自作自演の「戦争状態」

(2021.8.12)岡林弘志

 

 北朝鮮は、「苦難の行軍」から「戦争状態」に進んだという。金正恩・労働党総書記は、自国の苦境を改めて認め、人々の危機意識を煽っている。しかし、「三重苦」のいずれも、自らが招いた厄災だ。珍しく南北間の通信線を復旧させたが、この程度では風穴を開けるのは難しい。これからも奇妙で変則的な「戦争」は、続かざるを得ない。そして、今年も干ばつや水害被害が出始めた。またしてもその責任を部下に押しつけ、叱責するのだろうが、それで食糧不足、生活困窮などが解決するわけではない。

 

早くも洪水被害、直前までは干害も

 

 「咸鏡南道のあちこちの地域で、豪雨による被害が発生しています」(8・5)朝鮮中央テレビは、今月1日から降り始めた豪雨で、堤防が決壊して住民5000人が緊急避難、1170戸の住宅が崩壊、農耕地も浸水、流失。さらに道路1万7000m、堤防8000mに被害があったと、詳しく報告。軒下まで浸水した民家など各地での被害の映像を流した。中朝国境を流れる北西部の鴨緑江一帯でも洪水。中国・丹東からは対岸の新義州の一部が浸水被害という報道もあった。

 

 これを受けて、労働党咸鏡南道軍事委員会の拡大会議が緊急招集(8・5)され、金正恩からの命令が伝えられた。「復旧に必要な資材を国の予備分から出すので復旧事業を強力に後押しする」ようにという内容だ。復旧事業の内容はさらに各市や郡のトップ、主要工場の責任者らに伝えられた。果たして、国から復旧に必要な資材や物資がどの程度届くか、末端で指示を受けた責任者は大変だ。

 

 その前には、「猛暑が続き、干害を受け始めた」(7・12朝鮮中央通信)。毎年恒例の干害にも襲われた。北の穀倉地帯である黄海南道では7月の降水量は平年の4分の1。気温は36.5度まで昇り、水田やトウモロコシ畑が被害を受けた。このため、「給水車、揚水機、ポンプ、ビニールシートを集中投入」(7・28)「被害防止活動に総動員・総集中」(8・1)しているという。

 

 それに続いての水害だ。その後も北朝鮮気象水文局はテレビなどを通じて、8月中旬に他の地域でも豪雨の可能性を公表している。テレビでは「洪水と豪雨、風雨から農作物を徹底して守ろう」というキャンペーンを始めた。話は横に逸れるが、気水局の解説では「梅雨前線」という用語を使っていた。かつて朝鮮半島に「梅雨」はないといわれ、1980年代韓国にいたとき、梅雨にあった記憶はない。温暖化の影響は、鎖国をしていても関係なく押し寄せる。

 

 話を干害・水害に戻すと、昨年秋の大水害時に露呈したように、農業機械は元々数が少ないうえに、老朽化が激しく、修繕しようにも部品不足。今回の揚水機、ポンプなどの器材も同様だろう。また、今回も「中央機関と各道・市・郡の機関、工場、企業の活動家と勤労者が、協同農場に出向いて農作物を守るための闘いを繰り広げている」という。やはり昨年も同様だったが、中には夜酒を飲んで騒ぎ、農家のひんしゅくを買いとも報道された。

 

 金正恩は、「去年の台風被害で穀物の生産計画が達成できず、現在、食糧事情が逼迫」(6・15党中央委総会)と認めている。今年後半も食糧事情がさらに厳しくなるのは必至だ。地球温暖化の影響は全地球的だが、とくにインフラ整備が出来ていない所はより深刻な被害を受ける。「三重苦」の一つ大水害は、治山治水をおろそかにした結果でもある。

 

「戦争状況」「試練の峠」での孤軍奮闘をアピール

 

 「今日、われわれにとって史上初の世界的な保健危機と長期的な封鎖による困難や隘路は、戦争状況に劣らない試練の峠となっている」(7・27)。金正恩は、今年も開かれた老兵大会で、北朝鮮の現状は、戦争以上と強調した。すでに、「苦難の行軍」であることを認めているが、そのうえで、戦争をしなければならないのである。たしかに、今年も干害・水害で作物の収穫はさらに減る。

 

 普通ならとうてい勝ち目はない。ここで金正恩が言いたかったのは、コロナ騒ぎという未曾有の困難な中で、オレ自身はいかにできの悪い部下にむち打って、頑張っているか、孤軍奮闘しているかだ。老兵らはひたすら金正恩をあがめて止まないからだ。少なくとも、金正恩はそう思っている。

 

 毎回この大会に参加した老兵たちは、下にも置かないもてなしを受ける。遠隔地の参加者は、旅客機で平壌まで来た。そして、金正恩は、「1950年代の祖国防衛者、祖国建設者こそ、後世に末永くたたえて見習うべきありがたい恩人であり、真の師である」と、大会の演説で高く評価。大会の後も、記念撮影、さらには平壌の人民文化宮殿、玉流館、清流館、平壌麺屋などに分散して宴会が行われた(7・29)。そのうえ、「健康で長生きを願う労働党の特別な温情」で、この大会の前後には、参加者全員が陽徳温泉文化休養地(平安南道)に数日招かれた。「貴賓として特別な歓待を受け」、薬湯や、演芸歌謡、そして温泉卵も味わった。

 

 この休養地は、金正恩の肝いりで造成、最近ほぼ完成した。老兵等は「このように楽しい休息まで手配してくれたわれらの総書記のような方はこの世にいない」とひたすら感謝だ。金正恩、万々歳。しかし、我が家に帰ったらどうなるか。多分年金はあるのだろうが、日々食うに困らないほどのものではないはずだ。食糧難、物価高、生活の大きな拠り所である市場の機能制限など厳しさを増す情報が引きも切らず漏れてくる。「真夏の夜の夢」からはあっという間に覚めるに違いない。

 

 実際に、食糧難は深刻化。肝心の米価も急騰している。金正恩もこれ以上放っておけないと判断、食糧確保、支給などの「特別命令書」を発令した。これを受けて、なけなしの軍の備蓄米を差し出させ、トウモロコシとともに配給に回した。しかし、有料配給なうえに量が少なく質が悪い。かえって人々の不興、不満をかき立てているという。

 

 そんな折、「先月31日から中央党(朝鮮労働党中央委員会)、軍、保衛部(秘密警察)など特殊機関の勤務者に、5日分のコメが配給されたが、かなり良質のもの」(8・8デイリーNK)だという。このコメの一部が市場に流れ、幹部だけが何故こんなに質のいいコメを食えるのか。うわさはぱっと広がり、人々の不平不満をさらに募らせている。軍のトップだった李炳哲が中国から密かに搬入したコメの一部という憶測も飛んでいるようだ。

 

「コロナ孤立」も自らが作った

 

 「北朝鮮政府はCOVAX(コバックス=ワクチン国際共同購入プロジェクト)が支援するワクチンを受け取るのに必要な事前の手続きをまだ完了していない」(8・4)。国連児童基金がVOAのインタビューに答えたという。その理由について「北朝鮮の国境封鎖措置で支援活動に制約がある」と、北朝鮮の国境封鎖が障害になっていることを上げた。今のところコロナ感染防止の最良の手段の搬入を北朝鮮が渋っているということだ。

 

 具体的には、ワクチンの副作用の法的責任免除合意書署名、国際要員の入国許可など7段階の行政手続きが必要だという。実際に、5月末までにコバックスによって支援を受ける予定だったアストラゼネカ(AZ)ワクチン170万4000回分(約85万人分)も、北朝鮮側が副作用の法的責任免除合意書に署名せず不発に終わった(8・5中央日報)。

 

 北朝鮮の友好国であるはずもロシア、中国も自国製を製造し、友好国に積極的に無料、有料提供している。おそらく北朝鮮にも提供する意向を伝えたと思うが、これを使用したという話も出ていない。どうも、北朝鮮は、副作用などを極度に恐れているか、導入に伴いコロナウイルスが入り込むのを恐れているのだろう。これまで人から人への感染はあるが、モノから感染したというのはほとんどないのではないか。

 

 いずれにせよ、異常な警戒心だ。新型コロナは基礎疾患のある患者は重症化や死亡率が高いという。金正恩自身が成人病をいくつも持っているため、極度に感染を恐れているとも言われる。渡航禁止はいくつかの国でも行なわれたが、昨年1月からずっと鎖国状態というのは北朝鮮だけだ。また、ワクチン接種をしていなのは、アフリカの独裁国家エリトリアと北朝鮮の2国だけだという。三重苦の一つ、コロナ禍もかなりは自業自得だ。

 

南北通信線回復、北も「和解の一歩」と発表したが

 

 そんな中、南北間で久々に動きがあった。「南北双方は、昨年6月以来遮断されていた南北間の通信回線の復旧に合意し、(7月)27日午前10時に回線の使用を始めた」(7・27)韓国政府は、久しぶりに明るいニュースといったニュアンスで発表した。文在寅大統領と金正恩が4月から複数回、親書で意見交換し「相互の信頼を回復し南北関係を改善させていくことで一致した」ためだという。北朝鮮も朝鮮中央通信を通じて「南北和解の一歩」と意義を強調して、合意を発表した。

 

 南北関係は、2019年のハノイの米朝首脳再会談決裂後、金正恩は橋渡し役だった文在寅の口車に乗せられたと不信を募らせ、南北関係は冷え切っていた。その後の人道支援などの呼びかけにもほとんど答えなかった。それでも対北融和を旗印にする文政権は北に秋波を送り続け、ようやくそれが届いたということか。青瓦台周辺は「これで対話機運が高まる」と期待を膨らませている。

 

 しかも、この通信連絡線の復旧は「金正恩国務委員長からの要請だった」(8・3)。韓国の国情院は、国会情報委員会で明らかにした。文政権が無理矢理に認めさせたのではなく、北の方から提案があったことが嬉しくてたまらなかったのだろう。思わず漏らしてしまった。これで北がつむじを曲げては困ると思ったのか、その直後に聯合ニュースが統一部に問い合わせたところ、「双方が十分に協議して合意した結果」、「どちらか一方が先に要請したものではない」と修正した。

 

 いずれにしても、この合意を受けて、南北間の定時通信をはじめ、軍事や近海での中国漁船の違法操業を監視する南北船舶のホットラインなども交信を始めた。開城の南北共同連絡事務所を金与正の指示で爆破(6・16)してから1年余。黒煙を上げて崩れる映像はまだ生々しく残っている。それだけのことをしながら、なぜいま、南北の接触を認めたのか。北の狙いは。

 

文政権に恩を売りつつ、食糧援助が目的か?

 

 第一は、やはり窮地を脱するために韓国の支援、援助を期待してのことだろう。かつて、北朝鮮では日朝、米朝の関係改善のキザシがあっただけで、人々の期待が膨らんだ。今回も、南から食糧などの物資がくるとなれば、一時の欲求不満解消になる。そして、実際に、物資が入ってくるなら、一時の窮状は解消できる。そして、金正恩の功績にすることが出来る。

 

 一方、残りの大統領任期9ヶ月にして、未だに功績のない文在寅にとっては、喉から手が出るほどの南北改善の証である。北としては恩を売りながら、実を手に入れることが出来る。ここは色々いちゃもんを付けながら、より大きい成果を得る必要がある。通信線回復も出来るだけ高く売りつける必要がある。文政権はどんなものでも有り難く受け取る。

 

 もう一つの理由は、韓国大統領選に向けての「北風」、てこ入れだ。現大統領に任期は来年5月まで。3月に選挙が行なわれる予定だ。北朝鮮にとって、対北融和政権の継続は必須の条件だ。現政権の意向を継いだ大統領が望ましい。しかし、文政権の支持率は低迷したまま。なんとかてこ入れをと要求を受け入れたのだろう。恩を売ることでより有利な支援を受け取ることが出来、次期大統領選にも影響を及ぼすことが出来る。一石二鳥、三鳥だ。

 

 さらには、再び米国の間の橋渡しも期待しているのかもしれない。国家情報院によると、先の国会報告で「北は米朝会談の前提条件として鉱物の輸出許可、精製油と生活必需品の輸入許可を求めている」と報告した。さらに「生活必需品には平壌の上流階級の配給用の高級ウイスキーやスーツなども含まれている」(8・3聯合ニュース)という。「三重苦」の最大のものである経済制裁の効果大なのだ。とにかくここに風穴を開けなければ窒息してしまう。

 

米韓演習にいちゃもん、通信を止めた、その後は‥

 

 「必ず代価を払うことになる自滅的な行動である」(8・10)。金正恩の妹、金与正・党中央委副部長は、この日から始まった米韓合同軍事演習の予備訓練、連合指揮所訓練(~26)に対する非難談話を発表した。通信線回復の直後にも、文政権の歓迎ぶりを「軽率な判断」と皮肉り、米韓演習について「南北首脳の意思を甚だしく毀損する好ましくない前奏曲」とクギを刺していた。

 

 続いて超タカはで知られる金英哲・労働党統一戦線部長も「誤った選択により、すさまじい安保危機に近づいているかを時々刻々感じさせる」(8・11)と非難談話を発表した。北朝鮮にとって、米韓演習に時に出動するB52戦略爆撃機や原子力空母などの戦略装備は最大の脅威だ。今回は、図上演習が主だが、とにかく一切の米韓演習を止めさせたい。今回は、南がありがたがる通信線を回復してやったのだから、そちらも演習を止めろということだ。

 

 金与正は演習だけでなく「米国が南朝鮮に展開した侵略武力と戦争装備から撤去しなければならない」と在韓米軍の撤退まで言及している。そのうえで「私は、委任によってこの分を発表する」と最後に付け加えた。要するに、金正恩の指示の下にこれだけの要求をしている。連絡事務所爆破と違って、私の独断専行ではないことも言いたいのだろう。

 

 そして、文政権が大喜びした南北通信線の定時連絡に応じなくなった(8・10午後より)。最初の金与正談話を受けて、韓国与党「共に民主党」の70人余が米韓演習の延期を求める声明を出した(8・5)。北としては、大いに揺さぶり甲斐があると判断してもおかしくない。また、食糧援助を受けるにしても、南の方が頭を下げてもらって欲しいというから、もらってやろうという格好にしたいのか。

 

 韓国内には、SLBMなどミサイル実験の口実に使うのではという観測もある。しかし、そうなれば文政権にしても援助とは言い出せない。果たして、なんのための通信線再開だったのか。残暑の季節、再び水害もありそうだ。しばらく北朝鮮の様々な思惑を絡めた動きがありそうだ。

 

更新日:2022年6月24日