どうなっている「兄妹支配」

(2020.7.16)岡林弘志

 

 このところ、金与正・労働党第一副部長の露出度が増えている。しかし、最新の米国向け談話は、何のためかよくわからない。批判の歯切れは悪く、あげくに米独立記念日のDVDが是非ほしいというのだから、何をか言わんや。一方の兄、金正恩・労働党委員長の方は、たまにしか姿を見せない。どうも「平壌総合病院」建設という見栄えのする目標を作って、10月10日の党創建記念日に、何が何でも間に合わせろと、「速度戦」を無理強いしている。

 

「首脳会談」あれこれの話は、ヒマつぶしになった

 

 「ここ数日、朝米首脳会談の可能性を示唆する米国人の心理変化をテレビで視聴するのは、朝食時間の暇つぶしには申し分なくよかった」(7・10)。朝鮮中央通信が報じた金与正のかなり長い談話は、こんな揶揄から始まる。そして「個人の考え」と断ったうえで、「よく知らなくても朝米首脳会談のようなことが今年にはあり得ないと思う」と、今度はやや謙遜しながらも見通しを示す。

 

 と思えば、一転「しかし、両首脳の判断と決心によってどんなことが起こるかは誰もわからない」。両首脳の決断によってはあり得るかもと、何とも思わせぶりだ。それなら、首脳会談の可能性もあるのかと思うと、「米国側だけに必要なことで、我々には全く非現実的で無益だ、ということを念頭に占って見るべきだ」。要するに北朝鮮としては、やっても意味が無いと、やる気はないという。なんとも回りくどい。

 

 この談話は、北朝鮮にかかわる米国の動きに対して発せられたものだ。ビーガン国務副長官が韓国を訪問(7・7)、今後の見通しなどを話し合い、韓国側の発表では北朝鮮を対話のテーブルに引き戻す、米韓の協力強化などで一致した。これを前後して、ワシントンではポンペオ国務長官が「(北朝鮮との)対話を行いたい」、トランプ大統領も「有益なら、3度目の首脳会談を行いたい」と話した。一連の発言に、金与正が素早くかみついたというか反応したのだろう。

 

 金与正は、昨年末に第一副部長に就任、さらには党政治局員候補に返り咲いた(4・11)。この辺りから急速に存在感を増し、対韓国、対外関係を先頭に立って率いているようだ。そして、開城の南北連絡事務所の爆破を予告(6・13)、3日後に実行に移したことで、世界中にその名が報道された。脱北者団体の金正恩非難の風船ビラ散布に怒ったためだが、この時は「クズのような連中」「クズを掃除しろ」と、下品な表現ながら威勢はよかった。

 

「寝ているトラを起こすな!」

 

 それに比べて、今回の対米談話は、何とも歯切れが悪い。もう少し、談話を紹介すると、「朝米首脳会談は無益」を繰り返したうえで、その理由を「簡単に三つ」揚げている。①「米国側にのみ必要で、我々には無益」②「新しい挑戦をする勇気の無い米国人とは対座しても無駄」「維持されてきた首脳同士の特別な関係まで毀損される危険がある」③「クズのようなボルトンが予言したことで、絶対そうしてやる必要がない」――。

 

 まず理由がちゃんと整理されていないし、ボルトンが気にくわないのはわかるが、こんなところへ持ち出すか。よくわかるのは、②にあるように、いまだにトランプと金正恩の間には深い信頼関係があると信じているということだ。要するにトランプだけが頼り、望みをつないでいることがよくわかる。少し後にも、「現在のように米国が極度に恐れることが起こらない」、つまり北朝鮮が大陸間弾道ミサイルなどの実験をしないのは、「委員長同志と米大統領の格別な親交がたっぷり作用している」ためだと重ねて強調している。

 

 ところが、続いて「米国がいらだち、下手にわれわれの重大な反応を誘発させる危険な行動に出るなら、寝ているトラを刺激することになり、無事ではすまない」と脅す。米国が圧力を掛けるために空母や戦略爆撃機の派遣という「危険な行動」を続けるなら、我々も軍事挑発をするぞということか。それにしても、自らを「寝ているトラ」とは尊大だ。

 

 ここまで、金与正の談話を紹介してきたが、分量からするとこれでようやく3分の1ちょっと。後はかいつまんで紹介する。昨年2月のハノイ会談は、米国が経済制裁解除の真似をして、北朝鮮の「核中枢を優先的に麻痺」させるためだった。従って、6月の板門店会議では「我々方式で自力で生きていくと宣明した」。そして、これからは「非核化措置対制裁解除」ではなく「敵視撤回対朝米協商再開」に切り替える。「核」は取り引き材料にしないということだ。

 

 といいながら、終わりに近いところでは「非核化はしないでなく、今は出来ないことをはっきりさせておく」。「不可逆的な重大措置が同時にとられてこそ可能」と、取り引き次第ともいう。休戦協定の平和条約への切り替え、「朝鮮半島の非核化」すなわち韓国や周辺の米国基地などの核戦略兵器、装備もすべて撤去すればという従来からの主張の繰り返しだろう。

 

「委員長同志の許しを得た」のでDVDを

 

 締めくくり。「私はもともと、南朝鮮に向けてなら知らないが、米国人に向けてこのような文章を書くのは願わなかった」。あれ、あれそうだったのか。今までごちゃごちゃ言ってきたのは何だったのか。そして「終わりに、数日前テレビ報道で見た米国独立節記念行事に対する所感を伝えようと思う」。何か皮肉っぽい感想でも言うのかと思いきや、「可能であれば、記念行事を収録したDVDを個人的に是非手に入れようと思っていることについて委員長同志から許諾を得た」という。素直に読めば、談話は出したくなかったが、個人的に独立記念日のDVDを見たいと伝えるために発表したのか。

 

 米独立記念日は7月4日、我々がニュースで見たのは、コロナ禍により昨年より大幅に縮小され、トランプがホワイトハウス前で、黒人デモが暴徒化していると繰り返し非難するなど選挙集会まがいの演説をし、上空に戦闘機を飛ばした。例年締めくくりに盛大に行われるニューヨークの花火打ち上げは、わずか5分というささやかなものだった。

 

 北朝鮮は、今年が労働党創建75年(10・10)とあって盛大に祝うらしい。早くも軍事パレードやマスゲームの準備が始まったという報道もある。しかし、米国の独立記念日行事の何を参考にするのか。それとも、コロナ禍でいかに慎ましくやったかを参考にするのか。不思議な「所感」だ。

 

 ただ、米国向けの談話で言及したということは、米国に送ってくれと暗に頼んでいるのか。何とも締まらない。ちなみに、北朝鮮では、人民が米国や韓国のDVDなどを見たら収容所行だ。それでお兄ちゃんの許可を得たとわざわざ言ったのかもしれないが、米国に言い訳するようなことではないだろう。

 

苦境のトランプ再選に声援?

 

 そして最後の段落。「委員長同志は、トランプ大統領の活動で必ずよい成果があることを祈願するとの自身のあいさつを伝えるように述べた」。これが結論ということか。色々と米国に文句を付けてきたが、これをトランプに伝えたかったのか。いまトランプの「活動」と言えば、明けても暮れても、11月の大統領選の再選に向けての選挙運動だ。そして「よい成果を祈願」と言えば、再選されることになる。

 

 なんともあからさま、率直だ。大体、最高責任者は他国の選挙に口を挟まない。言うまでもなく、選挙干渉や妨害と受け取られるし、別の候補者が当選した場合、外交上不利を被るからだ。最も仲良しといわれるアベさんでも、公にトランプ再選を願うとは言わない。そうした常識は持ち合せないのか。韓国の選挙の際に「北風」を吹かせるのと一緒に考えているのか。

 

 それはともかく、今年初めまでトランプ再選の可能性はかなり高かった。しかし、コロナ禍、白人警官による黒人殺害事件(5・25)への対応を間違え、人気は急落。最近の世論調査では民主党のバイデン・元副大統領に10ポイントもの差をつけられた。そのうえ、コロナで売り物の経済も低迷、再選はきわどくなってきている。

 

 それでもトランプを激励するしかない。北朝鮮の最高責任者に対して「いい奴だ」「信頼している」などといった大統領は初めて。首脳会談では北朝鮮がいう「朝鮮半島の非核化」に一度は理解を示した。北朝鮮が最もいやがる人権問題には関心が無い。何よりトランプとは気が合うのだ。もし、民主党大統領が誕生したら、元の木阿弥。「戦略的無視」に戻る。

 

 それにしても、何とも奇妙な談話である。トランプが無事再選されてもう一度首脳会談をやりたいと言うにしても、回りくどいし起承転結がなっていない。DVDが見たいなどと言うことは私信で言うようなことだろう。他国に向けて公にするような文章、内容ではない。どうしてこの談話を出したのか理解に苦しむ。

 

金正恩は、「世界的水準」の病院を200日で造れ!

 

 「平壌総合病院を世界的水準に立派に完工するため、国家的に施工、資材供給、運営準備の具体的課題を示した」(7・3)。金正恩は、党政治局拡大会議を主宰(7・3)し、コロナについて「防疫緩和は致命的危機を招く」と一層の対策強化を指示。同時に、平壌病院建設について「世界的水準に」するため、国を挙げて取り組めとゲキを飛ばしたのである。

 

 計画が明らかになったのは、起工式(3・18)だ。金正恩は、出席を「予定していなかった」とことわりながら長々と演説をぶった。労働党創建75周年を迎え、病院建設は「最も重要、張り合いのある闘争課題」と位置づけ、創建記念日(10・10)までに「無条件に完了」させるよう指示した。しかし、本人も言うように「あとわずか200余日しかない」のである。

 

 この病院計画は唐突だ。事実上の今年の施政方針になった昨年暮れの党中央委総会の金正恩の報告には出てこなかったと思う。それが起工式で、今年から始まった自力更生による「正面突破作戦の主力を注ぐべき建設と規定」されたのである。演説でも「2カ月余りの間」で、敷地の選定、設計、建設担当の編成、資材の供給問題などを練り上げたと言う。コロナで急きょ思いついたのか。指示された関係部局のドタバタぶりが目に浮かぶ。

 

 建設工事は「私が一番信頼する建設部隊である近衛英雄旅団と第8建設局に任せることにした」のである。この部隊はやはり金正恩が最優先課題という元山葛麻観光地区の建設に投入されていた。当初18年中に完成予定だった。ここは金正恩が生れた場所とも言われ、何回も金正恩が視察したにもかかわらず、未だ完成していない。経済制裁もあって資材や設備が圧倒的に不足しているからだ。

 

 それが今度は総合病院である。金正恩は「忠誠の突撃戦、熾烈な徹夜戦、果敢な電撃戦を繰り広げるべき」と、ハッパをかけた。国内に「患者ゼロ」というが、コロナ禍の最中、兵隊は群がっての工事を強いられる。そのうえ「文字通り万年大計。施工がまずければ建築物の質を保証することが出来ない」とクギを刺した。「万年大計」をたった200日でというのは恐ろしい。工事を任された担当部局、部隊は災難だ。

 

事故多発、資材、資金はどうする

 

 突貫工事は直ちに始まり「着工からわずか20余日で、数十万㎡の基礎掘削工事完了(「朝鮮新報」4・21)。ところが、工事現場から50個もの50kg、250kgの不発弾が見つかった(5・16労働新聞)という。朝鮮戦争で米軍が落としたものだ。処理のため何日か工事は出来なかった。ますます「速度戦」だ。労働者は、徹夜続きで寝不足や過労、「5月中旬からの1ヶ月で19人が墜落死。けが人が続出、脱走兵も相次いでいる」(7・4デイリーNK)という。

 

 金正恩は、先の拡大会議で「建設者の非常な精神力と献身的な努力によって、困難で不利な条件を果敢に克服し、日程計画通りに推進されていることに満足の意を表した」(朝鮮中央通信)。実態を知らないのか。そういえば、金正恩が好きな「現地指導」をしたという報道はない。工事の遅れをみて、カーッとしてはいけないので、取り巻きが現場に行かないようにしているのか。いずれにしても大病院を200日で造るのはもともと無理な話だ。

 

 拡大会議では、あらためて「国家的に資材を供給」と指示した。全国の資材を最優先で集めているのだろうが、そもそも絶対量が足りず、質の高い資材は輸入しなければならないが、制裁で無理、他の観光地開発などが予定通りに進まないのは、何より資材不足が原因だ。今回も、金正恩が大号令を掛けたといって、天から降ってくるわけではない。

 

 それに、病院は様々な医療施設、機器など中身が重要だ。「全世界が羨むよう」(金正恩)な病院というのだから、最先端の医療機器が不可欠。もちろん輸入するしかないが、巨額の購入費が必要だ。制裁の中では輸入は出来ない。4月に中国の医療専門家50人が訪朝、金正恩の治療のためという報道もあったが、どうもこの病院の建設支援にかかわる使節団だったのかもしれない。

 

 「病院建設に上納指示 海外駐在者最低100ドル」(7・5東京新聞)。今年3月、関係方面に「忠誠資金」として納めるよう通達が来た。しかし、コロナで貿易はほとんど止まり、関係業者にとってはえらいことだ。当然、巨大な記念建造物を造るときと同じように、国内でも何らかの形で献金運動が行われているのではないか。

 

平壌の中心地、20階建ての病棟?

 

 平壌総合病院について、北朝鮮のメディアは場所も規模も報道していないと思う。起工式の写真を見ると、すぐ隣に、三本の腕がハンマー、鎌、筆を握るコンクリートの大きな彫造物がある。労働党創建記念塔だ。高さ50m。したがって場所は大同区紋繍通り。すぐ近くにはチュチェ思想塔があり、大同江の反対側には、金日成、金正日の巨大な銅像が並ぶ万寿台記念碑や金日成広場がある。まさに革命都市平壌の一等地だ。

 

 病院の建物は、完成予想図からすると5階ほどの二棟が並び、その一端にそれぞれ約20階建てのおそらく病棟が屹立している。なんとも立派な病院である。東京築地の国立がんセンターは最上階の19階がレストランになっていて、友人の見舞で行ったことがあるが、ほぼ同じ高さか。病床数は不明だ。

 

 その後の工事の進捗状況がわかる報道は目にしていないが、あと2カ月ちょっとしかない。しかし、神御一人の命令とあっては何が何でもやらなければならない。この工事にかかわった人たちは大変だ。事故で命を落とす人がいるようだが、責任者も命令通り完成させなければ、命を奪われかねない。文字通り命懸けのプロジェクトだ。

 

兄妹にブレーキを掛けられない

 

 今回取り上げた金与正談話、平壌総合病院建設を振り返って思うのは、いかにおかしく無理なことでも、この兄妹の言うことを誰も止められないということだ。総合病院建設はむしろじっくり時間を掛けて取り組むべきものだ。人命がかかる施設である。「速度戦」の対象にするには最もふさわしくない。中国がコロナのため武漢に1カ月で病棟をつくったのに刺激を受けたのではあるまいが、計画立案から完成まで10カ月足らずというのは無謀だ。

 

 談話は、金与正が自分で書いたか、しゃべったのを書き取らせたのか。これまで宣伝扇動部でつくった文章とは明らかに違う。すでに指摘したが、何が目的で書かれたのか。外交的談話とすれば稚拙だ。しかし、これはまずいですよなどと言える雰囲気ではないのだろう。それだけ、金与正は偉くなってしまった。この兄妹にブレーキを掛けることはできないことがよくわかる。

 

 そんな中で、金正恩の動静は相変わらず少ない。6月は、政治局会議(7)、軍事委予備会議(23)の2回。7月は、政治局拡大会議(2)、金日成の命日に錦繍山太陽宮殿参拝(8)だけか。あとは、祝電などが数回あるだけだ。いずれの写真を見ても、顔はむくんでいるようにみえる。具合が悪いのか、足が不自由で運動不足か。とにかく健康そうではない。

 

「閉塞状態」の中の異常か

 

 かつては、指導力を誇示するため、盛んに「現地指導」が行われたが、最近現場に足を運んだのは、平壌総合病院の起工式(3・17)、順川の燐酸肥料工場の完成式(5・1)だけ。また、最高司令官としても軍部隊視察は積極的に行ってきたが、西部地区の空軍部隊(4・11)以来、ここ3カ月ほど報道はないと思う。すでに述べたが、平壌病院の工事現場にも行かない。コロナ禍の最中とはいえやはり異常だ。

 

 全世界をコロナ禍による経済不況が襲う中で、当然北朝鮮経済も影響を受けている。かろうじて続いてきた平壌特別市の配給も4月以来止まった。全国的に浮浪者の数が増えている‥‥などの情報が漏れてくる。じり貧だが、どうしようもない。経済制裁とコロナ鎖国という閉塞状態の中で、自粛が続くと精神の安定を保つのは容易ではない。このところの出来事はかなり異常だ。

 

更新日:2022年6月24日