「テポドン-2号」の2段ロケットはロシアの潜水艦発射ミサイル
2段ロケットの原型は旧ソ連がヤンキー-I級の核推進潜水艦に搭載したSS-N-6
金泌材
日本のH2Aロケットに匹敵する「テポドン-2号」の推力
少なくない韓国メディアと對北専門家たちは北韓のミサイル生産技術を過小評価する傾向があるが、ロシアと中国のロケット専門家たちは、韓国のロケット開発技術が北韓より7年〜11年ほど遅れていると評価する。ナロ号発射で分かったように、韓国は1段階ロケットの開発能力がなく、北韓と軍事協力関係にあるロシアの技術に全的に依存している。
北韓のミサイル開発能力に関して、北海道大学測量学科の日置幸介教授チームは2010年、GPSデータを分析して「テポドン2号」の推力を分析したことがある。
当時の分析結果によれば、北韓が2009年4月に発射した「テポドン2号」の推力は、1998年に発射した「テポドン1号」の約8倍に達するものと推定された。日置教授は「テポドン2号」が発射されて6分後に上空265kmに達したと見たが、数値通りなら「テポドン2号」の1段推進体の推力は日本の衛星打ち上げロケットであるH2Aに匹敵する。
このような理由から、英国の軍事専門誌<ジェインス・インテリジェンス・レビュー>は「テポドン2号」の最大射程を9600㎞と評価した。米情報当局は「テポドン2号」に推進体を追加で取り付け、弾頭の重量を軽くすれば最大射距が1万5000㎞に達して、事実上北米全域が北のミサイルの射程圏に入るという分析を発表したことがある。米議会調査局(CRS)も2009年、報告書を通じて北韓が2006年を基準として20基以上のテポドンミサイルを生産したと発表した。(出典:Steve A. Hildreth, North Korean Ballistic Missile Threat to the United States, Congressional Research Service, February 24. 2009)
「テポドン-2号」の1段ロケットは中国のDF-3ミサイルと類似
3段ロケットである「テポドン2号」の1段ロケットは、中国のDF-3(CSS-2)か類似系列のDF-4(CSS-3)ミサイルを改造したもので、2段目のロケットは旧ソ連が開発したR-27潜水艦発射多弾頭核ミサイルだ。3段目のロケットは北韓が独自開発したものであると知られている。
つまり、「テポドン2号」の1段ロケットに使われた中国のDF-3(旧ソ連のR-14Chusovayaミサイルの複製)は1954年に開発されて1971年に実戦配備されたミサイルで、当初なフィリピンの米軍基地を攻撃するため設計された。DF-3ミサイルの誘導方式は、初期に地上送信のラジオ指令誘導方式だったが、後に慣性誘導システムに変わった。推進機関は4つのYF-2エンジンで構成された。DF-3の改良であるDF-3Aは1986年に配置されており、射程距離が3000km(弾頭重量2000kg基準)にのびた。
中国と北韓のミサイル開発協力は、北韓とロシアのミサイル協力関係ほど長い。1975年4月17日、金日成は中国を訪問して弾道ミサイル開発技術を北韓に提供するよう中国に要請し、両国はDF-61ミサイルを共同開発することで合意した。
当時のプロジェクトの総責任者は陳錫聯将軍(天安門事態鎮圧責任者)だった。北韓はDF-61の開発を通じて、ミサイルの誘導システム技術を習得した。また、公式的にはDF-61開発が中止されたにもかかわらず、ミサイルの開発に参加した北側科学者たちは中国に残留してミサイルの設計に関する十分な知識を習得した。
1960年代に中国とソ連が理念対立にもかかわらず、ソ連が中国にミサイル技術を制限的ではあるものの提供したように、中国は北韓にミサイル技術を提供した。(出典:John Wilson Lewis and Hua Di,‛Beijing's Defense Establishment:Solving the Arms Export Enigma,’ International Security, Fall 1992、pp。5-40)
例えば、北韓は1980年代の初め、エジプトが提供したスカッド-B(ソ連のR-17Eと同型)短距離ミサイルのリバースエンジニアリングおよび生産過程で、中国からミサイルのエンジン設計、冶金、胴体製作などの技術を伝授されたことがある。
「テポドン-2号」の2段ロケットはソ連の潜水艦発射多弾頭核ミサイル
「テポドン-2号」ミサイルと関連して最大脅威となる部分は2段階ロケットとして使用されているR-27(以下、SS-N-6)潜水艦発射多弾頭核ミサイルだ。北韓は2012年12月12日に打ち上げた「銀河-3号」ミサイルの1段と2段目のロケットを共にSS-N-6ミサイル・エンジンを使用した。
このミサイルの存在がマスコミに初公開されたのは2003年9月8日だった。米国の偵察衛星が平壌近郊の美林飛行場で発射台に取付けられた状態のこのミサイル10機ほどの写真を撮った。
実際、このようなミサイルが開発中との情報はすでに1990年代末から2000年代初めに、韓米美情報当局も入手していたが、実際に撮影された写真は予想をはるかに超えるものだった。理由は「潜水艦発射弾道ミサイル」(SLBM)の形をしていたためだった。
韓米情報当局はこのミサイルの原型を旧ソ連のヤンキー-I級核推進潜水艦に搭載したSS-N-6潜水艦発射弾道ミサイルであると評価した。
SS-N-6ミサイルは事実上、旧ソ連が初めて実用化した潜水艦発射弾道ミサイルで、米国の「ポラリス」(Polaris)潜水艦発射弾道ミサイルに対応するミサイルだった。SS-N-6は旧ソ連が開発した潜水艦発射弾道ミサイルの中で初めて水中発射が可能だった。
北韓が旧ソ連の潜水艦発射弾道ミサイルを国産化することができた経緯はこうだ。北韓は以前、SS-N-6の開発前(1992年)の潜水艦発射弾道ミサイルであるSS-N-4とSS-N-5の開発に参加した旧ソ連のミサイル技術者たちを隠密に雇用しようとしたがロシアに阻止された前歴がある。
その後、北韓は1990年代初め、朝総連を通じて旧ソ連極東艦隊が使用したゴルフ級潜水艦をスクラップして既存の潜水艦の修理部品の確保という名分で持ち込むことに成功した。
⋆この文は『韓国論壇』 2013年2月号に寄稿した論文一部です。
www.chogabje.com 2015-04-30 15:43