第7回レーダー

書評論文:張相秀・片山修著『サムスン・クライシス』文藝春秋、20151

                                       亜細亜大学アジア研究所嘱託研究員   

野副伸一

 

年々経常利益を過去最大に増やし続けて来たサムスン電子は、昨年(2014年)に入って「大きな岐路にさしかかっている」と言えよう。大きく言って、二つの理由がある。

第一の理由は、李健熙会長の急病で、三代目李在鎔氏への事業継承問題が急浮上していることである。李健熙会長は1987年、創業者李秉テツの死去に伴い、後継者としてサムスン電子の経営に携わり、「新経営」等積極果敢な経営を推進することで、サムスンの事業規模を飛躍的に増やし、サムスンを世界的企業に躍進させた、正にカリスマ的経営者であった(注1)。その李健熙会長が昨年5月急性心筋梗塞で倒れ、今なお療養中である。以前のような形では経営に復帰できないものと現在は見られている。そのため後継者問題が急浮上している。後継者である長男の李在鎔氏については経営者として未知数であり、大きくなり過ぎたサムスングループを維持・発展させていけるかどうかに大きな不安を残している。

第二の理由は、ドル箱であったスマホ事業に陰りが出始めたことである。2013年に連結営業利益の約7割を占めていたスマホ等のIT事業のシェアーと収益が14年に至り、大きく減少した。特に第3四半期(7~9月)には前年同期に比べ、収益が60%も減った(注2)。サムスンの失速が鮮明になったのである。値引きによる販売単価の大幅下落、聯想やシャオメイ(小米)科技といった中国企業の追い上げ等が原因と見られる。李健熙会長はかねてから「今後10年以内にサムスンを代表する製品は、大部分なくなるだろう」と危機感を募らせていたが、その危機が早々と出現したのである。サムスンは2010年に太陽光発電システムの開発等、五大新規事業の推進計画を発表しているが、それが軌道に乗る前に既存事業の不安が顕在化したのである。

そういう状況の中で、『サムスン・クライシス』というタイトルの本が今年1月に発売された。タイムリーな発売と言える。本書は経済ジャーナリストの片山修氏が聞き手となって、サムスン経済研究所の専務(人事組織室長)にまで昇進した張相秀氏を相手に、サムスンの「内部から見た武器と弱点」を追求したものである。極めて密度の濃い、且つ刺激的な対話となっている。

本書はタイトルが示すように、サムスンが現在直面している危機を正面から向き合おうとするものであるが、結果としてサムスンの躍進や強さの源泉が何処にあるかを追求する対話にもなっている点を見逃せない。それは次のような理由によるものと言える。

先ず聞き手の片山修氏は丹念な取材を通じてソニーやトヨタといった日本を代表する企業の現状を鋭く把握していたが、それに止まらず、氏はかねてからサムスンに対しても強い関心を持ち、「日本人はもっとサムスンを正しく知るべきだという思いを持ち続けて」いたのである。そしてその思いが『サムスンの戦略的マネジメント』(PHPビジネス新書、201110月)という本に結実していたのである。本書でも氏は「なぜ、ソニーをはじめとする日本の電機メーカーは、サムスンに敗れ、後塵を拝したのか」が一番の問題意識にもなっていたのである。

他方、話し手の張相秀氏はサムスンの強さを経営学的に語る人物として格好の相手でもあった。慶応大学で修士と博士号を取得し、サムソン研究所では「人事組織室」の仕事に従事、具体的には①人事制度システム、②組織文化、③人材育成,④労使管理を担当、サムスンが成果主義を導入する際には日本のソニー等を徹底的にベンチマークし、日本での賛否両論を踏まえ、成果主義の導入がうまくいくように図った。片山修氏が指摘するように、「張さんは(サムスンの人事制度の)変遷を内側から見て、知り尽くしているだけでなく、まさしく『最強の人事制度』をつくり上げてきた、当事者の一人といっていい」と言って、張氏を高く評価をしている。

そういう二人がサムスンの強みだけでなく弱みも議論の俎上に載せ、率直に議論したことは、極めて意義深い。片山修氏は本書の末尾で、次のように語っている。「本書をまとめるにあたって、共著者の張相秀氏とのほぼ2年間にわたる対話による共同作業は、じつに知的で刺激的な時間であった。日韓関係がむずかしいうえ、日本の電機メーカーの宿敵サムスンに対して、さまざまな批判の風が吹くなかで、本書に勇気をもって登場し、サムスンの内実を弱点を含めて真摯に語ってくれた張氏に深く感謝したい」と。本書の作成には、実は片山氏が指摘する最近の2年間だけではなく、その前の10年余りに亘る二人の真摯な交流の積み重ねがあり、その上に本書が成り立っていることを指摘しておきたい。密度の濃い分析には、それなりの時間と準備が必要であることを本書は示している。

本書を紹介するに当たり、先ず本書を構成する各章のタイトルを簡単に紹介しておきたい。各章とも、片山修氏から先ず簡単な問題提議がなされ、それに対して張相秀氏が答える形式で議論が進んでいく。日韓両国の企業の現場を知悉する二人だけに、取り上げられる問題は多種多様であり、興味深い話が多い。

第1章 ポスト李健熙に死角はないのか、第2章 サムスンのコーポレート・ガバナンス、第3章 なぜ人材を引き抜くのか、第4章 日本と同様「失われた10年」があった、

第5章 なぜサムスンは勝ったか、第6章 秘密は最強人事制度にあり、第7章 「地域専門家制度」の神話と現実、第8章 サムスンは社員を幸福にするか、第9章 スマホ事業の黄昏、以上である。

本書では既に触れたように、サムスンの強さ、躍進の源泉が何処にあるかが執拗に追求されているが、それらを整理してみると、以下の通りである。

第一に、サムスンがオーナー経営であることだ。この点はよく指摘されることであるが、片山氏は後継者問題と絡め、オーナー企業の強みと弱みに関し、次のように述べている。「オーナー企業には負の側面がある。創業家出身というだけで、能力もないのに経営トップに就けば、会社は傾く。実際、御曹司の暴走による悲劇は繰り返されてきた。しかし、大転換期には、オーナー経営者が力を発揮する。オーナー経営者は、大株主であるため、外部株主の牽制を受けにくい。したがって、スピーディかつ大胆な意思決定ができる。また、明確な経営理念のもと、従業員の一体感を高め、求心力を引き出すことができる。オーナー企業の利点といっていい」(注3)と。

「ズバリ、李健熙氏の役割は、何ですか」という片山氏の質問に対し、張相秀氏は「雇われ社長が、責任の重さから決断力が鈍っている場合、『私が責任をとるから、やりなさい』という役割です。背中を押すわけですね。雇われ社長のストレスを、軽くしてあげるんです。そうすれば、グループ会社の社長は、大きな精神的負担なく経営にコミットできます。…IMF危機のような国家的危機では、責任をもつ経営者が、早い段階で決断して、ハッキリと方向を示さないと、組織はダメになります。この決断が、李健熙氏は本当に早い。そして、軸がブレないんです」(注4)と答えている。不況期に積極的に投資するサムスンの逆張り経営やアップル社との訴訟合戦はオーナー経営ならでは不可能な決断であろう。

第二に、「サムスンの経営体制は実質的に集団経営体制であることだ」。李健熙会長はワンマン経営者と思われがちであるが、実際はすべてを一人で意思決定をしている訳ではない。張相秀氏は「さまざまな組織が会長の意思決定をサポートする。組織の長の失敗は、組織構成員全員の恥です。したがって、とくに役員の場合は、トップが失敗しないように補佐、輔弼しなければいけない」(注5)と語る。

その中枢を握るのが、未来戦略室である。片山氏がサムスンのコーポレト・ガバナンス(企業統治)と絡め、何故李健熙氏は失敗しないのかと質問し、精鋭部隊「未来戦略室」の実態の分かりにくさを指摘した。それに対して張相秀氏は「サムスンが、毎年何十兆ウォンもの投資をするのに失敗しないのは、会長が決断にできるだけ失敗しない仕組みをつくっているからだと思います。その仕組みの中核を担うのが、『未来戦略室』です。会長が決断する前に、ここでさまざまな検討が行われるのです。…現在の『未来戦略室』は、グループの参謀本部といわれています。超エリート集団であることには間違いありません。会長の手となり足となって、計画を報告したり、チェックしたりコントロール機能はもつものの、自ら調査研究する機能や、ロジカル・シンキングの役割は弱いといえます」(注6)と述べている。張相秀氏が「サムスンは実質的に集団経営体制である」とするのは、今言及した未来戦略室を始めさまざまな組織が「李健熙会長の決断を命がけで支える」(注7)からであり、その結果、李健熙会長は失敗しないのである。

第三に、積極果敢な人材の採用、特に日本人技術者のスカウトはよく知られている。サムスンは、半導体事業への参入にあたり、米国企業から設計、製造技術を導入する一方、日本の半導体装置メーカーから製造装置を購入した。そして日本企業から多数の半導体技術者をスカウトした。かくして、サムスンは、半導体生産において、瞬く間に世界一の座に就いた。サムスンは、半導体事業での勝ちパターンを、他の事業でも踏襲する。テレビ事業でも、半導体同様、日本企業をしっかりベンチマーキングしたうえで、事業戦略をたてた。液晶テレビでも、同様である(注8)。

第四に、サムスンは1997、8年のIMF危機に際し、「変化の嵐」を拒否せず受け入れ、経営システムを日本モデルから米国モデルに大転換させたが、独自性を維持したことである。それが片山氏が指摘する日米経営のいいとこ取りの「サムスン式経営」である。張相秀氏はそれを「専門経営者による集団経営」(注9)と呼んでいる。その結果、サムスンは世界の変化(グローバリゼーション)に対し、積極的に立ち向かうことになった。 それに対し、日本の電機メーカーは、片山氏が指摘するように、「油断と奢り」(注10)から内向き志向を強め、結果として「失われた20年」に陥り、且つ世界の動きから取り残される状況(ガラパゴス化)に至るのである。

第五に、グローバル人材育成の産室地域専門化制度の偉容である。この制度はサムスンの人材育成にかける意気込みを端的に示すものである。李健熙会長の肝いりでこの制度がスタートしたのが1990年。会長に就任して3年後である。李会長は「サムソンの経営にはグローバル経営以外に道はない」、「サムスンはこれから100年、200年続いていかなければならない。そのためには人材を長期的に育成する」(注11)との認識をもっていた。詳細は第7章に譲るが、李会長のこの制度にかけるエピソードは印象深い(注12)。日本の企業が構造調整策下で人材育成投資を怠っていたのとは対照的であった。この違いが、サムスンをして日本の同業メーカーを大きく引き離させる原因の一つになっている。

以上、サムスンの強さがどういうものか、さらにそれが何処から来るかを詳細に検討して見た。改めて李健熙会長の大胆さとリーダシップが印象的である。

評者としては、最後にサムスンが抱える問題点をいくつか指摘しておきたい。第一として、やはり後継者問題を指摘せざるを得ないということである。張相秀氏は「三代目体制については心配していません」(注13)と明快である。その根拠として、李健熙会長が自身の健康不安もあり、ここ2、3年は事業承継に備えたマネジメントシステムを講じてきた。前述の未来戦略室長にサムスン電子副会長兼CEOだった崔志成氏を就任させ、大幅な人事交代(若返り)を断行したことも、その一つと言えよう。また李健熙氏は、会長就任以来、人事権を厳しく行使して、足を引っ張るような人が出てこないようなシステムを構築してきた(注14)。自分の苦い体験から、息子への事業承継がスムーズに行くよう手を打っていたのである。

さらに、張相秀氏は「李在鎔氏の実力不足というなら、足らざる力はほかで補えばいい。つまり、組織、集団の知恵を持って対応すればいい。サムスンの場合、これまでに、集団の知恵による意思決定の構図が定着しています」(注15)と述べている。

慎重居士で鳴る李健熙会長はすでに様々な手を打っており、李健熙会長亡き後でもサムスンが存続できるようにシステム構築を考えていることは明瞭である。例えば張相秀氏がサムスン経営の六つの特徴の一つに挙げているのに「将軍経営」(注16)がある。「江戸時代の統治システムを見ると、将軍と大名の権限と責任は確実に異なる。将軍はグループのオーナー経営者(創業家会長)、大名は各会社の専門経営者(雇われ社長、COO)といえる。絶対的な権力を持つオーナー会長と、限定的権力と多くの経営責任を背負っている多数のサラリーマン社長で成り立っている」としている。この「将軍経営」がどうして出て来たのか不明であるが、徳川家康が構築した幕藩体制が15人の将軍(後継者)を存続させたことを念頭に置いたものとするなら、興味深い指摘と言えよう。

とは言え、後継者である李在鎔体制がソフトランディイングできるかどうかは不明と言うしかない。李在鎔氏の力量、新たなる戦略的産業の構築等、後継体制が安定するためには課題が多く、現状も厳しいからである。

第二として、「サムスンが何一つ新しいものをつくっていないではないか」との指摘に対し、張相秀氏は「おっしゃる通りだと思います」とあっさりと認めている。「これまでは      それをしなくても、成長できる立場だった。ある水準までは、マネをするのが最も経済的ですからね。いつまでもマネを続ける二番手商法では、付加価値を高められず、低いレベルに留まってしまいます」(注15)と答えている。しかし二番手商法を抜け出て、独創的な製品や技術の開発を進めていくことは簡単なことではない。

張相秀氏はこの点と関連し、サムスンが「過去二十数年間驚異的な経営成果を築き上げることができたのは、『核心人材』を確保し、育成してきたからです。『核心人材』は、現在の問題解決はもちろん、持続的成長を達成し、中長期経営戦略を実現するために不可欠な存在です」(注16)とし、李健熙会長の「一人の天才は10万人を養う」という「天才経営論」がなお有効であることに言及している。そして具体的方策としては「開発体制において、できるだけスピーディな開発が可能なように、組織内に壁のない仕組みをつくる必要があります。次に問題になるのはモチベーションで、若手をやる気にさせるのは“信賞必罰ではなくて、信賞必賞である”(注17)と述べるに留まっている。

 

<注>

1.李健熙氏は、1987年にサムスン会長に就任した当時、9.9兆ウォン(約1兆7400億円)だったグループの売上高を、25年後の2012年に約38倍の380兆ウォン(約26兆9400億円)にまで増やした。本文p48参照。

2.日経新聞(夕)2014年10月7日。

3.本文p22。

4.本文p32。

5.本文p33。

6.本文p50。

7.本文p50。

8.本文p100。

9.本文p67。

10.本文p96。

11.本文p156。

12.本文p156。

13.本文p44。

14.本文p25。

15.本文p209~210。

16.本文p76。

17.本文p198~199。

更新日:2022年6月24日