「光州事態」有功者の中に182人の「グァンスたち」はなぜないのか?
金泳三元大統領の「5.18特別談話」が約束した措置をどの政権も履行していない。
孫サンデ大記者 ssd5178@hanmail.net
ニュース・タウン 2015.09.25 17:26:49
1980年5月18日の光州事態に関する新しい真実が登場しながら、聖域化された光州の城が崩れ始めている。今まで「光州事態」のとき北韓軍が来ていたという多くの証言者との証言、資料があったにもかかわらず、大衆はそれを信じようとしなかった。
だが、ニュースタウンとシステムクラブがここ5ヶ月間地道に「グァンス」(*北韓特殊軍)たちを公開し、彼らが誰なのかを「5.18団体」に回答を要求してから雰囲気はがらりと変わっている。
大勢の人々は“光州事態団体や当時市民軍として活動したという人々すら182人のグァンスたちが誰なのか分からないのは結局、彼らが北の特殊軍を意味する”ということに認識を共にしている。
こういう状況の中で宗教人や光州事態団体などが「北韓原典」の写真を利用して大韓民国国軍の名誉を毀損し、さらに空挺部隊を悪辣で残虐非道な暴徒と決めつけ凌辱してきたことも明らかになった。
▲北韓原典『ああ!光州よ!』
ニュースタウンは9月8日付の報道で、カトリック光州正義平和委員会が1987年に配布した5.18写真資料集『5月のその日がまた来たら』が北韓原典であることを、統一部資料を根拠に証明した。
ところが、この写真はカトリック光州正義平和委員会だけでなく、光州事態に関する多くの団体、書籍、広報資料、歴史資料などに繰り返し使われてきたことが確認された。
ニュースタウンの調査によればこれらの写真は、▲全羅南道社会運動協議会が出した黄晳暎著『死を超えた時代の闇を越えて』(プルビット、1985)、▲光州毎日の正史5.18特別取材班の『10日間の抗争』(社会評論、1995)、▲崔丁云著『五月の社会科学』(プルビット、1999)、▲金正男著『同胞よ何をしているか』(生活聖書、2002)、▲康俊晩著『韓国現代史散策』(人物と思想、2003)、▲ジョンソクファン『秘話/5.18当時、情報部全羅南道支部長ジョンソクファンの備忘録』などの内容と『5月のその日がまた来たら』の写真が一緒に光州事態の広報や残酷像を宣伝するのに利用された。
前述した通り、カトリック光州正義平和委員会が配布した5.18写真資料集『5月のその日がまた来たら』の写真は、「韓民戦」(*韓国民族民主戦線、平壌側はこの組織が統一革命党の後身だと主張)平壌代表部が配布した『ああ!光州よ!』の写真と編集を変えただけの同じものだ。したがって、統一部も北韓資料センターに保管しながら、これらを「北韓原典」として分類しておいた。
しかも、これらの写真を使用した人々自身も、写真の中の死者が誰なのかが分からないまま、頭がのこぎりで切られた写真などを並べることで見る人の感情を極度に刺激している。
これらの写真は、空輸部隊の仕業なのかが確認されたことのないまま、現在、北の特殊軍が南に来なかったと主張する勢力のブログやインターネット・カフェなどに無数に掲載されている。
大韓民国国軍の名誉を護るべき国防部と陸軍はこの問題を是正し、国軍の名誉を35年間も毀損してきた勢力に対して責任を追及し処罰せねばならない。
このように『5月のその日がまた来たら』の写真はもちろん、ニュースタウンが報道した182人のグァンスたちすら検証されずにいる事実から見れば「5.18有功者」の選定には問題があると言える。
「光州事態関連有功者」選定に関わる疑惑は以前から言われてきた。1987年の「光州事態聴聞会」のとき、李海瓉議員(平民党所属)は、国会の光州事態特委の聴聞会で戒厳軍が光州市民を無残に虐殺したと言いながら証拠写真を提示したが、それが出鱈目なものだった。
▲写真:李海瓉議員が提示した写真は1969年にあった黒山島対間諜作戦(*黒馬作戦)で、国軍が黒山島に潜入していた北韓武装ゲリラを掃討した写真だった。ⓒニュースタウン
当時、李海瓉議員が提示した写真は1969年にあった黒山島での対間諜作戦(別名黒馬作戦)で、国軍が黒山島へ頻繁に潜入していた北側武装ゲリラを掃討した写真だった。
金大中氏は大統領になってからこの李海瓉議員を「光州事態」有功者として褒賞し、彼を教育部長官にまで任命した。そのため、李海瓉議員は光州事態の「市民軍」に対して何も知らないで「5.18有功者」待遇を受けたと指弾された。
聴聞会の後、多くの国民は光州事態が「民主化運動」になるためには、△光州矯導所を6回も攻撃した者らは誰か、△武器の奪取は誰の指示によることか、△死亡者のうち身元不明者は大韓民国国民なのか、△銃傷死者の中で市民軍が所持した銃で70%近くが死亡したが、銃を撃った者は誰なのか、△市民軍として主導的に活動し2億ウォンの補償金をもらった後、北へ逃げた尹ギグォンは誰か、△1980年5月15日、全羅南道宝城郡得糧面の海岸に上陸してソウルで逮捕されたスパイ李昌龍(本名;洪ジョンス)の実体を公開するよう要求したが、当時の政治的環境のため徹底に無視された。
また、補償問題専門家たちは、他の国家有功者は通常、身体障害等級を区分して身体障害等級7等級以上から有功者年金をもらうのに、「光州事態」有功者は不思議にも14等級(親指と人差し指を除く他の指1本以上のときも14等級とみなす)からもらっていると疑問を提起した。
「(光州事態)5.18有功者」の功績内容に対する情報公開請求への当局の対応も呆れる。池萬元博士が報勲処に情報公開を請求したが、報勲処の回答は信じられないものだった。
報勲処は“有功者に関する功績調書資料が光州に保管されているため、(情報公開請求を)光州へ移牒する”と言った。国が保管すべき資料を光州に任せたのだから、「有功者」に対する功績調書の公正さや透明性も期待できない。
歴史学者たちは“光州事態有功者の功績に関する一切の資料を、政府ではなく民間団体が保管していることは常識を無視した措置”と言い、“正常な国ではあり得ないこと”と指摘する。
今も光州事態有功者たちの功績事案に対する疑惑が払拭されていないことを考慮し、今でも182人のグァンスたちや、写真集『5月のその日がまた来たら』に載っている犠牲者を含んで、皆の功績が事実なのかを見直し、その結果に相応する補償を行なうべきだという指摘は正しい。
1993年5月13日、金泳三大統領は青瓦台で特別談話を通じて“1980年5月の光州の血はこの国の民主主義の捨て石となった”、“死者と行方不明者および負傷者であるのに、まだ法律によって補償を受けていない方々のため追加申告機会を与える”と発表した。
金大統領はまた、“その方々がこの国の民主化に献身しただけに、堂々と名誉が回復されるようにする”と言い“歴史の中で真実は必ず明らかになるというのが私の確信である”と強調した。
金前大統領の談話内容によれば、写真に写っている182人のグァンスたちはこの国の民主主義の捨て石になった。したがって、政府は当然彼らを探し出して相応する補償をすべきだ。そうしてこそ“この国の民主化に献身しただけに、堂々と名誉が回復されるようにする”と言った金元大統領の約束が守られるのだ。
ニュースタウンは、グァンスたちが北韓特殊軍でないなら、金大中、盧武鉉、李明博政権も履行していない、182人のグァンスたちに対する名誉回復と補償を朴槿恵政府がどう決めるのかを見守る。
<著作権者©ニュースタウン無断転載および再配布禁止>
www.systemclub.co.kr 2015-09-25 20:49