「涙」の後は「大笑い」

(2020.10.20)岡林弘志

 

 とにかく異例ずくめの労働党創建75周年だった。真夜中に行われ、演説をした金正恩・労働党委員長は珍しくも背広姿で現れ、人民に感謝とお詫びをして何回か涙を見せた。ところが、直後の軍事パレードでは破顔大笑。この激しい落差は何なのか。ここには世界でも希な首領独裁国家の統治の仕方が凝縮して現れている。これで新たに公約した「人民が夢見る復興・繁栄の理想社会」をどうやって実現するのか。言葉だけが踊っている。

 

「信頼に一度も満足に応えられずに面目ない」

 

 「我が党の栄光の75年を振り返ると、真に人民に打ち明けたい心情は『ありがとうございます』の一言に尽きます」(10・10)。真夜中零時からの記念式典で、金正恩は薄いグレーの背広姿で30分ほど演説した。人民への「感謝」を十数回も繰り返し、お詫びも交えて、時に演説を途切れらせ、眼鏡を外して、涙を拭う仕草を何回か見せた。「泣く子も黙る首領様」が涙である。おそらく、三代続いた独裁者が人民の前で涙を見せるのは、親が死んだとき以外は珍しい。

 

 まずは人民への感謝だ。「国を支える有り難い愛国者が人民」「本当に感謝を受けるべきは偉大な我が人民」「歴史の全能の創造者であり偉大な人民」。そして、新型コロナに関しても「(患者ゼロは)我が人民がもたらした偉大な勝利」「一人の被害者もなく健康で、本当にありがとうございます」と止めどない。

 

 さらに、演説の締めくくりでも、再び「全人民が無病息災」であること、「我が党に信頼寄せてくれる心情」に対して「心から感謝を捧げます」と繰り返している。将兵、勤労者も含めると感謝の言葉が20回近く出てくる。聞いてる人民はくすぐったくなるほど。というより狐につままれた思いだろう。

 

 そのうえで謝罪だ。「我が人民のあまりに厚い信頼を受けるだけで、ただ一度も満足に応えることが出来ず、本当に面目ありません」「私はこの国を導く重責を担っていますが、努力と真心が足りず、我が人民は生活の困難を脱することが出来ずにいます」。この点については全くその通りだ。北朝鮮の民は、毎日食うのに四苦八苦している。

 

 そのうえで「私は人民の信頼だけは、全身が引き裂かれ粉々になろうとも、命を捧げてでも無条件に守り、忠実であることを厳かに確言するものです」。なんということだ。これまで「革命の中枢を決死擁護」することを強いられてきたのは人民の方だ。そのための犠牲者も数知れない。それが、今度は金正恩の方が人民の信頼を裏切らないよう人民を「決死擁護」するというのか。

 

 金正恩がここで言う通りの国家運営をやるなら「主権在民」だ。しかし、この国で主権を持っているのは「首領様」だけで、人民には自由がないどころか、人権も無視されている。もちろん、不平不満を漏らせば、懲罰の対象、時には家族ぐるみ強制収容所送りだ。金正恩の周りにいる権力層ですら、気にくわなければ粛正だ。そんな非人間的な実情も反省しているのか。言葉が踊るというのはこのことだろう。

 

人民を守るという軍備が人民のクビを絞めた

 

 しかし、この後から話は変る。「人民に何ら羨むことのない生活を営ませるのは私と我が党の第1の使命」と強調。そのために「人民が戦争を知らない地で子々孫々繁栄できるように、平和守護のための最強の軍事力築き上げました」というわけだ。戦争で国を失っては、生活どころの話ではない。まず国と人民を守るため軍事力を「最強」にしたという理屈である。

 

 しかし、物事には程度というものがある。人々に食うや食わずを我慢させて、ひたすら軍備増強というのはどうだろう。独裁体制を守るため、人民に犠牲を強いたというならよくわかる。しかも、最貧国が世界第1の軍事大国を恐れさすほどの核ミサイルを持とうというのだから常軌を逸している。そうでなくとも、軍備というのはこれで満足という程度がない。疑心暗鬼になると、止めどなくなる。魔力がある。

 

 しかし、今や北朝鮮は「いかなる軍事的脅威も十分統制し管理できる抑止力を保有した」。米帝の攻撃を恐れることはない。しかし、あくまで「自衛的正当防衛手段としての戦争抑止力」で、「濫用されたり、先制して使われることはない」と、トランプ大統領が選挙中であることに配慮したのか、あくまでも自衛手段と強調している。ただ、「我々を標的に軍事力を行使しようとしたら、我々の強力な攻撃力を先制して総動員して膺懲する」のだ。

 

 そのために、北朝鮮はどう見ても過剰な軍備、核ミサイルを持ってしまった。その過程での度重なる実験で周辺国の警戒心を高めた。同盟国である中国、北との融和をひたすら目指す韓国・文在寅政権ですら、国連の経済制裁を守らざるをえないまでになっている。自国、自国民を守るためという核ミサイルが、経済制裁という自らのクビを絞める結果を招いているのが現状だ。

 

それでも集会参加の民衆は感涙!

 

 金正恩は、2、3年前に「核武力が完成した」という趣旨の発言をしている。旗印の「並進路線」の軍備強化は成したので、これからは経済に軸を移して「人民生活の向上」に邁進すると宣言した。その直後に南北首脳会談、初めての米朝首脳会談が三回も行われた。米国が「北朝鮮の非核化」を最大の議題にすることを承知しながら金正恩は応じ、軍事的な緊張は大分穏やかになった。しかし、北朝鮮はその間も、核ミサイル開発の増強を続けていたのである。今回の軍事パレードはそれを裏付けている。

 

 そして、今年はコロナ禍、大水害が重なった。これら被害を大きくしたのは軍備強化の副作用だ。核ミサイルに財力、精力を集中させた。当然民生経済はおろそかになる。人々の栄養状態、衛生状態は劣悪なままで、防疫態勢は劣悪。極度にコロナを恐れざるを得なかった。そして、治山治水を放置してきたツケが露呈してしまった。

 

 核ミサイルが独裁体制を守るためというなら、人民は当然犠牲にされる。しかし、国家・人民を守るといいながら、反対に人民を苦しめたというのは、どう見ても理屈に合わない。しかし、記念式典に参加、あるいは動員された兵士、そして「熱誠分子」と言われる人民は、金正恩の涙や謝罪の言葉に感激して、涙を流し、感激の歓声を上げ続けた。

 

 かつて、金日成、金正恩が死去したときも人々は滂沱の涙を流した。物心ついた時から、ひたすら首領様をあがめ奉るよう教育された結果である。しかし、普段の生活の場では、「三重苦」によってこれまでになく苦しさが増している。金正恩は、感謝・謝罪・涙を見せざるを得なくなったのか。押さえつけることは困難と判断するほど、人々の不満が高まっていることの裏返しだろう。

 

新型ミサイルに破顔大笑したが、疑問も

 

 それにしても、軍事パレードを見る金正恩の喜び様は大変だった。演説で「威風堂々の今日の閲兵隊伍は、革命軍隊をいかに育成したか」「5年前の党創立70年の閲兵式に比べると、近代性、発展速度は容易に推し量ることが出来るでしょう」と胸を張ったように、これまでにない軍備強化を誇示するパレードだった。

 

 特に注目されたのは、初登場の新型ICBM(大陸間弾道ミサイル)とSLBM(潜水艦発射型ミサイル)「北極星4」だ。ICBMは、全長約24mで、11軸22輪の車両に載せられていた。新型ミサイルの登場は18年2月の「火星15」以来、全長は2mほど長くなっている。専門家によると、射程は1万~1万3千km、角度によればワシントンに届く。しかも弾頭部分の大きさからみると、最大600kgの核弾頭を3個搭載できる。おそらく世界でも珍しい「怪物ICBM」(朝鮮日報)だ。

 

 「北極星4」は、19年2月に元山付近で発射した「北極星3」(長さ10m、直径1.4m)の改良型だろう。新型ICBMには名前が付いていないが、新型SLBMにははっきり名称が書かれている。潜水艦は米本土の近くまで潜行してミサイルを発射出来るので、米国がもっとも警戒している装備だ。

 

 いずれも、軍事パレードの最後を飾るように登場した。金正恩はいちいち指さしながら、横にいる軍幹部に盛んに話しかけ、破顔大笑。さっきの涙は何だったのかと思わせるほど上機嫌だった。「米帝の奴らもびっくりだろう」なんて言葉が聞えてきそうな雰囲気だった。

 

 しかし、本当に新型が完成したのか。実戦に使えるのか。米韓の軍事専門家からは疑問も出ている。まずは、ICBMの大きさ。22輪の移動式発射装置付き車両に乗っていたが、これほどの長さと重量の車両が通行できる道路は、北朝鮮内では限られている。今回も美林飛行場から会場までの橋は増強工事がされたという情報もある。

 

 それに、図体が大きければ、衛星から発見されやすい。しかも液体燃料なので、この規模だと発射直前の注入に10時間以上もかかるという。攻撃される危険が大きい。かつて「巨艦巨砲主義」というのがあった。先の大戦では世界最大の戦艦を密かに建造したが、出港直後に撃沈されたという例があった。実戦的には無用の長物になりそうだ。

 

 また、弾頭部分が大きくなり、3発ほどの核爆弾を積載可能なようだが、核弾頭が各々の目標を狙えるところまで開発は進んでいないという分析が多い。SLBMも、軽量化されたようだが、2.3基積載して米大陸まで行ける潜水艦そのものがまだなさそう。原子力潜水艦でなければ無理という専門家もいる。

 

 ではあるが、金正恩を喜ばせたのは間違いない。核ミサイル開発担当の李炳哲・党副委員長は、記念式典直前の党政治局会議(10・5)で軍元帥の称号を与えられ、軍事パレードでも指揮官として晴れ晴れしい姿を見せていた。新型ミサイルの開発の功績を認められてのことだろう。

 

やはり金与正が派手な演出か

 

 それにしても、この記念式典はこれまでにない演出がされた。しばらく金与正・党第1副部長の消息が伝えられなかった。記念式典の準備にかかっているためと言われたが、どうもそうだったようだ。まずは、真夜中の開催。金与正はかつて米国に対して夜間行われた米独立記念日のDVDが欲しいと頼んだ(7・10)。花火が打ち上げられ、ライトで照らされた行事は演出効果が上がる。それを参考にしたのか。

 

 そして、記念式典は広場や大同江沿岸から上がる花火、祝砲と共に始まる。金正恩は、「主席壇」と言うらしいが、それがあるバルコニーに姿を現した。いつもの人民服でなくスーツ姿、しかも明るいグレーは、尊敬して止まない祖父金日成主席がかつて愛用していた。そして、登壇前には女の子と男の子から花束を受け取りハグした。これも金日成がよくやり、記録映像に出てくる。演出の一つだ。

 

 国旗(?)掲揚、国歌(?)斉唱がこれまでになく粛々と行われた。そして、数十匹の白馬に乗った儀仗隊、テレビでは「名誉騎兵象徴縦隊」(?)が行進。この後、軍事パレードが始まる。例年行われるような歩兵や各種装備の車両が次々と登場、最後は従来型ミサイル、新型ミサイルが行進。「53歩兵縦隊と22の機械化縦隊」が参加したという。式典の終わりには、金正恩は満面の笑みを浮かべてお立ち台のあるバルコニーを行ったり来たりしながら手を上げて、人々の歓声や拍手に応えて、姿を消した。

 

 この様子は、当日の午後7時からTV放映された。式典が終わってから、17時間も経っていた。これまでは、正午に始まり、夕方には放映したのに、随分時間がかかった。それだけ、DVDづくりにこった、時間をかけたということだろう。これも金与正の差配だろう。

 

 式典は、あくまでも厳かに、そしてパレードでは会場に入る前の車列も挿入し、元帥になったばかりの李炳哲が小型装甲車に乗って、各部隊の前で、「同志諸君、アンニョンハシムニカ」とあいさつ、兵士達が「あなたの健康を願います」と応える(北のテレビで、兵士が首領様以外の幹部の健康を祈るというのは珍しい)場面も挿入されている。ただの中継でなく、あちこちで見せ場をつくり、雰囲気を盛り上げ、人々がいかにも感激するだろうという編集がされている。

 

 実際に感激する参加者や兵士の姿も絶えず映され、それ以上に、金正恩は繁く映し出され、輝かしき領導者であるアピールする。かつてファシズムの国々は宣伝と軍備増強に国力をつぎ込んだが、独裁体制の維持・強化の見本を見るような創立記念日だった。

 

 もう一つ気になったのは、この式典に莫大な国費が消費されただろうことだ。全ての装備や兵士の服装が新調されたように見えた。一般兵士の軍服、戦闘服、迷彩服はおろしたて。戦闘服のズボンには膝当てまで付いており、携帯している銃や連絡用無線などもかなり近代化されているようだ。

 

 次々と搭乗した軍事車両も塗料塗り立てのように鮮やかに映っていた。戦車もこれまで以上に改良されて、照準装置らしきものもはっきりわかる。多軸のロケット、ミサイル搭載車両もこれまでない数が登場した。それに、式典のDVDを見ると、数多くのカメラ、ドローンが贅沢に使われたことがよくわかる。金正恩の指導力を誇示、金一族の神格化のために、カネに糸目をつけなかったことがよくわかる。これだけのカネがあれば、どれだけ大水害の復旧に役立つか。

 

具体策は党大会の「5カ年計画」で?

 

 話しを演説に戻すと、金正恩は涙を滲ませて人民に謝罪したが、問題はこれからだ。演説の締めくくりで、「いま残っていること(課題)は、人民がこれ以上苦労せず、裕福で文化的な生活を思う存分享受できるようにすることです」「人民が夢に描く復興・繁栄の理想社会の実現を最大限に早めていく」と約束した。「我が党は苦難の中で人民と運命を共にしながら、今後我々が何をなすべきかがよくわかった」からである。

 

 いまになってそんなことを言われても。人民が求めているのは、理想や裕福な生活ではない。とりあえず食うに困らない生活だ。栄養失調をなくし、衛生状態がもうすこしマシな生活である。既に数年前から、金正恩は、「再びベルトを締めることがないように」「人民生活の向上」を目指すと約束している。今になってなすべきことが「よくわかった」というのは、どういうことか。実はこれまでわかっていなかったことを告白したのか。

 

 そして、「労働党第8回大会にはその実現のための方策と具体的な目標を示す」と約束した。来年1月と予告した党大会では、「経済発展5カ年計画」が示めされることになっている。いかなる具体的な目標と実現方法が示されるか。前第7回大会で示された「国家経済発展5カ年戦略」は、経済成長率を定め立派なものだったが、絵に描いた餅、金正恩自ら失敗だったことを認めている。

 

5カ年計画は「三重苦」の中に出発に

 

 しかも、来年からの「計画」は、経済制裁、コロナ鎖国、大水害の「三重苦」の中の出発になる。非核化を否定、経済制裁をそのままに、どのような展望が開けるのか。金正恩は演説で「戦争抑止力を引き続き強化していく」と、従来通り核ミサイル開発を進めると明言している。張りぼてだったかもしれない新型ICBMとSLBMの実用化を図るとなれば、莫大な費用がかかり、これまでと同様、民生経済は二の次、三の次になってしまう。

 

 記念式典の直後、金正恩は精力的に被災地を現地指導した(10・14、15)。金属鉱山などが水没した咸鏡南道の検徳地方、新甫市などだ。住宅建設などの復興の様子を見たが、ここへ来る途中の峠道で古びた住宅を見たという。「半世紀もはるか前に建設した住宅がまだそのままある」と指摘、「今日のように立ち後れた生活環境の地方の人民の暮らしを見ながら、顔を背けるなら、我が党の人民政策は空論」という。その通りだ。

 

 しかし、これまで金正恩は年に数十回も現地指導をしてきた。その行き帰りに何を見てきたのだろうか。大規模なスキー場や乗馬クラブ、温泉施設などの遊興施設の建設、造成に力を入れてきたが、人々が普通に暮らせる環境作りはおざなりだった。労働党でなく本人の人民政策が空論だったのではないか。報告が上がってこなかったと言うなら、本人の指導力に問題があったからだ。

 

 そして、「天が崩したら新しい住宅を建設するのでなく、地方の建設目標を立ててすべきである」と指示した。現地指導をした地域だけでなく、全国的にやれというのだろう。これこそ来年からの5カ年計画に加えるべき立派な目標になるだろうが、どうなるか。

 

「自力更正は強力な霊剣」というが

 

 記念式典に参加した住民の感激は確認できたが、食糧が逼迫している地方の住民も感涙にむせんだとは限らない。あんなことのカネをかけるなんてという不満がくすぶっているのではないか。北朝鮮は、いま「80日間戦闘」(10・14~)の真っ最中だ。労働新聞は「自力更生は強力かつ威力ある霊剣」と、盛んに「自力更生」を強調しているが、それでは軽罪再生は出来ないから今日の窮状を招いている。ここでも言葉が踊っているだけだ。

 

 もう一つ、金正恩の関心事は、間近な米大統領選(11・10投票)だろう。トランプの再選を願ってか、演説で米国を名指しで非難することはなかった。しかし再選されても、金正恩が望む緩やかな「非核化」が通ることはない。今回の軍事パレードの新型ミサイルを見て米インターネットメディア「VOX」はトランプが「強い怒りを示した」と報じた。米政府関係者は「北朝鮮が、禁止されている核および弾道ミサイル計画を優先視し続けているのを見て失望した」とコメントしている。

 

 最大の足かせである国連の経済制裁が緩む展望は開けない。また、コロナは治療薬の完成に時間がかかり、収まる気配はない。展望は開けないまま、2020年はあと2カ月になってしまった。

 

更新日:2022年6月24日