食うに困らなくなった時

岡林弘志

(2016.10.17)


 脱北の理由は、いくつもあると思うが、その一つに、食うに困らなくなるというのもあると思う。そうなって、はじめて自分や自国の実情を客観的にとらえ、人権や自由について考えることができるようになるからだ。最近、北朝鮮のエリート層の脱北が増えつつあるのをみて、余計そう思う。北朝鮮の金正恩労働党委員長が「人民生活の向上」を目標にしているが、本当に実現したら、独裁にはたえられないという人民が増え、自分の首を絞めるという皮肉な結果を招くことになるのではないか。

大統領が脱北の呼びかけ

 「北韓の住民が、希望と人生を見つけられる道を切り開いておく。いつでも韓国の自由の地に来られることを願う」(10・1)。韓国の朴槿恵大統領は、「国軍の日」の記念演説で、なんと「脱北の呼びかけ」をした。かねて韓国政府は、北朝鮮住民の脱北を歓迎し、受け入れの態勢をつくっているが、大統領自ら誘いかけるのは、あまりに生々しすぎるのか、これまでほとんどなかった。

 「脱北民の受け入れは、統一の試験台だ」(10・11)。朴槿恵はその後の閣議でも脱北の意義を強調した。これまで、核・ミサイル開発を止めるよう、北に繰り返し呼びかけてきたが、金正恩はいっこうに聞く耳を持たない。今回、「脱北」に力を入れるのは、このところ話題のエリート層の脱北が、さらに増えれば、金正恩体制を揺るがすことができると、期待してのことだ。

 今年夏の駐英公使一家の韓国亡命は、大きな話題になった。これを機に、ロシアや中国、欧州駐在の外交官や駐在員の亡命も報道され、今年はすでにエリートだけで10人ほどになるという。最近になって、昨年暮れ、泣く子も黙るといわれる秘密警察、国家安全保衛部の局長級の脱北も報じられた(10・12聯合ニュース)。

 この脱北者は「民心の動向」を把握する部署にいた。韓国関係機関の聴き取りに対し、政権維持の方法や住民を監視するシステムなどについて話したとみられる。この中で、「平壌の民心が熱い」と話した。この表現は「金委員長に対し住民が好意的ではないという意味だ」という(同)。

中流以上の「自由」「政治への不満」-増える

 聯合ニュースによると、韓国統一部の資料では、今年1月から9月まで、韓国に入国した脱北者は1036人。前年同期比21%の増加だ。金正恩時代になって、脱北者の取り締まりを強化したため、一時的に数は減っていた。しかし、タガが緩んだか、金正恩のやり方に対する不満、恐怖が高まったせいか、再び増え始めた。

 それに加えて、脱北の理由に変化が見える。統一部傘下の「ハナ院」で教育を終えた脱北者を調査したところ、「経済的困難」をあげた人は、2001年には66.7%だったが、14~16年では12.1%と大幅に減った。反対に「自由へのあこがれ」「政治体制への不満」「家族に会うため」などの理由は2001年以前には33.3%だったが、14~16年には87.8%に増加している。

 「生活水準」で見ると、「中・上流」と答えた人は、01年以前は23.5%だったが、14~16年では66.8%と大幅に増えている。ついでに大学以上の学歴を持つ脱北者は11年が5.7%だったが、15年は7.3%に。これらの数字を見ても、「食えないから」の割合が減っている。

 脱北は、1980年代から目立ち始めた。その頃、筆者は韓国にいたが、多くは北で犯罪を起こし、あるいは当局ににらまれて収容所に入れられ、このままでは処刑されるか、栄養失調などで死んでしまう。「生命の危険を感じて」という理由が多かったと思う。

 従って、生活実態などの情報はもたらされたが、権力中枢にかかわる情報はほとんどなかった。88年のソウル五輪の前後になると、韓国の対北放送を聞いて、経済的に豊かになった韓国にあこがれてというような理由が増え、統治する側からの脱北も混じるようになった。

 これまでの脱北者の中で、最も位の高かったのは、黄長燁・労働党書記だろう。1997年のことだ。金日成主席のブレーンであり、北のイデオロギーであるチュチェ思想の構築、普及に深く関わった。脱北の理由は、金正日総書記の路線と合わず、粛正が目前に迫ったためだった。生命の危険を感じての脱北だ。

「外の空気」が忠誠心を壊す

 ついでに、それ以前のエリート層の脱北を見ると、金正日の妻だった李恵琳の姉の李恵琅が96年に欧州へ亡命、その14年前に李恵琅の息子(従って、金正日の義理の甥)の李韓永が留学先のジュネーブから韓国に亡命している。これらは、金正日のごく近い親族であり、最近のエリート層の脱北とは、一緒にはできない。しかし、西欧の自由の空気を吸って、北に嫌気がさしたのは間違いない。

 その点では、最近のエリート層の脱北と通ずるところがある。例えば、外国駐在の外交官は、少なくとも食うには困らない。駐在国が自由圏なら、当然自由の味を覚える。かつてのソ連圏であっても、外交官なら、かなりの行動の自由は保障される。そして、北朝鮮を外から見ることになる。

 このため、外交官や外国駐在員は、成分が良く、思想堅固、金一族への忠誠心の揺るぎない人材の中から選ばれる。しかし、「一見は百聞に如かず」。実際に見て、自由の中へ身を置くと、思想はもろい。

 それに、金正恩の時代になって、外貨送金のノルマが厳しくなった。達成できずに本国召還となれば、一族収容所行きは必至だ。逃げるしかない。また、勤務先の外国で生まれ育った子供は、恐らく北の異常な態勢に適応することはできない。いくつもの理由が重なって、亡命となる。

「食」が解決すると、政治に関心

 北朝鮮の人権抑圧の実情を知ると、ほとんどの人がなぜ暴動が起きないのかと疑問を持つ。よく質問もされる。理由の一つは、食うに精一杯だからだ。食えないときは、食うものを手に入れるのに懸命、他のことまで頭が回らない。歴史を見ても、「民を生かさず殺さず」が統治の一方法だったことがある。これまでの北朝鮮がまさにそれだ。

 人権や自由、あるいは政治のあり方に関心を持ち始めるのは、1人あたりのGNPが千ドルをかなり超えてからではないか。あるいは、数千ドルの国民の割合がかなり増えてからだ。そうならないと、自分のおかれた実情、自由や人権の厳しい状態にまで目が行かない。

 そこで、政治に目覚めるのもいるし、比較の問題として豊かになった層を見て、矛盾、怒りを感じる層が出てくる。共産党一党独裁を続ける中国でも、自由や人権を求める、いわゆる反体制の活動家が出てきたのは、十数年前からだ。これも中国経済が成長し、大多数の人々が食うに困らなくなったことが、背景の一つにあると思う。

「漢江の奇跡」が強圧政治に打撃

 日本で、戦後の最も大きな政治運動は、60(昭和35)年安保だろう。経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのが1956(昭和31)年。戦後復興が順調にいき、食が足りてきてからのことだ。

 韓国を見ると、70年代後半、朴正煕政権の強圧政治に対して、学生をはじめ労働者らが、ソウルだけでなく馬山など全国各地で抗議デモを繰り広げた。これが79年の朴大統領暗殺事件につながる。朝鮮戦争からの復興を目指して「漢江の奇跡」を実現し、やはり人々が食うに困らなくなった時代のことだ。

 「漢江の奇跡」は、朴大統領の強力な指導力によって実現した。日韓条約による協力資金のほとんどをインフラ整備に集中させ、経済成長の基礎を造った。そのため、人々は、食うことから政治に関心を持つことができるようになった。大統領にとっては、自らが主導した「富国」政策が自らの生命を奪うという皮肉な結果を招いたのである。

 「朝鮮戦争」で、同じように国土を破壊された韓国と北朝鮮。出発点は同じである。しかし、休戦から半世紀以上がすぎ、両者の国力の差は30対1とも、それ以上とも言われる。北朝鮮は、強兵と独裁体制強化=金一族の神格化に、国力を使い、富国をおろそかにしたからだ。

 北のその国家路線は、いまも変わらない。金正恩は経済と核開発の「並進路線」の看板を掲げるが、実際は核・ミサイルに優先的にカネ・ヒト・モノをつぎ込み、民生経済をおろそかにしている。従って、国民は貧しいまま、食うに精一杯で、政治をはじめ他のことまで気が回らないのである。

 話は横道にそれるが、黄長燁だったと思うが(間違っていたらご免)、北を解放しようと思ったら、軍事境界線に米俵を山のように積み上げ、好きなだけ持って行かせたらいいと面白い提案をした。腹が満ちた人民は、北の惨状を意識し、独裁体制に不満を抱くようになる。

 実際にやったとしても軍が独り占めする、どれほどの米が要るかわからない。などなどまじめに考えると実現は難しいが、食うことと政治への関心との相関関係を考えるうえで、面白い案だと思う。

人民の飢えは、独裁の基盤

 話を元に戻すと、金一族の国民貧窮政策によって北の独裁体制が存続、という皮肉な結果になっている。金一族の歴代の政策、民百姓が飢えようと死のうと些事として真剣に取り組まない政策が、世にも希な独裁体制を守ってきた。狭い国土、東西を海で隔てられているという地理的条件もあって、「情報鎖国」が可能だったこともある。

 金正恩が核・ミサイル開発に闇雲に突っ走るのは、「米国の核からの自衛措置」であるとともに、人民が腹一杯になって自由や人権を考えることがないようにするための「深慮遠謀」か。勘ぐってしまう。金正恩にとっては「一石二鳥」になるからだ。

 しかし、すべてが金正恩の思うようにいっている訳ではない。脱北はよほどしゃくに障るらしく、そのあげくの国家安全保衛部局長の脱北を聞いて、「どいつもこいつもよく逃げると思ったら、ついには保衛部まで逃げやがった」と激怒したという(聯合ニュース)。

 「上手の手から水が漏れる」。どんな名人でも失敗することがある。いかに強圧で支配しても、相手は人間だ。人間の心の奥底まで支配できるものではない。最近増えつつあると思われるエリート層や中上流階層の独裁に対する不平不満を根こそぎ抑えることはできない。

「市場」で飢えを解決、自由を求める

 また、注目したいのは、「市場(いちば)経済」の人民の意識に与える影響だ。「市場」は全国に広がり、発達している。人々は、配給がなくとも、自分たちで食い扶持を稼ぐ術を身につけつつある。この中から食うに困らない階層が増えていきそうだ。そうなると、自分たちが商売をする環境、条件への関心が高まる。

 現に、取り締まり当局が、賄賂目的で不当な取り締まりをして、住民が騒ぎ出したなどという情報が時々漏れてくる。お上の理不尽な統治のやり方が重なると、現体制あるいは金正恩への不満に結びつく。体制のほころびは、こんなところから徐々に現れるかもしれない。

 もともと「市場経済」は、自由が大前提で成り立つ仕組みだ。このため、北朝鮮は、これまで何回か「市場」を規制しようとした。しかし現体制は人民に配給する力を持っていない。それなのに、規制を強めれば、人民の反発、抵抗は必至だ。また、一度味わった商売の自由の味は忘れられない。かくして「市場経済」は、広がり続ける。

 たぶん、北朝鮮は食わせないことで独裁を維持する段階を、超えつつあるのではないか。脱北はこれからも増え続ける。独裁体制にとって、何かが「アリの一穴」になるかもしれない。

更新日:2022年6月24日