金正恩の十年・自信と不安と

(2021.12.1)岡林弘志

 

 十年一昔。こんな言葉があったが、北朝鮮で金正恩総書記が最高責任者になって、今年末で満10年になる。北朝鮮内では「首領様」という呼称も使われ始めた。祖父や父親の「七光り」ではなく、金正恩自らの威光によって、この国を統治する、いわゆる「神格化」キャンペーンに拍車を掛けているようだ。しかし、この10年を振り返ると、核ミサイル開発、遊興施設の優先建設、人事を柱とする恐怖支配‥‥が目に付く。一方で、民生経済は混迷の度を深め、最優先公約に掲げる「人民生活向上」は、いまだに絵に描いた餅だ。

 

祖父・父の「威光」から脱出に全力

 

 「偉大な金正恩時代を3大革命の最盛期、社会主義建設の全面的な発展期に輝かせよう」(11・18~22)。第5回三大革命先駆者大会が大々的に開かれ、全国の三大革命の旗手やグループ、勤労者に向けたアピールが採択された。やはり始まったか。世襲で手にした権力でも、しばらくすると権力のうまみ、魅力にとりつかれ、独り立ちしてより強い権力を望むようになる。

 

 アピールには「最優先課題は全党と全社会を敬愛する金正恩同志の革命思想で一色化する」「思索と実践、胆力と度胸も金正恩同志に似た真の革命戦士になろう」‥‥。「金正恩時代」の大キャンペーンが本格的に始まった。この大会は、それを全人民に知らしめる場だったようだ。

 

 金正恩は、後継者としての訓練はごくわずか、父親の死によって突然最高指導者のイスに座った。雪の降る中、葬儀車の横に立つ心細そうな顔を思い出す。このため、祖父や父親の威光にすがらざるを得なかった。国を統治する基本として、「金日成主義」「金正日主義」を主唱し独裁体制の柱とした。今年初めの第8回党大会で改定した労働党規約でも、冒頭に「労働党は偉大な金日成―金正日主義の党」と明記してある。

 

 しかし、振り返って見ればすでに10年、これまでも気に入らない部下は直ちに亡き者にし、回りは全てひれ伏して忠誠ごっこに励んでいる。祖父や父親の威光でなく、自らの力ではないか。名実共にこの国を収めていることを、自らも認め、全人民にも広く認めさせたくなったということか。忠誠というのは、この程度でよしということがない。たえず示されないと最高権力者は疑心暗鬼になるという厄介な性癖がある。

 

 金正恩は、この大会参加者に向けて「三大革命の炎を強く燃え上がらせて社会主義の全面的発展を成し遂げよう」と題する書簡を送った。A4にプリントすると、10枚以上になる長いものだが、これまで盛んに口にしてきた「金日成主義・金正恩主義」という用語は一度も出てこない。終わりの方に「参加者は、金日成同志と金正日同志の貴い革命遺産」と書いてあるだけだ。

 

★金正恩の足跡★

1984・ 1・ 8 金正日・高容姫の次男として誕生
1996・ 9~ スイスの小・中学校へ留学
2000ごろ 帰国 金日成軍事総合大学などに在籍
2008・10ごろ 後継者に決定(?)
2010・ 9・28 労働党中央委員、党中央軍事委副委員長
          10・10 人民軍大将
2011・12・17 父・金正日総書記(66)・死去
                 30 人民軍最高司令官
2012・ 4・11 第一書記
                13 国防第一委員長
                15 金日成生誕100周年記念式で初演説
2013・ 2・12 3回目の核実験
          12・12 叔父・張成沢を処刑
2016・ 1・ 6 4度目の核実験「水爆実験に成功」
           5・ 9 党委員長、「偉大なる領導者」の呼称
           6・29 国務委員長
2017・ 2・13 義兄・金正男マレーシアで暗殺される
           7・ 4 ICBM「火星14」発射
         11・29 「火星15」発射
2018・ 3・25 初外遊 習近平国家主席と会談(北京)
           4・27 文在寅韓国大統領と初会談(板門店)
           5・ 7 習近平主席と第2回会談(大連)
           5・26 文大統領と会談(板門店)
           6・12 トランプ大統領と初会談(シンガポール)
           6・19 習近平主席と第3回会談(北京)
           9・ 9 建国70年で軍事パレード閲兵
2019・ 1・ 8 習近平主席と第3回会談(北京)
           2・26

トランプ大統領と第2回会談(ベトナム)

             物別れに

           4・25

プーチン大統領と会談(ウラジオストク)

           6・20 習近平主席と第4回会談(平壌)
           6・30 米大統領、文大統領と会談(板門店)
2020・10・10 軍事パレード演説で、経済難を人民に謝罪
2021・  1・10 総書記に
          10・ 

「首領」の呼称(労働新聞)

「金正恩主義」の用語登場

 

 

ついに「金正恩主義」「首領」も登場

 

 「金正恩主義」「首領」―韓国情報院は、最近この二つの用語が金正恩に対して使われ始めたと国会に報告した(10・26、11・12)。これまでは祖父金日成、父金正日に使われてきたものだ。情報院は、「正恩氏の独自的な思想体系を打ち立てようとしている」「党大会の決定事項の貫徹、金委員長に対する忠誠などを強調するため」と解説している。

 

 要するに、執権10年にして、祖父や父親に匹敵するほどの実力を備えた最高指導者になったことを誇示するためだろう。「金正恩主義」という用語はどこで使われたか明らかでないが、呼称については、2016年5月の党大会から金正恩氏を「偉大なる領導者」と呼んできた。「首領」については、最近の労働新聞など北朝鮮メディアで盛んに使われている。

 

 例えば、労働新聞(10・22)。論説のタイトルが「運命も未来も全てお任せし、見守ってくれる偉大な父親を首領として高く戴く人民の栄光は永遠だ」。回りくどいが、金正恩が「首領」であることを強調。文中にも「革命の傑出した首領であらせられ、人民の偉大な慈父である金正恩同志」「首領福」「このような首領は東西古今どこにもいない」‥‥。ありがたさを繰り返している。

 

 先の労働党創建記念日(10・10)の金正恩演説では、「党中央」という言葉が頻繁に使われた。「党中央の唯一的指導体系を確立する活動の理想的な目標は、全党と全社会が一つの頭、一つの体になるようにすること」「全国が党中央と思想と志、行動を共にする」‥‥。これは、北朝鮮の最高法規と言われる「労働党の唯一指導体制確立の10大原則」(2013・6改定)にのっとってのことだ。首領が頭脳で、その命によって人民は手足の如く動き、首領を「決死擁護する」。金一族による独裁体制を規定したものだ。

 

 「党中央」は、かつて金正日が後継者に内定して以降の1970,80年代初め、世襲批判を避けるなど国外に知られたくないため、別称として使われた。今回は事情が違う。自分の名前の代わりにこの用語を使ったのか。「オレに従え」ではあまりにえげつない。そこでこの言葉を使ったのか。「党中央」は妹の金与正・国務委員という説もあるが、演説の「党中央」は、「金正恩総書記」に置き換えたほうがぴったりする。

 

屋内には強大な肖像画も

 

 北朝鮮で一番わかりやすい「神格化」の象徴は肖像画だ。今年初めの第8回党大会。会場の「4・25文化会館」。建物の外側正面にはこれまで通り金日成・金正日の肖像画が掲げられていた。しかし、会館の中に入ると、廊下には、巨大な金正恩の肖像画を初め、おなじみの雪中の白馬に乗った勇姿、現地指導の写真などが所狭しと展示され、参加者がうやうやしく見学する映像が全国に流された。また、大会会場の正面に掲げられるのが通例だった金日成・金正日の肖像画はなかった。

 

 先の「国防発展展覧会」(10・11~22)。金正恩が誇る弾道ミサイルなどの最新兵器・装備が展示された。壁には巨大な金正恩の肖像画が飾られている。米国も恐れるこれらの戦略兵器はまさにオレが作ったということを誇示したのだろう。いまのところ、屋外まで広がっているかは不明だが、屋内においては金正恩の肖像画はかなり飾られているようだ。

 

 「総書記」の名称。最高指導者に就任した直後の党の会合(2012・4・11)では「世代が変わっても、金正日のもの」と説明、「永遠の総書記に推戴する」と、永久欠番にすることを宣言した。その後金正恩は「第一書記」などと名乗っていたが、やはり「総書記」という重みのある名称の魅力に勝てなかったか、年初の党大会で「推戴された」という形で、総書記に就任した。そのうち、「主席」に変わるかもしれない。

 

 また、今のところ全国に数万ある屋外の肖像画、銅像は金日成、金正日二人のものだ。様々な建物の正面、地下鉄の車内、学校、そして、各家庭にもやがて、金正恩像が登場するか。全人民が胸に付けることを義務づけられているバッジもある。「神格化」のためにやることはまだいくらでもある。

 

実績は「革命の聖地」整備

 

 「三池淵の人民が労働党の恩恵を歌い、大変喜んでいるという報告を受け、大変満足だ」(11・16)。金正恩は、三池淵の再開発地区を視察し、なんとも誇らしげだった。祖父金日成のパルチザンの本拠地であり、父金正日の生家にしてある白頭山の麓にあるこの地は「革命の聖地」だ。従って、「文化的な山間都市の典型として立派に建設するのは、金日成主席と金正日総書記の戦士、教え子であるわが人民と新世代の当然な道義であり、革命的義務」と訓示を垂れた。要するに、金一族神格化事業の核心と位置づけているのだろう。

 

 朝鮮中央通信は33枚もの写真を付けて内外に流した。報道されたこの一帯には、幹部用らしい広めの平屋、赤や水色の屋根が付いた3~5階建ての集合住宅あるいは宿泊施設、集会所らしき大きめの建物‥‥100戸ほどか。北朝鮮の学生や労働者は、金日成主義、金正日主義など革命思想を学ぶため、集団でこの地を訪れ、学習し、鍛錬することが義務づけられている。そのための宿舎も含まれているのか。

 

 これらを見下ろす丘の上、金正恩はロングの黑い革製コートを着て、両手を広げ、満面に笑みを浮かべ、取り巻きになにやら指示する。コートのポケットに両手を入れて、町中を視察‥‥いずれも上機嫌な顔つきだ。よほど満足したのだろう。

 

 「自力繁栄、自力富強のわが国家の鉄石の意思と自信、自立的発展の可能性が確証された」と自賛する。経済制裁、災害、コロナの「三重苦」、八方ふさがりの中で、金正恩はひたすら「自力更正」を唱えてきた。それが可能であることを三池淵が証明しているといいたいのだろう。同時に、「三池淵市での優れた経験を拡大させ、地方建設、文化的な全社会建設を促す」と強調する。三池淵をモデルにしてやれば、全国津々浦々こうした立派な住宅や地域を作ることが出来るという。

 

 おれのやってきた路線は間違っていない。オレに付いてこい!。金正恩執権から十年、言葉の上での「金正恩時代」でなく、実績の見本として、三池淵開発は取り上げられ、大々的に報道したのだろう。この再開発は金正恩の大号令で2016年末から始まった。当初は世界に誇る国際観光特区とも言っていたと思うが、最近は「革命の聖地」「地方都市のモデル」。今年いっぱいで完成という。しかし、資材不足などで工事は進まず、全面完成にはほど遠いという情報もある。

 

 余談だが、三大革命大会のアピールでは「思索と実践、胆力と度胸も金正恩同志に似た真の革命戦士になろう」と強調した。しかし、金正恩が時々着るレザーコートは、若者等が真似して着ると取り締まりの対象になるらしい。かつての刈り上げヘアースタイルもダメ。まして肥満は御法度だ。もし忠誠の証として「胆力と度胸」で真似すると、とんでもないことになる。

 

 しかし、独自性と言っても限界がある。「金正恩時代」を強調した「三大革命大会」。三大革命とは、金日成が「思想・技術・文化」を革命的に発展させると言い出したことに始まる。そして、金正日が後継者に内定した後の1970年代前半に「三大革命赤旗獲得運動」を始めた。そのための「小組」が全国的に組織され、金正日が実質的に権力を掌握、強化するための土台となった。

 

 金正恩は、今回の大会で「三大革命赤旗獲得運動を再建しろ」「今後100年、200年でも三大革命路線を完璧に具現していくべき」とハッパをかけた。やはり肝心なところでは、先代のやり方を踏襲するしかない。

 

遊興施設の優先整備とその影

 

 この10年、金正恩らしさが現れたのは、見栄えのいい遊興施設をはじめとする建設、造成だ。馬息嶺スキー場、美林乗馬クラブ、耀徳温泉場、最近では、平壌市内の階段式住宅団地‥‥いずれも「世界に誇れる」と豪語している。金正恩は、スイスなどへ留学した経験がある。この影響を期待する声もあったが、この十年を見る限り、主として遊興施設を優先的に造成する方針に現れているのではないか。

 

 反面、これらの建設を優先するため、そうでなくとも足りないカネとモノは他の分野には回らなくなる。三池淵開発についても、完成を急ぐため、周辺の災害復旧や様々な工事は、一時停止を命令されたという話も漏れてくる。絶対量が足りない中で、とばっちりを受ける部分が出てくるのは当然だ。

 

 さらに完成しても、大規模な施設は維持管理にかなりのカネと手間がかかる。外国からの最新施設を導入したが、経済制裁の中、メインテナンス用の部材の輸入が出来ない例もあるようだ。管理が行き届かず、いつの間にか廃墟のようにという例も出てきそうだ。建造物は、建設以上に維持管理が大変。おろそかにすれば、宝の持ち腐れになる。

 

 「人民のために」というが、利用料はそう安くはない。ごく一部、何かで表彰され、褒美として招待という例はあるようだ。先の老兵大会の参加者たちは、その後耀徳温泉場に招待された。しかし、一般的に、人々に移動の自由はない。ましてコロナ禍で移動は厳しく制限されている。いずれほとんどの人民にとっては高嶺の花だ。

 

 この十年、最優先されたのは核・ミサイル開発だ。核開発は独裁体制存続のため、金日成の時代から始まった。周辺国は核開発阻止のため、北朝鮮と交渉を繰り返した。しかし、核は独裁体制の守護神と位置づける北朝鮮を止めることは出来なかった。これに拍車を掛けたのが金正恩だ。自ら軍事強国と誇るほどになっている。

 

 ただ、軍備の厄介なのは、これでいいというところがないことだ。IT時代になって軍備も日々刷新されている。まして、金正恩が最大の敵とするのは米国だ。いくら備えても安心できない。数年前、「水爆」実験、大陸間弾道弾の発射実験をして、核ミサイル開発は一段落、これからは経済再建に重きを置くという趣旨の発言もあったが、そうはならなかった。軍備には、到達点がないからだ。

 

頻繁な人事、「恐怖支配」で基盤強化

 

 一方でこの10年、最も印象に残るのは、独裁基盤を強化するための粛清・人事による「恐怖支配」だ。父親の葬儀の際、霊柩車の両脇を金正恩はじめ8人が随行した。7人は金正日時代の腹心であり、未熟な金正恩を支える屋台骨とみられていた。二人は高齢のためのようだが、他の5人は2、3年のうちに全員が姿を消した。高射砲で処刑されたという叔父の張成沢をはじめとして粛清されたためだ。

 

 特に、金正恩は軍首脳の人事に異常な関心を示した。就任後の2年ほどを見ても、人民武力部長は金英春→金正覚→金格植→張正男‥‥。総参謀長は、李英鎬-玄永哲-金格植-李永吉‥‥とめまぐるしく代えた。要するに、父親の息のかかった人材であっても、オレに忠誠を示さなければ容赦なくクビ。それだけの力があるということを誇示した。軍は実力組織、クーデタなどの危険もある。先ず手中のものにする必要があった。

 

 その後も軍への監視は怠りない。今年も「国家と人民の安全に大きな危機をもたらした」と、軍の序列1位の李炳哲・党政治局常務委員は需工業相に。2位の朴正男・軍参謀長も元帥から次帥に、いずれも降格させた(6・29)。とくに李炳哲はミサイル開発の最高責任者で金正恩の信頼が厚かった。具体的な理由は明らかにしなかったが、金正恩の威力と怖さを示すには十分だった。

 

 このほか、金正日時代の高齢者世代を代え若返りを図る、金正恩への忠誠心の高い人材を起用するため‥。このほか、金正恩の演説中に居眠りをした、影で金正恩のやり方を批判したなど、親の治世よりかなり頻繁に人事を行なってきた。

 

 失政の責任として現場の責任者がクビ、あるいは左遷という人事も多い。典型的なのが昨年春、世界がコロナ禍に見舞われていた最中、金正恩は防疫・医療のセンターとして平壌中央病院建設を計画、大々的に起工式を行なった。建物は「速度戦」によって短期間に出来たが、最新医療器材は輸入に頼らざるを得ない。しかし、経済制裁で中国も協力を拒否、肝心の中身は未整備のままだ。金正恩の一声で、プロジェクトチームの幹部全員がクビになった。完成予定からすでに一年以上が経っているが、未だに完成の報道はない。

 

「神格化・核ミサイル」と「人民生活向上」の絶対矛盾

 

 医療施設をはじめ、中国からの輸入に頼ってきたガソリン、石油精製品、農機具や部品、農薬や肥料など、絶対量が不足し、民生経済に莫大な影響を与えている。根本の原因は、核ミサイル開発で外交的な孤立、経済制裁を招き、コロナを異常に恐れて国境封鎖をした金正恩の責任だ。

 

 このままでは、人民の不平、不満は金正恩に向かう。そこで出てきたのが、「人民に苦労ばかりかけて申し訳ない」と涙を流しながらの謝罪だ。昨年の党創建記念日の演説で何回か涙ぐんだ(10・10)。この演説は、人々に「首領様はこれほどまでに人民のことを思っているのに、その下で働く幹部連中が怠慢だから、この苦境を抜け出せない」と思わせる効果を狙ってのことだろう。

 

 三大革命大会でも「最近の三大革命グループに対する指導は、中身のない外形ばかりのもの」と厳しく叱責している。民生経済部門についても、停滞、混迷はそれぞれの部門の責任者の怠慢のせいにして、生け贄のようにクビを切っている。先代、先々代も人事は独裁体制維持の強力な道具だった。しかし、金正恩の治世になっての人事は、異常なほど多い。自分が思うようにことが進まない焦りの裏返しでもありそうだ。

 

 改めて金正恩にかかわる新しい用語を見てみる。「金正恩時代」「首領」は、実際に最高責任者であり、まあその通りだろう。もう一つの「金正恩主義」とは何か。「主義」は①思想・学説などにおける明確な一つの立場②特定の制度・体制または態度③常々持っている意見、主張(広辞苑)―。①の意味なら、祖父・父と続いてきた主義、考え方の線上にある。➁③なら、そうかとも思う。ただ、「金正恩同志の革命思想」というのはまだわかりにくい。

 

 はっきりしているのは、自らを「神格化」して独裁を続けるには、核ミサイルを「守護神」として開発を続けざるを得ない。このため、最大の公約である「人民生活向上」はますます遠ざかる‥‥この絶対矛盾からは抜け出せないということだ。この10年はそれをますます浮き彫りにした。

 

更新日:2022年6月24日