5.18光州事態」の示威隊に対する2審と3審判決の差異

池萬元

1996年のソウル高等法院(裁判長権誠)は“光州示威隊は憲法を守護するために結集された準憲法機である。全斗煥など新軍部がこれを武力で弾圧した行は、内乱に該する”と判決した。憲法機の機能を低下させる行内乱と規定したため、準憲法機を武力で鎮圧した新軍部の行内乱ということだ。


 1997
年に、同じ光州示威隊に対して大法院(最高裁判所、裁判長・尹錧)は“光州示威隊を準憲法機と規定するのは無理だろうが、光州示威は新軍部の内乱に抗議する正な行だったのに、これを暴に制したのは憲法機である大統領と閣を強圧し恐怖で震えるようにする果を出したため、国憲紊乱(内乱)である”と文章をえた。事上、同じ話だ。

大法院の判決はもっと喜劇的だ。光州示威隊は新軍部の内乱から憲法を護ろうとした正な行だったが、このように正な行を新軍部が暴に制することを大統領と閣が見るだけで強圧を感じて恐怖に震えたため、大統領と閣の憲法機能を正常に遂行できなくなったため、これがまさに内乱であるという判決なのだ。

むしろ、大法院の判決がはるかに荒唐だ。それで、筆者は事上同じ内容であるため、明は複な大法院の判決を引用せずに明が平易な高裁の判決を代表として使用するのだ。

光州事態鎮圧は戒司令官である李熺性が崔圭夏大統領に刻と報告し指示を受けて遂行したものだが、ソウルにいる崔圭夏大統領とソウルにいる閣の全員が新軍部の光州鎮圧過程を見て怖気づき萎縮されて各自の憲法機能を遂行できなくなったが、これがまさに内乱と判決したため、この判決文をんで裁判部を嘲笑しない民がどれほどいるだろうか。

ところが、私は究した事は、州示威隊は北韓特殊軍600人が主導した示威であるため、憲法を守護するため結集された結集体ではないということだ。上の二つの裁判部は、北韓特殊軍の侵略行を憲法守護行と判決したのだ。

http://www.systemclub.co.kr 2015-04-06 13:50

更新日:2022年6月24日