓国史教科書の国定化是非をめぐる論争、李承晩大統領と朴正煕大統領を批判した動画をめぐる社会的論争、いろんな映画の中に描かれている大韓民国に対する否定的または肯定的メッセージをめぐる議論、「君のための行進曲」という反体制革命歌謡を「光州民主化運動」記念式の指定曲にする問題をめぐる論争、労働改革をめぐる論争などは、すべてが思想的対立から来る文化戦争の戦域だ。
韓国社会で文化戦争が行われている事実を自覚している国民も、「反大勢」が文化のヘゲモニーを掌握している事実を認める人は多くない。「反大勢」が文化ヘゲモニーを掌握しているという筆者の見解について多くの人々は「彼らを過大評価したのではないか」という反応を見せる。だが、「反大勢」の文化的ヘゲモニー掌握に対する彼ら自身の評価と韓国社会の状況を見れば、「反大勢」が文化ヘゲモニーを掌握している事実は疑う余地がない。
進歩政治連合の機関紙「進歩」の1994年9月号に、進政連の馬山昌原支部長のユビョンイルの“前進するのか、後退するのか”という文が載ってある。その一部を紹介する。
“(私たちの)文化力量と言えば世界最高だ。...文益煥牧師の話だが、ヨーロッパへ行った文化活動家たちが確認したところによれば、文化運動を見るなら韓国へ行けという話が公然と言われているという。実際に私たちの周りを見ても、様々な分野で陣地が建設されている。さらに学界を見ても進歩的な学者たちは一つの思想的潮流として定着した。産業社会研究会や韓国社会科学研究所などの研究団体、<ハンギョレ新聞>、月刊<マル(言葉)>、月刊<社会評論「道」>、そして数多くのムック、出版社、長山串メをはじめとする映画集団、民族劇、民衆美術、民衆音楽、さらにコンピュータ同好会まで、ないものがない。問題は、このようなイデオロギー生産集団が強力な政治的指導を受けていないことだ。だから、アントニオ・グラムシが蘇ったら間違いなくこう言うはずだ。‛私が言った(強調した)ことはすべて韓国にある。党を除けば’。”
上の文はすでに1994年に、いわゆる「進歩」勢力自らが、自分たちが文化のヘゲモニーを掌握したと評価していたことを物語っている。それから20年が経った。20年間この国では「進歩」勢力が継続的に拡大され、特に文化部門への彼らの進出は特に強力に進められた。
以上の「進歩」勢力の自己評価、20年という年月、今日の韓国文化界の全般的左傾化現象などを見れば、いわゆる「進歩」勢力が韓国社会の文化ヘゲモニーを掌握しているだけでなく、彼らのヘゲモニーが非常に鞏固になったことを認めざるを得ない。
韓国社会を牛耳っている、いわゆる「進歩左派」勢力
「進歩勢力」が文化的ヘゲモニーを強固に掌握していることは、文化的ヘゲモニーを掌握した彼らを社会全体が「進歩勢力」と美しく肯定的に呼んでいる事実一つだけでも十分立証される。
韓国で「進歩勢力」と呼ばれる人々は、社会主義者と親社会主義的思想傾向を持っている人々だ。進歩とは英語のProgressの訳語で、Progressは「事物の状態がより良く変化すること」を意味する。
韓国人たちが社会主義者および親社会主義を進歩勢力と呼称するのは韓国人たちが社会主義化を「社会がより良い状態に変化すること」と認めているのを意味する。言い換えれば、彼らを「進歩勢力」と呼ぶこの国のすべてのメディアと国民がこの国の社会化を支持するという意味になる。
社会主義者たちは、社会主義化こそ社会がより良い状態に変化することであると信じる人々だから、社会主義勢力が自らを「進歩勢力」と名乗るのは論理的に妥当だ。また、社会主義国ではすべての言論媒体と国民が社会主義者たちを進歩勢力と言うのは論理的•法理的に妥当だ。
ところが、社会主義国家でもないこの国で、しかも、今も圧倒的多数の国民が共産主義に反対し、社会主義化の宣伝•扇動行為を処罰するようになっているこの国で、すべての言論媒体と多数の国民が社会主義者や親社会主義者たちを「社会をより良くしようとする人々」という意味を持つ進歩勢力と呼んであげるのは論理的に妥当でないだけでなく、法律的にも問題のある言動だ。
それにもかかわらず、論理と法律を無視し、すべての言論媒体と多数の国民、甚だしくは法執行機関の公務員まで、彼らを「進歩勢力」という美しく肯定的な呼び方で呼んでいることは驚くべきことで、この驚くべき現状は社会主義者および親社会主義者たちが文化のヘゲモニーを掌握していなければあり得ないことだ。
なぜ、文化の領域では反共を言うのがタブーなのか
他にも、いわゆる「進歩勢力」がこの国の文化ヘゲモニーを掌握したことを確認できる事例は数えられないほど多い。国民の圧倒的多数は共産主義に反対している反面、文化の領域である学界、言論界、文芸界などでは「反共」を主張することはほとんどタブー視されている事実は、この国の存立に絶対同盟国である米国と、この国を滅亡させようとする敵である北韓を同時に呼ぶとき、北韓を米国よりもっと重要視する呼称である「北•米」と呼称する事実、経済的効率性を切実に必要としているこの国で、「経済正義」と「経済民主化」が圧倒的キャッチフレーズとして主張されている事実、反大韓民国の観点から大韓民国の歴史と現実を批判した書籍らが勧奨書籍として奨められている事実、思想対立という用語使用の忌避、など等。
いわゆる「進歩勢力」が韓国の文化的ヘゲモニーを掌握していることは、「反大勢」が文化ヘゲモニーを掌握している事実に繋がる。なぜなら、「進歩勢力」内のヘゲモニーを「反大勢」が掌握しているためだ。「進歩勢力」を細分すれば、従北分子グループ、非従北共産主義者グループ、民主的社会主義者グループ、社会民主主義者グループ、親社会主義者グループなどに分けることができる。
この中でヘゲモニーを掌握したグループは、従北分子グループ、非従北共産主義者グループ、民主的社会主義者グループなどで、彼らは明らかに大韓民国に反対する勢力だ。このように「反大勢」が「進歩勢力」のヘゲモニーを掌握しているため、「進歩勢力」の文化ヘゲモニー掌握は「反大勢」の文化ヘゲモニー掌握になる。
反大韓民国勢力は、この文化的ヘゲモニーを活用して大韓民国を倒すための文化領域での闘争を効果的に展開している。まず、彼らは大韓民国を解体することを目標とした闘争を、そうでない活動のように装って展開している。
彼らは大韓民国の歴史と体制を批判し、大韓民国の安全を害する意識を国民の脳裏に植え付ける過程で、一挙に総体的に洗脳する戦術をとらず、多様な媒体とチャンネルを利用して分離して時差を置いて断片的に洗脳する。
「反大勢」の時間差攻撃にぐらつく「大勢」
比喩すれば、日曜日には映画を通じて「大」を浸透させ、月曜日には歌謡を通じて「韓」を、火曜日にはTVドラマを通じて「民」を、水曜日には知識人のコラムを通して「国」を、木曜日には絵を通じて「打」を、金曜日には小説で「倒」を浸透させる。
このような戦術をとるため、一般人はそういう侵入攻撃に気付かず、批判的観察者たちさえも彼らの1回の攻撃の内容のみを断片的に見れば、すべてが寛容の限界を逸脱していないと判断する。しかし、彼らの洗脳対象である大衆の脳裏には、彼らが浸透させたメッセージが累積され総合されて「大韓民国打倒」となる。
「反大勢」はこのように文化的ヘゲモニーを利用して狡猾な戦術で攻撃を加えているのに対し、それに対抗する「大勢」は攻撃をまともに阻止できずにいる。大韓民国国民のうち、「大勢」に属する国民が「反大勢」国民よりけた違いに多いが、その中で文化戦争の問題点を把握している人々は少なく、文化戦争に参加して「反大勢」と闘っている人々は極めて少ない。それさえも組織化されていないため総合的な戦略•戦術や闘争において分業的協力などは考えも及ばない。
「大勢」側のこのような問題点が改善されないと、韓国の文化戦争での「反大勢」の勝勢は続くだろう。文化戦争での「反大勢」の勝勢は今、市民社会においての「反大勢」の優勢にまで拡大されている。この趨勢が続けば、遠くない将来に必然的に政治•経済分野での「反大勢」の優勢または勝利に繋がる。文化戦争に対する「大勢」側の反省と戦力強化が切実に要求される。
*本記事は時事週刊紙<未来韓国>固有のコンテンツです。
www.futurekorea.co.kr 2015.10.02 11:41