北韓軍より中国軍の銃で殺された国軍がもっと多い
趙甲済
韓国軍師団の中で戰死者が最も多い部隊は8師団だ。1万8402人だ。2番目は第7師団(1万4569人)、3番目は6師団(1万4320人)だ。この3つの師団は北進のとき中共軍の奇襲攻撃を受けて大きな被害を出した部隊だ。韓国戦争で韓国軍は約15万人が戦死した。北韓軍より中共軍に殺された国軍と米軍がもっと多い。1950年10月の下旬、中国軍が戦場に現れた後、国連軍の戦死者がその以前より多いためだ。1950年10月下旬から1953年7月27日休戦まで中共軍が主力で北韓軍は助役だった。この中共軍はいつも韓国軍が弱いと見て集中攻撃した。
国軍捕虜も中共軍に捕まった数字がもっと多かった。1952年のスターリン・金日成・周恩来の会談記録によれば、1952年9月現在、北韓軍が捕らえた国軍捕虜は3万5000人だった。この会談で中共軍司令官・彭徳懐は、中共軍が別途に4万人の韓国軍を捕虜にしたと言った。
1953年停戦から1954年1月までに8343人の韓国軍捕虜だけが送還された。国連の北韓人権委員会報告書は、金日成と彭徳懐がスターリンに報告した数字から送還捕虜数を引いた結果、最低5万人の韓国軍捕虜が不法に抑留されたと推定した。そのうち、約500人が生存していると推定した。
毛澤東伝記『毛の秘話(The Unknown Story Mao)』(ニューヨークアルフレッドA.スミノフ出版社、2005年)の著者であるユン・チアンとジョン。ハリデイはソ連の文書を引用して毛沢東が国軍捕虜を送還しないよう金日成を圧迫したと主張した。
朴大統領は、日本に対しては侵略歴史に対する反省を粘り強く要求しながら、中国の侵略歴史に対しては今回の戦勝節参加で免罪符を与えた。北進統一を阻止、1・4後退と離散家族、興南撤収の悲劇、国軍捕虜の不法抑留など韓民族に最大の不幸を強いた「侵略者」中共軍の行事に賀客として参加するなら、国民に事情説明をすることが最低限の礼儀だった。このように低姿勢の朴大統領を通じて、中国は韓国を過去のように属国として対し、北韓崩壊のとき再び中共軍を投入しても抵抗がないだろうと誤判したかも知れない。
毛澤東が国軍捕虜6万人の抑留を指示!
近年出版されて世界的な話題となった毛澤東の伝記『毛の秘話』(The Unknown Story Mao。ニューヨークアルフレッドA.ノフ出版社。2005年)を読んで驚くべき件を発見した。今、中国政府が国内販売を禁じた伝記の著者は「ワイルド・スワン」(Wild Swans)のユン・チアンとジョン・ハリデイだ。ユン・チアンは英国のヨーク大学で博士号を受けた中国人女性で、ジョン・ハリデイは英国キングスカレッジの先任研究員出身著述家だ。
二人は10年間、中国やロシアなど各国の文献を調査し多数の人物とインタビューして毛澤東の素顔と罪悪像を814ページの大作で描いた。著者たちはロシア側の外交資料を引用して約6万人の韓国軍捕虜を北韓に不法抑留するよう指示したのは毛澤東だったと書いた。
毛は韓国戦争の休戦会談で、米国側が2万人ほどの中共軍捕虜を自由意思によって選別送還すると通告するやこれを拒否し戦争を続けた。毛は中共軍捕虜を本人の意思とは関係なく無条件送還すべきだと主張した。中共軍と北韓軍が途方もない人的損失を被っていても、毛沢東は休戦に反対したと伝記は書いてある。毛は降伏した蒋介石軍を韓国戦争に投入して消耗させようとしたと書いた。
1952年6月14日、金日成が毛澤東に電文を送って“米軍の爆撃が北韓全域を廃墟にしている。米国側の妥協案を受け入れて休戦したい”と提案したとき、毛は“中共軍と北韓軍が人命損失を通した米帝国主義者との闘争経験を積み鍛えられるという利点がある”と冷酷に断った。
ユン・チアンとハリデイは、韓国の左翼が今も主張する、米国の細菌兵器使用説は毛澤東が捏造したもので、ソ連の指導部がこの捏造に対して厳重に抗議し謝罪させたことをソ連側の外交文書を根拠に究明した。
1953年5月2日、ソ連政府が毛澤東に送った抗議電文の要旨はこうだった。
<ソ連政府と共産党中央委員会は騙されてきた。米国が細菌兵器を使用したという情報は虚偽だ。中国はこの主張を撤回しなければならない。この操作に関係したロシア人は厳重に処罰される>
ソ連秘密警察の責任者ベリアは平壌駐在のソ連大使VNラジュバーエフを召喚して拷問までしたという。北京駐在のソ連大使クズネツォフは5月11日の深夜、毛澤東と周恩來を訪ねてこの電文を伝えた。クズネツォフが本部に報告した電文によると、毛は「米軍が細菌兵器を使用したという宣伝は、中国軍司令部の報告をもとにしたものだ。事実であるかどうかを究明するのは難しい。もし虚偽と確認されれば、その報告を信じてはならない」と言ったが、非常にイライラした様子だった。
ソ連政府は平壌駐在代理大使のSPスダレフを通じて、北韓側に細菌兵器関連宣伝を中止するよう勧告した。この通知を受けた朴昌玉、国に責任を転嫁しながら「その細菌弾は中国飛行機が投げたかもしれない」と述べたという。ユン・チアンとハリデイは、ソ連は韓国戦争の休戦に反対する毛を圧迫するため細菌兵器使用説捏造を利用し、毛は直ちに停戦に応じるよう部下に命じたと書いた。
ユン・チアンとハリデイは、北韓軍総参謀長・南日のソ連軍顧問団長だったバレンティン・ソジノフ将軍と北韓陸軍医務司令部の顧問団長だったイゴル・セリバノフをインタビューしたが、二人とも「米軍が細菌戦をしたといういかなる証拠も発見できなかった」と述べた。中国は今も米軍が804件の細菌攻撃を行なって81人の中共軍と北韓兵士が死んだと主張している。
この本はまた、ロシア側の外交文書を引用して当時、北韓軍の指揮権を行使していた毛澤東が金日成に「休戦当時不法抑留していた6万人の韓国軍捕虜を抑留するように通報したことで、彼らを悲惨な運命に落とした。捕虜たちは外部に露出されず脱出もできないように北韓の僻地に送られ、生存者がいるなら今もそういう所で住んでいるだろう」と書いた。毛沢東は中共軍捕虜2万1374人のうち3分の2が中共への送還を拒否して台湾で行ってしまったことに対する報復を韓国軍捕虜にしたのだ。二人の著者が国軍捕虜抑留関係に引用した文書は、ロシアで2000年に出版された『極東問題研究』(Problemyi Dalnego Vostoka)の第2巻に掲載された、アレナ・ボールコバ(Alena Volokhova)の『韓国戦争の休戦会談』(1951-1953)という論文だ。
この毛澤東伝記によれば、韓国戦争で戦死した中共軍は約40万人で延べ300万人が参戦した。公式発表では戦死者が15万2000人だが、鄧小平が日本共産党の指導者たちに打ち明けた数字が40万という。
この伝記はまた、毛澤東は降伏した蒋介石軍を消耗させ、スターリンから大規模の武器援助を引き出すため金日成に南侵を促し、また参戦したと主張した。この伝記は、また毛澤東治下で、大飢饉で3800万人など総7000万人が毛の虐政で死亡したと書いた。
ところで、盧武鉉大統領は2003年、中国を訪問して大学生たちに講演した後、質問に答えて自分は毛澤東と鄧小平を最も尊敬すると言った。
www.chogabje.com 2015-08-29 16:59