新型コロナに身をすくめる北朝鮮

(2020.2.28)岡林弘志

 

 中国発の新型コロナウイルスによる肺炎は、北朝鮮に恐怖をまき散らしている。中国をはじめ外国との往来を停止するなど、事実上、鎖国状態にして、進入阻止に躍起になっている。この影響で、早くも物価が上がり始めたようで、経済への打撃が出始めている。一旦進入すれば、野火のように広がるのは間違ない。となれば、人々の生活の拠り所である「市場」は閉鎖を余儀なくされ、第2の「苦難の行軍」だ。同時に、金正恩・国務委員長が繰り返し呼びかけてきた「自立更生」が試されるだけでなく、体制の危機だ。

 

患者発生の情報は乱れ飛ぶ‥

 

 「幸いにも、わが国にはまだ新型コロナウイルスによる肺炎は入ってきていない」(2・21労働新聞)。北朝鮮のメディアは、ほぼ連日、感染者ゼロを繰り返している。WHO(世界保健機構)にも患者発生の報告はしていない。新型肺炎は中国から始まって大流行し、日本や韓国でも数百人の感染者が確認され、さらには世界中へ広がっている。

 

 中朝国境は川で隔てられているとはいえ地続き同様だ。中国の事態が表沙汰になる前は、かなりの人の往来があった。国境を接する中国東北3省でも多数の患者が出ている。常識的に見れば、患者ゼロは不自然だ。自由アジア放送やデイリーNKなど、北朝鮮の内部情報を扱うメディアには、いくつかの情報が流されている。

 

 国境の新義州では、450人が隔離され、20数人の感染が確認され、義州人民病院に隔離された。日本海側の清津では、10余人が死亡、家族に連絡、許可もないまま、直ちに火葬した。平壌市内でも、1月中旬にカタールから中国経由で帰国した40代の男性が高熱を出して、亡くなった(2・15)‥‥‥。新型肺炎とは断定していないが、この時期に風邪や肺炎などの症状で死亡すれば疑いは極めて濃い。そして、その周辺には多数の感染者がいるのは当然のことだ。

 

 おそらく、例え患者が発生したとしても、公表できない事情があるのだろう。もし、感染者発生となれば、外部とは完全に遮断された隔離病室が必要だが、果たして厳しい条件を満たす施設があるのか。接触者の隔離も必要。ただ閉じ込めておくだけでは感染者を増やすだけだ。パニックを起こしかねない。

 

 すでに、国内においても人の往来を制限し、国境近くの「市場」は、閉鎖されたという情報もある。患者発生となれば、地域や行政単位の完全封鎖、多くの人が出入りし、人々の生活を支えている「市場」の封鎖も必至だ。となれば、市場で働く人たちだけでなく、人々が食うことや生活を脅かす。中国では、封鎖した武漢市に対して、国家が食糧や日用品、医療品を届けているようだが、北朝鮮ではかねて配給が止まっている中で、そうした措置が出来るのか。となれば、人々の不満は爆発する。金正恩体制の危機である。

 

「国家の存亡にかかわる!」

 

 「国家の存亡に関する重要な政治的問題」。北朝鮮はこうした認識の下に「国家非常防疫体制」を宣言した(1・28)。新型肺炎が単なる流行病ではなく、国家、体制の危機だ。防疫体制、衛生状態は遅れ、人々の栄養不十分なところへ新型肺炎が入り込めば、野火のように広がるのは目に見えている。北朝鮮にしては珍しく、極めて率直、まっとうな現状認識だ。

 

 実際に「非常体制」宣言と前後して、国境を封鎖、中国でのビザ発行を停止、中国からの観光客受け入れや、航空便や列車の運行も停止した。また、1月13日以降の中国からの帰国者は全員隔離して、医学的に監視している。そのほかにも症状が疑われる場合は、30日という長い観察期間をもうけている。

 

 最近も「全国で外国人約380人が隔離されたほか、外国からの出張者と接触者、異常症状を見せる人たちに対する隔離、検診を強化」と伝えた。平壌などに駐在する外交官も隔離の対象になっている。また、中国と国境を接する平安北道では約3000人を「医学的な監視対象にしている」(2・24朝鮮中央放送)という。

 

 特に「革命の聖地」である平壌は、ほとんど封鎖状態だという。列車の一部やバスは各道内だけの移動に限られ、平壌市内に入るのはごく一部に限られている。最高指導者、並びに指導層が住む平壌への感染拡大には最大限の警戒態勢をとり、出入りは事実上禁止のようだ。

 

 さらには、全国の保育園から大学まで全ての学校を1ヶ月間休校とする措置もとった(2・20)。また、最大の慶祝日の一つである故金正日総書記の生誕記念日の軍事パレードや大集会も行われなかった。とくに外国からの入国には神経質で、毎年4月に開催する「平壌国際マラソン大会」は中止。昨年は千人余りの外国人が参加したという。

 

 住民に対するキャンペーンも連日大々的だ。「この非常時にマスクをしないのは国に対する罪と同じだ」(2・22労働新聞)。テレビのニュースの場面には必ず「生命を危険にさらす新型コロナウイルス」というテロップを流し、同時に「咳をするときは口や鼻を押さえる、外出時は必ずマスクを、体を鍛え免疫力を付けろ」という注意書。労働新聞なども、連日決まった欄に、普段の生活での注意事項、風邪の症状が出始めたときの対処方法などを掲載している。

 

 もっとも、そこは北朝鮮。避けるべき団体行動でも例外がある。「最高人民会議常任委員会の幹部らが白頭山地区革命戦跡地参観行軍」(2・23朝鮮中央通信)。「朝鮮社会主義女性同盟の活動家らが19日から24日まで、白頭山地区の革命戦跡地を参観」(2・26同)。雪の中の行軍は過酷だ。風邪をひく参加者もいるだろうに。新型肺炎はすぐそこだ。神格化のためなら例外。あるいは、故金日成主席の御利益で、新型肺炎にはかからないということか。

 

「現地指導」もなく、金正恩の影が薄い

 

 それにしても、金正恩の影が薄い。独裁国家でありながら、今回の新型肺炎に関して、金正恩が何かを指示したなどといったニュースは出ていない。伝えられたのは、2月16日の金正日生誕記念日に、廟所である錦繍山宮殿を参拝したことだけだ。公式の場に出たのは、旧正月の公演以来22日ぶりだった。例年は首脳幹部を多数従えての参拝だが、今回は20人ほどが随伴しただけだった。もちろん頻繁に行っていた現地指導の報道もない。

 

 中国をはじめ周辺国は最高指導者が先頭になって、対策を指示している。こうした非常時こそ、特に独裁者の出番のはずだ。昨年の米朝首脳会談の失敗を挽回する絶好の機会でもある。ここは、完全防御服を着て、得意な「現地指導」に打って出るべき場面である。しかし、姿も見せないし、特別指示についても報じられていない。

 

 新型肺炎の関連で、金正恩の名前が出てきたのは、中国にお見舞いの書簡を送ったという報道だけだ(2・1朝鮮中央通信)。金正恩は習近平国家主席に対して、「兄弟のような中国人民が経験している苦痛と試練を少しでも分かち合い、助けたい心情だ」と述べ、新型肺炎で肉親を亡くした遺族に哀悼の意を示したという。同時に、労働党の決定によって中国共産党中央委員会に支援金を送ったとも伝えた。

 

 情け深いことではあるが、よその国を「助けたい」といっている場合ではない。国内では、医療関連物資が足りなくて、国際団体である「国境なき医師団」(MSF)に援助を要請している。幸い、国連が経済制裁の例外と認め(2・20)、近く、は医療用ゴーグル、綿棒、検査用の医療装置などが北朝鮮保健省に送られる。国際赤十字も同様の器材を送る予定だ。

 

 少なくとも、金正恩は、乏しい衛生器材を使って消毒や検査に励む人民を激励、慰労ぐらいはしてもいい。そうした報道はない。錦繍山宮殿参拝の後、目についたのは朝鮮総連の許宗萬議長の85歳誕生日に「党と革命の大事な元老であり、海外同胞運動の名望の高い活動家」と祝電を送った(2・21)という報道ぐらいだ。感染を恐れているのか。ひたすら、息をひそめて、人と接しないようにしているようだ。

 

早くもガソリンなど物価が値上がり

 

 今回の新型肺炎騒動によって、金正恩が日頃繰り返し強調してきた「自力更生」の真価が問われている。唯一開いていた中朝国境を閉じたことにより、中国観光客による外貨稼ぎの道が閉ざされた。さらには、民生用の石油製品から、日用品などの輸入量も大幅に減っているようだ。

 

 経済制裁によって、周辺国の経済協力、貿易が制限され、すでに「自力更生」を余儀なくされている。ただ、唯一窓口が開いていた中国とだけ、民生品のやりとりがあったが、今回これも封鎖した。文字通り「自力更生」でやらざるを得なくなっている。非常事態だ。

 

 観光客の落とす中国元は、北朝鮮のウォンが紙切れ同然の中で、北朝鮮の基軸通貨の役割を果たしていると言われる。流入量が減れば、インフレが進む。そのうえモノ不足となれば、ハイパーインフレの恐れ大だ。すでに、様々な物価が上がりはじめという。

 

 デイリーNKによると(2・20)、この3ヶ月の物価動向では「全国的に上昇傾向にある」という。「中でもディーゼル油の値上がりが著しい。1月17日には1キロ平壌で7260北朝鮮ウォン、恵山で7300北朝鮮ウォンだったのが、2月11日はいずれも1万500北朝鮮ウォンに上昇している」。また(平壌では)コメが4470ウォンから5480ウォンに、ガソリンも12000ウォンから14700ウォンに。テレビや冷蔵庫などの電化製品も値上がりしているという。

 

 このほか、食用油やコメ、砂糖なども封鎖直後上がったが、当局が大量に流通させたようで、以前の価格に戻りつつあるという。しかし、政府の備蓄が十分にあるわけではなく、国境封鎖が長引けば、再び値上がりするのは必至だ。物価の値上がりは、人々の生活を直撃する。

 

「経済発展戦略」は画餅、「苦難の行軍」へ

 

 1990年代後半の「苦難の行軍」を思い出す。東西冷戦の終結、共産主義国の崩壊によって、中国、ロシアからの援助が途絶え、おんぶにだっこの北朝鮮経済は破綻。百万単位の人々が飢えとそれに起因する栄養失調で死亡した。その後遺症は、今も残り、北朝鮮は未だに1980年代の経済水準を回復できないままだ。

 

 その悲願を達成するためもあって、金正恩が打ち出したのが「国家経済発展戦略」(2016~20)だった。経済を立て直し、経済成長率年間8%を達成して、「人民生活の向上」を実現するというバラ色の設計図が盛り込まれている。今年が最終年になっているが、核ミサイル開発による経済制裁によって、経済成長は下降気味だった。そこへ、今回の新型肺炎の騒ぎだ。

 

 もともと、この「戦略」は経済制裁の中では、絵に描いた餅といわれていたが、最終目標年に降って湧いた新型肺炎騒ぎで、実現は絶望的になった。金正恩は、昨年暮れの労働党中央委員会総会で「あらゆる難関を正面突破作戦によって切り抜けよう!」(12・31)と、全国民に向けてゲキを飛ばしたが、まずは、新型肺炎を正面突破せざるを得なくなった。「苦難の行軍」を強いられそうだ。

 

 昨年の米朝首脳会談の決裂以来、どうも物事が裏目裏目に出ている。ストレスがたまっているところへ今回の新型肺炎騒ぎだ。金正恩の動静が報じられないため、早くも病気説が出始めた。それとも国家経営に嫌気がさしたのか。いずれにしても、新型肺炎が体制を大きく揺さぶっているのは間違いない。

 

更新日:2022年6月24日