5.18」の光州、その祖は北韓

池萬元


5.18光州を聖地として守る人に「5.18真実」に関する対国民報告大に参加するよう招待した。彼らはまだ答えていないが、光州の新聞らが答えた。

この報告大会の告討し、5.18真実は黄晳暎の本が記録しているから、まもなく補版を大的に出版し、大韓民の法院・行政府・国会が全部「民主化運動」であると認め遇と補償をしているため、それ以上説明することがないという。

国家が黄晳暎の本の容を「5.18」の真実であると認めて名を尊重し補償しているということだ。しかし、黄晳暎の本は北が作り上げたデマの総覧だ。黄晳暎の本は、察の査記と正面から背馳する。そして、その容が利敵的だ。

5.18真実査記録の中にある。光州の「5.18」を守る人査記が嘘で、黄晳暎の本だけが真実だと言い張る。5.18記念財団は『アジアジャナル』を刊している。2014年春の第84ページにはこういう表現があるという。

“抗期間中、22日から27日までも5日間は、市民たちの自力で戒軍を退けて光州を解放にして、世界史の中で見られない自治共同体も現しました”


 これはどういう意味か。518日から21日までは光州市民がやった示威ではないという意味だ。私の分析によると、最初の4日間は北韓特殊軍の雷作
期間で、雷作に押されて戒軍が521日、市の外郭に撤した。22日から27日までの6日間、光州は空っぽになっていて北韓特殊軍は行方をくらまして覆面をしたまま要所要所に現れて決死抗を煽った。良識のある市民たちは彼らを不審に思い戒軍の光州市への再進入を要請した。

軍も北特殊軍もいなかった全南道庁に522日、光州の有志たちがやってきて武器の返却からやりましょうと言いながら「雷作戦」の主人公たちを必死に探した。しかし、身元を隠さねばならない特殊軍はついに現れなかった。

道庁に集まった大人たちと少の非左翼系の大生たちは、522日から25日の夜くまで4日間、戒軍との協商方案と武器返却問題をめぐり争いばかりした。これが光州人たちの素顔だ。彼らは「雷作戦」ができる人々ではなかった。

そういう状況で道庁には尹祥源(尹開源)-尹宗培-朴南宣のような過激な20代に入って、戒軍に降伏しようという柔和派と大人たちを拳銃で脅して追い出した。

念のない10代と20代の光州地域の下層民たちが通りかかりに入ってきてはこれらの硬派に説得されて526日のと夜に「機動打撃隊」を作り、自らを抗本部とし、戒軍に対して決死抗を宣言したが、27日未明1時に戒軍の極秘作を招いた。

軍に捕まった暴徒たちはまさに26日のと夜に道庁にいた念のない10代と20代のヒトリガたちで、戒軍に捕えられなかった人は、518日から21日までの4日間、雷作を遂行した北韓特殊軍である。光州では彼らを延世・高麗大生600人と呼んだ。

19の尹・ギグォンが「民主化の功労」2億を受けたから、次の雷作戦の主役たちにはどれほどの補償が支給されるべきだっただろうか? 20指揮部を奇襲して師長ジプを含めジ14台を奪取してこれを運してアジア自動車工場に直行して威を見せてから装甲車4台と軍用トラック374台をあっという間に奪った雷作戦の主役たち。


 装甲車4台を同時に運
して去った雷たち、374両の軍用トラックをリハサル通りに全南地域44個所の武器庫へ走らせて2個連隊分の武器をわずか4時間で奪取した雷たち。矯導所(刑務所)6回も攻した雷たち。この雷たちは少なくとも1人当たり10億以上貰えたはずだが誰ももらった人はいない。

5.18記念財はこの「雷作戦」を光州人たちが遂行しなかったと『アジアジャナル』を通じて告白した。戒軍を追い出した存在は北韓特殊軍で、退却させた時刻は21日の午後5時だ。それにも、『アジアジャナル』は光州人たちが22日から27日に戒軍を追い出し、光州を解放にしたと自慢する。522日から27日はヒトリガたちが道庁に集まって口喧嘩ばかりしては戒軍に征服された期間だ。

光州で死んだ人70%以上は北韓軍によって殺された。「5.18」は北韓特殊軍のゲリラ作だった。光州には示威隊もいなかったし、示威を組織した人もおらず、示威を指揮した人もいない。武力示威は北軍がやり、光州のヒトリガたちが付和雷同して牲になった。

光州はこれを知りながらも北韓の犯罪を庇っている。5.18の光州は大韓民の建を否定し愛歌を否定する。5.18の光州は、北韓の督府であり大韓民の上に君臨してきた。民の金を盗んで贅な暮らしをしてきた。彼らは大胆にも家と民を欺罔した。

http://systemclub.co.kr 2015-03-15 22:00

更新日:2022年6月24日