北を慌てさせた「トランプ流」

(2018.5.30)岡林弘志

 

 やはり、トランプ米大統領の方が役者が一枚上だった。史上初の米朝首脳会談(6・12)を目前に控えて、北朝鮮がごちゃごちゃ言い出したら、トランプはあっさり「止―めた!」。驚いたのが金正恩・労働党委員長。いつでも会談をする、トランプ大統領を高く評価‥‥と、もみ手すり手。さらには文在寅韓国大統領にも助けを求め‥、といつもの強面はかなぐり捨てて、珍しく慌てる様子を見せてしまった。非常識には非常識な対応が効果的なようだ。

 

北のいつもの悪い癖が出た?

 

 「直近のあなたがたの声明にあった敵愾心や怒りを鑑みると、計画通り会談するのは適切ではない。中止する」(5・24)。トランプは突然、金正恩へ書簡を送り、公表した。延期でなく、中止というのだから驚く。しかも、この日は、金正恩が約束した豊渓里核実験場を爆破、米韓などのメディアを現地で取材させ、「非核化」への具体的第一歩をアピールする日だった。

 

 確かに、直前の北朝鮮の対応は、いつもの北朝鮮に戻ったようだった。まず、米韓演習、金正恩批判を理由に、南北高官協議(5・16)を当日の朝になってドタキャン。北が嫌がらせでよくやる手だ。同じ日に金桂寛・第一外務次官が米国向けの談話を出し、「トランプ行政府が一方的な核放棄だけを強要するなら、朝米首脳会談を再考慮するしかない」と宣言。そのうえ「トランプ大統領は‥歴代大統領よりもっと無残に失敗した大統領として残る」とまで言った。

 

 それでもトランプは、首脳会談で成果を上げたいと思ったのか、金正恩が非核化を受け入れれば「彼は非常に強い保護を得る」と約束。北が神経をとがらしている「リビア方式」について「モデルとしない」と否定した(5・17)。いずれも、交渉ではカードになりうる条件だ。トランプが、相手のご機嫌を取るようなそぶりは珍しい。

 

 ここまでは、北朝鮮のペースかとも思われた。それで調子に乗ったのか、追いかけるように崔善姫・外務次官も談話を発表した(5・24)。「米国が我々の善意を侮辱し、非道に振る舞い続けるなら、首脳会談の再考を最高指導者に提起する」。そして、「会談場で会うか核対核の対決場で会うか」と威嚇。さらには、ペンス副大統領が、米テレビで「リビアのように終わるかもしれない」と発言したことを取り上げ、「無知で愚かな発言」と非難した。

 

 そうでなくとも誇り高いトランプにとって、腹心の部下の悪口はカチンときた。それに、米朝はこの週に開催場所のシンガポールで事前打ち合わせをすることになっていた。しかし、北側は姿も見せず、連絡も取れなかった。これも北朝鮮が相手をじらすため、よく使う手だ。しかし、事前の打ち合わせに出てこないのではどうにもならない。トランプもそこまでは我慢しない。かくして「中止」宣告となった。

 

手の平返し、トランプを褒めちぎり

 

 最初にこれを聞いたとき、北朝鮮はやはり「非核化」、すなわち丸裸になるのが怖くなって、首脳会談を止める気なのかと疑った。米側が「リビア方式」を口にし、金正恩の脳裏には、民衆に引きずり出されて、殺されたカダフィの姿が浮かんだのかもしれない。リビアは北朝鮮が核開発を金科玉条とするための「反面教師」だ。

 

 トランプと会談すれば、「完全な非核化」を約束させられる。そうなっては引っ込みが付かない。なにやかや、いちゃもんを付けて、相手の嫌気を誘い、会談をやらないと言わせる。そうすれば、やらないのは相手の責任だ。少なくともそう言い訳できる。しかし、今回は、全くそうではなかった。

 

 「我々は、いつでもいかなる方式でも対座して問題を解決する用意がある」(5・25)。米国を非難した当の金桂寛が、舌の根も乾かぬうちに、金正恩の「委任によって」と前置きして、やはり首脳会談をやりたいと談話を発表した。そして、「一方的な核廃棄を強いた米国側の過ぎた言行が招いた反発に過ぎない」と釈明。

 

 そのうえ、「トランプ大統領が過去の大統領ができなかった勇断を下して、首脳の対面に努力したことを心の内で高く評価してきた」「トランプ方式が問題解決の賢明な方案と密かに期待した」と、ひたすら持ち上げる。金正恩も「トランプ大統領と会えばよいスタートが切れると述べ、準備に努力の限りを尽くしてきた」という。北朝鮮が、他国の首脳をこれだけよいしょするのは珍しい。まして、米国大統領を褒めちぎったのは、これが初めてではないか。

 

 さらには、金正恩自身が文在寅に「格式張らずに会いたい」と連絡(6・25)。もちろん文在寅も快諾して、翌日、秘密裏に板門店の北側会議場「板門閣」で、2回目の南北首脳会談。金正恩は、「非核化をやっても、米国は本当に体制保証や経済支援をするだろうか」と、疑心暗鬼をのぞかせたという。文在寅は先の米韓首脳会談(5・23)の内容を伝え、金正恩は「朝米首脳会談に向けての確固たる意思」を示したと、発表にある。

 

 そのうえ金正恩は、ドタキャンした南北高官協議についても、開催(6・1)を約束、軍事当局者、離散家族再会を巡る赤十字の会談も開くことで合意した。金正恩としては、文在寅は組しやすしと見ているだろうが、懸命に誠意を見せたのだろう。

 

トランプ、再び上機嫌に

 

 こうした北朝鮮の対応は、トランプの機嫌を直した。まず金桂寛談話に気をよくして、直ちに「温かく建設的な声明を受け取った。よいニュースだ」。「もし開かれるなら、シンガポールで6月12日のままになりそうだ」。当初の予定通りに首脳会談をやるとまで言い出した。南北首脳会談についても「話し合いは非常にうまくいった」と評価した。

 

 そのうえ、「いまもある場所で(北との)話し合いは進んでいる」(5・26)と記者サービスまで。実際に、板門店で元駐韓米大使のソン・キム駐フィリピン大使が事前調整に当たっている(会っていないという報道も)。また、シンガポールへの先遣チーム30人ほどが出発した(6・27)。さらには、金正恩の側近である金英哲・党副委員長がニューヨークへ向かった(5・30)。ポンペオ国務長官と会談するようだ。北朝鮮も、今度は素直に応じている。

 

 もっとも、トランプは中止宣告の中で、「こころを入れ替えたなら、遠慮なく連絡か書簡を送って欲しい」とやる気なところも見せており、記者団にも「私は待っている」と語った。はじめから「中止」発言は、「ディール(取り引き)」の一つであることを意識していたのだろう。

 

 もう一つ、中止宣告は中国への牽制でもあった。北京での中朝首脳会談(5・8)に続いて、大連で2回目の会談が開かれた(5・7~8)。金正恩は中国の後ろ盾を確信したのか、この頃から北朝鮮は米国にいちゃもんを付け始めた。これにトランプはカチンときた。「2回目の会談をしてから、態度が少し変わった」(5・22)といい、習近平国家主席にも「世界一流のポーカープレーヤーだ」とイヤミたっぷり。

 

 さらには、中朝間の物資流通、労働者移動などがこのところ増えていることについても「気にくわない」と不快感。懸命に「完全な非核化」を迫っているのに、「段階的」を求める北朝鮮の肩を持つような習近平の対応にイライラが募ったのだろう。単刀直入もトランプ流だ。

 

「再び米戦略爆撃機、空母」への恐怖

 

 それにしても、これほどまでに、北朝鮮がうろたえるとは思わなかった。トランプは「中止」宣言で「米軍は万が一に備えている」と、脅しも忘れなかった。金正恩が一番恐れていることだ。金正恩にとって最優先は、我が身を守ることだ。従って、米国や韓国で言われる「斬首作戦」は、なんとしても避けなければならない。

 

 トランプは、これまでの大統領と違い、軍事攻撃をやりかねない。少なくとも、そう思われている。ここで、米朝首脳会談を止めたら、あっけなく受け入れたトランプの顔は丸つぶれ。何をするかわからない。少なくとも、米軍の戦略爆撃機がレーダーにも写らず平壌上空に飛来して、爆音を響かせるかもしれない。金正恩が慌てた一番の理由ではないか。

 

 北朝鮮はしばしば「ソウルを火の海に」と脅してきたが、もしそれをやるなら、あるいはやろうとすれば、完膚なきまでやられる、もちろん「元帥様」も亡き者にさせられる。北朝鮮こそが「火の海」になることをよくわかっている。独裁者には、自らの命を捨てという思考方式、あるいは覚悟はない。自分がいてこその独裁だ。

 

 とにかく、トランプには、従来の相手に罵詈雑言を浴びせ、じらす、無視する、脅すといった北朝鮮の外交の常套手段は通じない。まして、再び大陸間弾道ミサイル発射実験や核実験をやれば、トランプは怒り心頭、先制攻撃すらやりかねない。特に昨年の米韓合同軍事演習は、米軍の戦略兵器の威力を金正恩にしっかり認識させたようだ。とにかく、バーゲニングについてはトランプの方が遙かに上だ。

 

 それに、経済制裁も、今度は確実に効いている。ほとんど唯一の貿易相手国である中国との貿易が激減、輸入は昨年同期の9割減だ。「自力更生」のスローガンはむなしい。また、金正恩は、核と経済の「並進路線」の経済再生に「全力を投入する」ことを人民に約束したが、経済制裁がかかったままでは、単なるスローガンだ。米朝会談の成功が経済制裁解除の大前提だ。

 

進むも地獄、戻るも地獄?

 

 「完全な非核化」をした場合、体制保証、経済支援が本当に実行されるか-。いま、金正恩の最大の懸念のようだ。しかし、ハタから見ていると、経済制裁が解除され、経済支援が本格化した場合、体制は存続可能かという疑問の方が強い。北朝鮮はすでに「市場(いちば)経済」によって動いている。人々は、自らの才覚でものを売り買いして生活を続けている。

 

 そこに、これまでの中国製に加えて、韓国、日本、米国などの製品が大量に入り込んだら、北朝鮮経済に与える影響は大きい。カネに国境や体制の違いはない。独裁体制が経済を制御しようとしても、市場の規模が大きくなれば、そうはいかない。それに、少なくとも、南北間のヒトの行き来が盛んになれば、「南の風」「自由の風」も入り込む。

 

 また、中国は「改革・開放」をかねて求めている。中国流に、経済成長と中国共産党独裁を並立させることは可能か。金一家独裁体制の中での経済の発展が可能かという疑問でもある。しかし、「民族同士」という特殊な南北関係がある中で、どうなるか。いずれにしても、独裁体制の維持は至難の業だ。

 

 金正恩が突然提案した米朝首脳会談、あっさりトランプが受け入れたことで、金正恩は、「非核化」で引くに引けない立場に追い込まれた。さりとて、「非核化」が進めば進んだで、独裁体制の根幹に関わる懸案をかかえることになる。「戻るも地獄、進むも地獄」だろう。

 

 トランプにしても「完全な非核化」が中心の課題であることは十分に認識しているだろうが、あまりに前のめり、それにことあるごとにツイッターで感想を吐露する軽さは、不安を感じさせる。綿密、緻密な交渉、成果にたどり着くか。また、「非核化」が完了するまでは、工程表の作成、検証など地道な作業が不可欠だ。短兵急にはいかない。大丈夫か。

 

 もっとも、肝心の初の米朝首脳会談が予定(6・12)通り開かれるか。確かなことは、何もない。かねて、北朝鮮がらみの予告原稿は禁物と戒めてきたが、今回はそれに輪をかけて予断はできない。

 

 

【追記】長い間、月刊「現代コリア」の編集委員を務められた恵谷治さんが逝去されました。かつて、護国寺近くのアパートの事務所で、月1回の編集会議が開かれ、いつも情熱的にして、緻密な議論を披瀝されました。その後は必ず近くの飲み屋へ移動、そこでも恵谷さんは談論風発、座の中心にいた姿を思い出します。朝鮮半島が非核化を巡り激しく動き出した今こそ、特に軍事に詳しい恵谷さんの出番です。惜しみてあまりあります。ご冥福をお祈りします。

 

更新日:2022年6月24日