笑っている場合か

(2015. 6.22)岡林弘志

 

このところの北朝鮮のメディアには、金正恩第一書記の笑顔が盛んに登場する。というか気になる。軍首脳の銃殺など「恐怖政治」の印象を薄めようという狙いか。一方で、100年ぶりに干ばつに襲われるなど、人々が飢餓に襲われる恐れが大きい。笑っている場合ではない。

 

「100年来の大干ばつ」

 

「朝鮮各地の農村が、100年来の大干ばつによりひどい干害を被っている」(6・16朝鮮中央通信)。北朝鮮当局も、だいぶ前から干ばつの恐れを明らかにしていたが、やはりひどいらしい。「田植えをした44万1560haのうち、13万6200haの苗が枯れている」という。約3割以上というのだから、凶作間違いなしだ。

 

最近、全国的に雨が降ったが、黄海南道と黄海北道では、ほとんど降らず、黄海南道では田植えをした80%、黄海北道では58%の田んぼが干からびている。この辺りは、北朝鮮の穀倉地帯。もちろん、他の作物にも影響が出る。同通信も「トウモロコシをはじめ他の穀類作物にも大きな影響を及ぼしている」という。多くの野菜が育つ季節。深刻だ。

 

「当該地域では、稲の代わりに他の作物を植えるなど、干ばつを克服するための必要な対策を立てている」というが、水なしで育つ作物など、そうあるものではない。おそらく有効な策はないに違いない。これまでも何回も書いたが、治山治水をおろそかにし、行き当たりばったりの農政では、いまさら「必要な対策」といっても空しい。

 

かつて、北朝鮮は灌漑用水が発達していた。1960年代の「朝鮮画報」には、直線の用水に水が満々と流れ、美しい女性がにっこりしながら、農作業や田植えをする写真がよく載っていた。耕作機械も登場して、進んだ農業を誇っていた。夢のような話だ。実際ほとんどは夢物語だったが、この時代、用水整備が進んだのは確かだ。しかし、肝心の水が来ないのではどうにもならない。

 

すっぽん工場で「激怒」

 

「将軍様(金正日総書記)の思いがこもった工場が、どうしてこんなひどい状況になったのか、あまりに悔しくて言葉も出ない」(5・19朝鮮中央通信)。金正恩は、大同江すっぽん工場を視察した際、「激怒しておっしゃられた」。金正恩が「激怒」という表現は珍しい。初めてだろう。

 

ただ、最大級の表現を使って、怒りを表すにしては、対象が「すっぽん工場」では拍子抜けする。いかに「昔から補薬剤として栄養価の高いすっぽん」であり、金正日が「生涯の最後に、この工場を回り、人民のために」と指導したとしてもだ。ただ、先代の思いをないがしろにしたとなれば、最大限の怒りを表さなければならないが、食糧問題の根幹からはずれている。

 

コメができないとなれば、すっぽんとは比較できないほどの大事件だ。「人民生活の向上」という先代から引き継いだ金正恩の公約、「人民に白いご飯を」といった先々代の願いもある。ここは、何をさておいても「現地指導」に駆けつけるべきところだろう。

 

農業は「昨年、経済建設と人民の生活向上を目指す戦いの主要攻略部門」になっていた(4・9最高人民会議で朴奉珠首相)。また、金正恩も「人民の食糧問題、衣服問題に関する遺訓をまず解決しなければならない」(2・18労働党政治局拡大会議)と、訓示を垂れている。

 

農村へ行くのは好きでない?

 

しかし、金正恩はどうも農村へ行くのがあまり好きではないようだ。昨年も各地で水害に襲われ、大きな被害を出したが、やはり、現地指導したという記憶はない。

 

代わりに、よく足を運んだのが遊園地だ。そのうちの一つ、平壌市内の紋繍プールには、あふれるほどの水の中で子供たちが遊んでいる。最近、労働新聞が写真入りで紹介した。これを見た「咸鏡北道の住民は『水不足のなかで、田植え戦闘に苦労しているのに、紋繍プールでは水を無駄遣いしている。周りの住民からも不満の声が上がっている』と語った」(6・17デイリーNK)。 

 

金正恩が現地指導をしたプールとなれば、水は最優先で確保される。もちろん、プールで使うくらいの水で、干ばつの田んぼが潤うわけではない。文字通り「焼け石に水」だ。しかし、農民にとっては、惜しげもなく使われる水を見せられれば、シャクのタネだ。

 

もっとも、金正恩が現地視察に行っても、有効な指導はできない。行ったら、急に雨が降り出す、なんて都合よくはいかない。まして、他から水を持ってくることもできない。これでは元帥様の威光を示すことができない。統治にプラスにならないと思えば、現地には行かないのだ。

 

やたらの笑顔が気にかかる

 

そういえば、このところの「現地視察」で目につくというか、気になるのが、金正恩の笑顔の写真だ。朝鮮中央通信のホームページを開くと、まず「金正恩同士の革命活動」が出てくる。時々の動静を写真入りで紹介している。6月18日のホームページを見ると、6月に入ってからは8回登場。このうち7枚は笑顔である。

 

夜間海上打撃演習(6・16)、人民軍芸能宣伝隊公演(6・15)、対艦ロケット発射訓練(6・15)などほとんどが人民軍関係。訓練が上首尾に進行したのか、軍事演習を見るのが好きなのか。いずれも、笑顔の写真付きだ。他の国の軍事演習で、偉いさんが笑顔というのは、ほとんど見たことがない。金正恩が笑ってないのは、祖国解放戦争史跡跡地(6・9)視察だけだ。これも、労働新聞を見ると、笑っている写真もある。

 

前から、金正恩は笑顔の写真が多いけど、玄永哲人民武力相の公開処刑(4・30?)、金正恩「激怒」報道の後だけに、それでも笑っていられるのかと気にかかる。人々にこわもての印象を薄めようとしているのか、日韓のメディアで「恐怖政治」展開などと報道されたことを意識してのことか。

 

玄永哲の粛清・処刑については、韓国の国家情報院によって明らかにされた(5・13)。半月ほど前(4・29)、「北朝鮮幹部の処刑が相次ぐ」という資料を出したばかり。それを証明するように、人民軍最高幹部の一人も粛清とあって、大きな衝撃を与えた。

 

鶴の一声で処刑?

 

これに対して、北朝鮮は国情院の謀略などと悪口は言うが、玄永哲処刑については否定していない。その後の金正恩の現地視察の随行者の中に名前は出てきていない。処刑は間違いないところだろう。

 

玄永哲は、昨年6月に人民武力相に抜擢され、昨年11月にはロシアを訪問して、プーチン大統領と会見。今年の4月にもショイグ国防相と会談している。ロシアの戦勝記念日への金正恩参加などが議題だったはずだ。わずか2,3週間前。つい最近まで金正恩の信頼を得て、対ロ外交を展開していたのである。それが突然の処刑だ。平壌郊外の姜健綜合軍官学校の射撃場において、軍幹部数百人が見守る中、高射砲で粉々にされたともいう。

 

理由についても、さまざまな憶測が流れている。処刑直前、金正恩が出席した軍関係の行事や会議で、居眠りをしていた。対ロ外交の停滞などを理由に「若い者には無理だ」と、金正恩のやり方を批判したなどなど。おそらく、それらが合わさって、金正恩の逆鱗に触れたのだろう。玄永哲がいかに忠誠心を欠いていたかの学習が始まったという情報もある。

 

ただ、異常なのは、張成沢処刑の際は、曲がりなりにも司法の手続きをとり、処刑の理由を明らかにした。しかし、今回は、そうした公式の発表はない。金正恩の「鶴の一声」で、処刑したようだ。まさに「恐怖政治」である。人々は首をすくめて生きているに違いない。

 

笑顔でだます段階は過ぎた

 

笑顔をふりまけば、人々の恐怖がやわらぐ、というものではない。おそらく、玄永哲処刑のうわさは、国中に広がっているはずだ。人々は叔父の処刑に首をすくめ、顔をしかめた記憶がまだ鮮明に残っている。まして、今年の秋は凶作間違いなし、再び飢餓の冬を迎えなければならない。こんな時どうして笑っていられるのか。笑顔が効果を表す段階は過ぎた。

 

一方で、恐怖政治は、金正恩体制の基盤を強固にするのか。金正恩がいま独裁権力を振り回しているのは、まちがいない。しかし、恐怖は人々を委縮させる。同時にいつ自分に順番が回ってくるか、疑心暗鬼にさせる。ひたすら忠誠を誓っても、命の保証はない。

 

本人はどうだろう。不忠分子を次々抹殺して、枕を高くして寝れるようになったのだろうか。血のつながりがないとはいえ、叔父を処刑したことの後遺症は。やはり金正恩も人の子。夢枕に立つなんてことはないのか。このところ、肥満が目立つ。二重あごがさらに厚くなり、一時は足を引きずって歩いていた。足が体重に耐えられなかったのだろう。ストレス―過食―肥満はよくある話だ。

 

我慢にも限度がある

 

ストレスは、精神の安定を損ない、さらに疑心暗鬼を刺激する。部下の忠誠は疑いだすときりがない。疑心を晴らすために処刑、それに不満を持ちそうな恐れがあるとまた処刑。いったん処刑による疑心解消を始めると、きりがない。すでに、その悪循環に入り込んでいることは数字になって表れている。まさに恐怖政治だ。

 

 

「革命中枢の決死擁護」といっても、命あってのものダネだ。いつまで我慢できるか。限界を超えて、爆発することはないのか。北朝鮮の動きを見ていて、疑問は強まるばかりだ。金正恩はいつまで笑っていられるか。

更新日:2022年6月24日