永年の“乱山乱水”のツケ

(2020.9.25)岡林弘志

 

 北朝鮮を襲った台風・洪水は、かつてないほどの大きな被害をもたらした。金正恩・労働党委員長は最前線に立って復旧に力を入れざるを得なくなった。現地で叱咤激励しているが、原因ははっきりしている。先々代から治山治水をおろそかにしてきたからだ。人民生活の根本は食糧問題、民生経済の立て直しだ。神格化や核ミサイルではなく、治山治水、インフラ整備に本気で取り組むのでなければ、いくら大号令を掛けても水害は毎年襲ってくる。

 

「別世界を見ているようだ」と大絶賛

 

 「過去の立ち後れと被害が重なり見るも無惨極まりなかった農村を、このように短期間に跡形もなく取り除くことができるのか。まるで別世界を見ているようだ」(9・15朝鮮中央通信)。金正恩は、ことし夏に大きな風水害で壊滅的な被害を受けた黄海北道金川郡江北里を訪れ、復興の様子を見て、大げさなほどの言葉で絶賛した。

 

 というのは、ここは「毎年自然災害を被っているが、住宅と公共施設をろくに補修せず、危険な状態」にあった。このため、金正恩が「人民軍部隊に建物を全部取り除き、新たに建設して里の面貌を一新させるよう戦闘命令を下した」のだそうだ。今まで放っておいたのが問題だが、今回は、この辺りを現地視察(8・7)した際に命令したのだろう。配信された写真を見ると、確かに全面的に新しい村に生まれ変わっている。わずか1カ月ちょっと、金正恩が好きな「速度戦」の成果だ。

 

 写真で見える範囲でいうと、一戸建て住宅が70~80戸、赤い瓦に肌色の壁が秋の日に光っている。それに3階建てのアパート、学校らしき3階建ての建物、それに里事務所や体育館のような建物もある。200世帯は住めるのではないか。一般的な北朝鮮の農村のくすんだ生気のない光景とは大違い。金正恩も現地視察で愛用している長袖開襟シャツ、だぶだぶの黒のズボン姿で、満足そうな表情を見せている。

 

 金正恩は、その3日前にも、同じ黄海北道の銀波郡大青里の復旧現場を訪れ、「わずか30日余りでこのような理想郷が現れたのは奇跡だ。世界を驚かすだろう」(9・12)とやはり上機嫌だった。同時に「農場員の要求通り一棟一世帯建てるよう指示したが、本当によかった。建設した甲斐がある」と、自らの指導力をアピールするのも忘れなかった。

 

 こちらは、ブロック建ての住宅が約100戸ほど建っている。鉄筋も入れずにただブロックを積み上げるだけだから簡単にできるのだろうが、確かに早い。金正恩は、開襟シャツを脱いで、だぼシャツのような下着になって、現場を回り、如何にも満足そうな顔つきだった。

 

核や軍の施設、鉱山も浸水被害‥‥未曾有の大水害か

  昨年まで金正恩の被災地視察の動静は、ほとんど報じられなかった。今年は異常なほど水害の現場に足を運び、対策会議を開いている(別表参照)。それだけ被害がひどかったのだ。7月から8月に掛けては梅雨前線などによる長雨、豪雨に見舞われた。もともと朝鮮半島は梅雨といっても少し雨が降る程度だったが、最近は温暖化のせいかよく降る。特に今年は異常だった。そのうえ、8月末からの台風8号、9号、10号と、ほぼ1週間毎に朝鮮半島と近海を北上した。

 

 豪雨は、主として黄海側の黄海南北道、平安南道、三つの台風は日本海側の咸鏡南北道、江原道に大きな被害をもたらした。このう

金正恩・水害関連の動静
 (8月、各地に豪雨)
 8・7 黄海北道、SUVを運転して視察
 8・13  党政治局会議で水害普及対策決定

「外部の支援は受けるな」

 8・19  党中央委総会、来年1月党大会
 8・25

党政治局拡大会議、台風対策

党政務会議

 (8・26 台風8号)

 8・28

台風8号被害の黄海南道視察

 (9・2 台風9号)
 9・5 台風9号被害の咸鏡南道視察、道委員長更迭。平壌党員1万2千人を被災地へ派遣命令
 (9・7 台風10号)
 9・8 党中央軍事委拡大会議、復旧は人民軍に委任
 9・12 黄海北道大青里の復旧現場視察

ち黄海南北道はコメやトウモロコシの主産地、日本海側は鉱山や工場が多い。咸鏡南道の「検徳鉱業連合企業所と大興青年英雄鉱山、龍陽鉱山、ペクパイ鉱山で2000余世帯の家屋と数十棟の公共建物が破壊したり、浸水」した(9・8党軍事委拡大会議)。はっきり言っていないが、鉱山は水没したようだ。

 

 さらに、北朝鮮は報道していないが、戦時の爆撃を避けるため積極的に地下に造った軍の施設も水没被害、寧辺の原子炉や軽水炉などの核関連施設も浸水被害を受けたといわれる。隠蔽のための地下化が裏目に出た。このほか、各地で道路や橋が流失、鉄道も洪水に見舞われて線路を敷設してある土手が流失した箇所もあり、被災地では「交通が完全に麻痺した非常事態」(9・8党軍事委拡大会議)になっている。

 

 平壌などのごく一部を除き、全国的に近年にない大被害を受けたことは間違いない。経済制裁、コロナ鎖国に、今回の災害が加わった。北朝鮮は「三重苦」に襲われている。「国難」といってもいいだろう。

 

 かつて北朝鮮のメディアは水害や台風シーズンが過ぎた頃、全体の被害を報じる程度だった。しかし、今年は台風9号では、朝鮮中央テレビは日本や韓国のテレビのように、記者が現場で水に浸かり強風に煽られながら中継する光景も放映された。また、女性アナウンサーが「気象局」で専門家に台風の進路や強さ、降雨量などを質問する場面も繰り返し放映された。

 

 また、北朝鮮は外国や国際機関の支援が欲しいときだけ、自然災害の被害を対外的に伝えていたが、今年は大違いだ。金正恩が珍しく災害現場に頻繁に姿を現しているのでもわかるように、金正恩独裁の危機と認識しているのだろう。このため、被害の大きさを知らしめ、人々の危機意識を煽り、金正恩が復旧の最前線に立つ姿を見せた方が、本人への非難を交わすことが出来ると判断したのだろう。この災害による食糧不足は必至、飢えた人民の恨みは最高権力者に向けられるからだ。

 

責任者はクビ、平壌党員を大動員‥‥指導力を誇示

 

 それだけに金正恩の演出は派手だ。最初に被害現場に姿を現した金正恩は、自ら泥にまみれた黒のSUV(スポーツタイプ多目的車・レクサス)を運転(8・7、黄海北道)。復旧作業に忙しい農民等の大歓迎を受け、手を振って応えた。そして、「国務委員長の予備穀物を被災地の人民に配れ」と命令した。政府備蓄米のことか。その後の視察では、靴に泥が付くのも厭わず、現地を歩き、なにやらしきりと指示を出している。いずれも報道された。

 

 咸鏡南道視察(9・5)では、現地で党中央委政務局拡大会議を開き、鉱山等の水害対策を怠り、甚大な被害を出したと咸鏡南道委員会の金成日・委員長をクビにした。同時に、平壌の労働党党員による「首都党員師団」を結成して、咸鏡南北道地方の被災地へ派遣することを決めた。金正恩はただちに平壌の全党員に「首都の人民が困難を経験している地方の人民を誠心誠意手助けし、鼓舞、激励することも、われわれの誇らしい国風」だと檄を飛ばす「公開書簡」を送った。

 

 これを受けて、翌日たった1日で党員30万人余が志願(労働新聞)。そして平壌市決起大会が錦繍山太陽宮殿の広場で開かれ(9・8)、党組織の推薦を受けた市内の機関、工場、企業の活動家1万2000人が参加した。名称は「最精鋭首都党員師団」と大分威勢がよくなっている。直ちに、トラックなどに山なりに乗って現地に向かい、到着した様子はテレビなどで大々的に報道された。

 

金正恩が行かない被災地は?

 

 災害復旧がなにやら派手派手しい行事のようで違和感を覚える。派遣される党員は、人民服と軍服を合わせたような服を全員が着ている。普段から用意させてあったのか。しかし、これだけの人数が鳴り物入りで行って、人海戦術が必要な復旧工事には役立つだろうが、三度三度の食事の調達はどうするのか。寝るところは。それに「三密」のなかでコロナの心配はないのか。

 

 また、金正恩が現地指導した大青里や江北里の住宅などは、あっという間に復旧したようだが、それ以外のところはどうなのか。今回のように全国的に被害が広がっている状態で、復旧のための資材や器材をどうして調達するか。需要を満たすだけの絶対量があるのかどうか。金正恩が最も配慮すべきはそこである。もともと絶対量が不足している中ではどうにもならない。いくら責任者をクビにしても、必要な資材などが降って湧いて出てくるわけではない。

 

 しかも、金正恩は事あるごとに10月10日の労働党創建75周年を持ち出す。「被害を受けた咸鏡南北道の数多くの人民が屋外で祝日を過ごさせることはできない」(9・6平壌党員への公開書簡)‥‥。そして、住居だけでなく、「道路と鉄道を復旧し、年末までに全ての被害を100%復旧しろ」と命令した。

 

自然災害ではなく、人災だ

 

 振り返ってみれば、北朝鮮は金日成、金正恩の時代から半世紀以上にもわたって、治山治水をおろそかにしてきた。よく知られているように、金日成の山を削って畑にしろという「段々畑政策」によって、多くの山がはげ山になった。元々土の層が薄い山は雨が降る毎に土砂崩れを起こし、川に流れこんで河床を上げた。そのうえ、川底の砂を除去するという地道な作業は行わず、大雨の度に浸水被害を出してきた。三代にわたって治山治水を怠ってきたのである。

 

 その一方で神格化事業と核ミサイルには膨大なカネ・モノ・ヒトをつぎ込んできた。金一族の銅像や顕彰碑、率いたという「解放戦争」「解放闘争」を誇示するための博物館‥‥。そして、さらに巨額の資金を必要とする核ミサイル開発。これでは産業のためのインフラ整備にカネは回らず、民生経済も立て直しどころか、悪化するばかり。

 

 この結果が1990年代後半の「苦難の行軍」だった。90年代前半、やはり豪雨に見舞われ、農作物が甚大な被害を受け、深刻な食糧難に見舞われた。このため、配給が大幅に滞り、2、3年の間に200万人ほどの餓死者を出したといわれる。大飢饉だ。この時、金正日は父親の死去(94・7)の直後で、喪に服していた為か現地指導も特段の指示もせず、より事態を悪化させたといわれる。

 

 そして、金正恩は就任以来、見てくれのいい遊園地、乗馬場、スキー場、温泉施設などのレジャー施設建造を優先的に行った。自らの指導力を誇示し、同時に中国などの観光客を集めて、外貨を稼ぐつもりだったが、これは新型コロナで頓挫。また、金正日時代の「ドル箱」だった金剛山観光、開城工業団地は、北側の事情で中断したまま。これでは、外貨不足は進む一方。治山治水のような地道な事業にはモノもカネもまわらない。要するに、今回の豪雨・台風被害を甚大なものにしたのは、独裁体制の構造そのものに原因がある。自然災害ではなく、人災と言ってもいいだろう。

 

「闘争の方向を変更」というが

 

 「予想外に押し寄せた台風被害により、国家的に推し進めていた年末闘争課題を全面的に考慮し、闘争の方向を変更せざるを得ない」(9・8)金正恩は、党軍事委拡大会議でこう宣言した。「年末闘争課題」が何か具体的には言っていないが、経済計画を予定通りに進められないことを認め、「非常時」であることを強調したのだろう。

 

 そして、先に引用したように咸鏡南道検徳地区には鉱山がいくつもあり、「我が国経済の重要命脈」だ。このため、金正恩はこの地区の復旧は「必ず先行すべき急務である」と優先的に取り組むよう命令した。これを受けて会議では「復旧建設をまたもや人民軍に委任する」ことにして、「運輸機材と建設機材の保障および機動対策、セメントと燃油をはじめとする建設資材供給対策、連帯輸送対策など」を決めた。

 

 ということは、先にも触れたが、全国的に被害が出ているのに、この検徳地区の復旧作業は、金正恩のお声掛かりで最優先に行うため、様々な資材、器材を最優先で調達しろということになる。とばっちりを受けるのは他の被災地だろう。しかも金正恩は「10・10」迄に格好をつけろと大号令。いずれにしても、それ以前の経済計画があろうと、とても実行できる状態ではないことは確かだ。

 

 そして、来年1月には労働党第8回大会を招集する(8・19党中央委総会)。党大会は大きな節目であり、国家運営の根幹にかかわる大方針、長期計画を決めるのが通例だ。先代金正日は一度も開かなかったが、金正恩は2016年に続き2回目だ。1回目では「勝利者の大会、栄光の大会として輝かせるべきだ」と予告した。

 

 そして今度の第8回。日程を決めた時点では水害被害もたいしたことがなかった。「党と国家活動の全般を新しい上昇段階に策定し、導く朝鮮労働党の自信の表出」すると予告した。「自立更生」を高々と掲げて、経済制裁には負けないぞと気勢を上げるということだろう。

 

 しかし、前大会で決定した「国家経済発展5カ年戦略」は頓挫し、金正恩自身も達成できないことを認めている。経済制裁、コロナ鎖国、それに追い打ちを掛けるように襲った大水害の「三重苦」の中で、どんな展望を持ちうるのか。どんな経済計画を立てられるのか。かつて金正恩は「再びベルトを締めるようにはしない」と、食うに困るようにはしないと人民に誓った。しかし、言葉だけが威勢よくても、人々の腹を満たすことは出来ない。

 

核を抱えたまま「苦難の行軍」か

 

 この閉塞状態を突破する方法はある。言うまでもなく完全な「非核化」だ。そうすれば、核ミサイル開発に使う巨額のカネ、資材を民生経済、まずはインフラ整備に回すことができる。同時に、経済制裁は解除される。食糧やコロナ関連の援助が始まる。周辺国からの経済援助、経済協力も進む。しかし、わかっていながら、北朝鮮はこれを拒んできた。金正恩は、核は独裁体制の「守護神」、捨てれば独裁だけでなく、我が身も危ういと判断しているからだ。

 

 大決断が出来なければ、核を抱えたまま、既に始まっているようにも見える「第2の苦難の行軍」を人民に強いることになるのか。今年はあと3カ月を残すだけとなった。

 

更新日:2022年6月24日