◎大山鳴動して鼠一匹

岡林 弘志

(2013.5.15)

 

 ようやく騒ぎは一段落したようだ。北朝鮮は戦争前夜を自ら演出して周辺を恫喝し続けた。米国を協議のテーブルにつかせ、内にあっては金正恩第一書記の権威を高めるのが狙いだったようだが、結果としては、制裁も含めた北包囲網が頑丈になっただけではないか。独裁体制は人々を恐怖に陥れることで求心力を高める性癖があるが、若い指導者のやり方は乱暴で稚拙だ。

 

 

 「田植え戦闘」にかかれ!

 

 

 「全党、全局、全人民は奮起して田植え戦闘を力強く展開しよう」(5・8)労働新聞の一面に掲載された社説である。言葉は相変わらず威勢がいいが、5月末で恒例の米韓合同軍事訓練が終わり、「今度は田植えだ」と、ほっとした雰囲気もにじみ出る。それにしても、田植えは毎年やっているのに、大げさだ。

 

 

 今年は「共和国創建65周年、祖国解放戦争勝利60周年の節目」に当たり、「党の農業第一主義の方針を奉じ、農業戦線に兵力を総集中、総動員することが求められている」からだ。「農業第一主義」は、これまでも聞いたような気がするが、いまだに、うまくいっていないための相変わらずのスローガンだ。それにもう一つ理由がある。

 

 

 「誰も助けてくれない」

 

 

 「今日の世界的な食糧事情は深刻だ。国連食糧および農業機関は世界の栄養不足が8億7千万人という。このような条件の中で、食糧を買ってくることも貸してくれる国もない」からだ。従って「食糧を自給自足することが求められ、自分の力で農業をよくするしか道はない」という。

 

 

 自力更生の意気込みはよくわかるが、北朝鮮が食糧の調達に苦しんでいる現状を図らずも吐露している。それにしても「どこの国も助けてくれない」とは情けない。この間までの威勢のよさはどこへ行った。

 

 

 しかし、北の食糧不足は、世界的な食糧不足のためではない。一つは、核・ミサイル開発に対する経済制裁、恫喝外交に対する周辺国の拒否反応のため。もう一つは国内的事情「農業第一主義」と言いながら、核ミサイルをはじめとする軍需、神格化事業を優先して、治山治水、農業育成をおろそかにしてきたためだ。自業自得である。

 

 

 そのうえ、今回は米韓の「核戦争挑発」に対抗すると大騒ぎし、長い間、準戦時体制を強いたため、国民は生業をおろそかにせざるを得なかった。「戦争前夜」のような騒ぎは、北朝鮮の脆弱な経済にも大きな打撃を与えたに違いない。北朝鮮は恫喝の見返りとして何か得るものがあったのか。反対に失うものの方が多かったのではないか。

 

 

 年9千万ドルの「金の卵」を失った

 

 

 北にとって大きな損失の一つは開城工業団地だ。2004年に操業が始まって、全面的に操業が止まったのは、これが初めてだ。ここでは北朝鮮の労働者5万3000人が働き、北朝鮮当局は労働者の上前をはね、韓国企業からの税金や地代も合わせて年間9000万ドル(88億円)の外貨を得ていた。まさに「6・15(金大中・金正日合意)の玉のような赤子」(中央特区開発指導総局)であり「金の卵」だった。

 

 

 理由は、韓国の「対決狂信者らが我々の尊厳を冒涜し、公団を北侵挑発の発源地にしようとしている」という理由だ。韓国のメディアなどが「開城団地は外貨獲得の手段だから北は閉鎖ができない」「韓国人従業員を人質にする恐れがある」などとの観測が出ていることにカチンときたという理由だという。

 

 

 「チョコパイ」は独裁の敵だ

 

 

 しかし、実際は「チョコパイ」に恐れをなしてのことらしい。デイリーNKは「金正日の遺訓」によると報じた(4.30)金正日は、当局者から「住民の生活は顕著に改善した。皆が歓迎する雰囲気」という報告を聞いて激怒、「折を見て果敢に閉鎖せよ」と命令、遺訓として残したのだという。

 

 

 確かに、操業から韓国側が従業員に配る「チョコパイ」は、大人気だった。うまさもさることながら、市場に持っていくと高く売れる。最近では1個3000ウォンにもなるという。2個もあればコメ1㎏が買える。労働者にとっては、大変な副収入だ。しかし、モノは「文明」であり、経済の実態を現す標本だ。図らずも韓国の経済力を住民に知らせる役割を果たしてきた。

 

 

 もちろん、チョコパイだけではない。韓国人が持ち込むすべての物品が、北の労働者にとっては驚きであり、羨望の的だったに違いない。また、工場での働き方も合理的で、将軍様や当局者の思惑で、理不尽な労働を強いられることもなかったに違いない。要するに資本主義のよさを知らないうちに知ることになる。独裁体制を崩す「蟻の穴」だ。

 

 

 「開城団地」は軍事最前線の要地

 

 

 また、軍事的な理由もある。開城団地の閉鎖により「団地の広い地域を軍事地域に再び作り、ソウルをより近くで狙うことができるようになり、祖国統一大戦により有利になる」(4・27中央特区開発指導総局)のである。軍事境界線に隣接するこのあたりは、軍事的に重要な地域であり、軍部は団地造成に強く反対したと言われていた。

 

 

 開城団地は、韓国人の管理担当者らが5月3日に引き上げ、操業は完全に停止した。北朝鮮が向上施設などを横取りして、始動させるという見方もあったが、ここの電気と水は韓国側が供給していた。今も完全には止めていないようだが、北が操業となれば、韓国側が供給を続けることはない。

 

 

 そもそも、休戦状態にある北の領地に工業団地を造るのは無理があった。金大中の「太陽政策」の目玉だったが、北朝鮮に太陽の光を照らせば照らすほど、外套をかたく身につけ、脱ぐことはなかったのである。

 

 

 また、時に軍艦を撃沈させ、韓国側を砲撃するなど軍事挑発を繰り返す現状では、北朝鮮領地内の多数の韓国人滞在は、いつでも人質にされる危険がある。韓国にとっては、安全保障の大きな弱点だ。撤収後の韓国の世論調査では、朴槿恵大統領が韓国人従業員の撤収を決めたことについて66%が支持と答えた(5.4韓国ギャラップ社)。多くの韓国人も不安を感じていたのである。

 

 

 しかし、慢性的な外貨不足に悩む北朝鮮にとっては、大きな損失であるのは間違いない。金正日は体制への影響を知りつつも実利を優先して操業を停止することはなかった。金正恩は遺訓を短絡的に受け取り、強硬策に出たのだろう。

 

 

 この結果、開城団地で働いていた5万を越える従業員は突然の失業に追い込まれた。家族を含むと20万人ほどが生活の糧を失ったことになる。国内の他の向上や農村に配置をしているようだが、開城ほどの収入を得ることはできないはずだ。また、中国にも労働者の受け入れを打診したが、中国は断ったようだ。北の損失は大きい。

 

 

 中国も北朝鮮を甘やかさない

 

 

 こうした中で、中国による北朝鮮の銀行に対する口座閉鎖は象徴的だ。中国はこれまで、国連による経済制裁の“抜け穴”だった。今回は、中国銀行をはじめとする4大国有銀行が北朝鮮への送金を停止したという。当然、政府機関の指示があってのことだ。

 

 

 これに対して、効果は限定的という見方もある。国連安保理の経済制裁強化から時間が立っており、北朝鮮の銀行は金正恩の統治資金も含めてすでに緊急避難の手を打っている。また、中朝国境貿易は現金や物々交換あるいはヤミで行われ銀行を通さなくとも商売はできるなどの理由からだ。

 

 

 そういう側面もあるだろうが、象徴的な意味は大きい。胡錦禱政権は、北朝鮮を戦略的に重視して、困らせるようなことはしない方針だったが、金正恩に代わっての北朝鮮のやり方をそのまま放置しては、中国の国益を損なうと認識を強めたようだ。

 

 

 実際に、中国隣接する海空における米韓軍事演習では、米空母原子力潜水艦、戦略爆撃機、ステルス戦闘機、など最新鋭の装備が投入された。北朝鮮の核ミサイル開発に対応してのことだ。韓国では核開発の世論も大きくなり、台湾、日本と「核のドミノ現象」が起きては大変だ。北朝鮮の暴走が、中国の安全保障に大きな害をもたす恐れが急速に膨らんだ。

 

 

 また、今回の中国の措置は、米国からの強い要請があり、実現したようだ。米中間の要人の頻繁な行き来から推測できる。米中が核武装に突っ走る北朝鮮を抑えるため、かなりのレベルの共同対処が始まったのかもしれない。これも北朝鮮にとっては計算外だったに違いない。

 

 

 また、中朝国境での荷物検査を厳格にしたという情報もある。同時に中国元や米ドルの北朝鮮持ち込みも対象になっているようだ。北の超インフレを加速する可能性が大きい。経済に対する影響は、これからじわじわと効いてくる。対外関係で北朝鮮が失ったものもは、限りなく大きい。

 

 

 女性警官に最高の「共和国勲章」

 

 

 北朝鮮が危機を作り出したもう一つの狙いは、金正恩の権威を高めることだった。結果がどうだったかはまだ分からないが、5月に入って面白い出来事があった。

 

 

 「不意の状況の中で、英雄的犠牲精神を発揮し、革命の首脳部の安全を決死擁護した」(5・5朝鮮中央通信)

 

 

 平壌の22歳の交通警察官が、北朝鮮で最も権威のある「共和国勲章」を授与された。北朝鮮のメディアは、一斉に大書特筆し、テレビは、女性警察官が勲章を受け取り、感激のあまり身をよじるように泣き崩れる姿を繰り返し流した。大キャンペーンである。

 

 

 表彰の理由については、えらく抽象的だが、金正恩が不意の事故か何かに会い、そこに居合わせた交通整理の女性警察官が救ったということだ。しかし、肝心の「不意の状況」が何かは全く報道されていない。

 

 

 このため、韓国のメディアは様々な推測を流している。交通事故あるいはテロ、暗殺など様々だ。しかし、金正恩に対するテロとすれば、体制にとっての一大事だ。これまでも首領に対するテロなどは極秘のうちに処理された。となると、大したことのない交通事故か、民衆が押し寄せて動きがとれなくなったところを救ったのか。

 

 

 金正恩への忠誠は十分でない

 

 

 もしその程度だとしたら、金日成、金正日以外はほんの数人しか受章していない「共和国勲章」は大げさだ。おもんぱかるに、この時期「革命の首脳部の決死擁護」を人々にアピールする必要があったということだ。大げさに受章を仕立て上げて、金正恩への忠誠を人々に強いる必要があった。

 

 

 戦争前夜で指導力発揮というキャンペーンだけでは、金正恩の権威は十分に高まらなかったことの裏返しだ。もちろん、テロだったとすれば、北朝鮮内の金正恩の不満、反発、憎悪の現れであり、金正恩の権威は揺らいでいることの証拠になる。結局、一連の「核戦争」騒ぎは、国内、対外国関係で裏目に出て、虻蜂採らずに終わったようだ。

 

 

 ここまで書いたところで、人民武力部長交代のニュースが入ってきた。北の強硬派の代表格といわれた70代の金格植から50代の張正男に。金格植は昨年10月に、韓国の延坪島砲撃などを買われて就任といわれたが、わずか8カ月での更迭は異例だ。若返り、金正恩派の台頭などといわれているが、軍の掌握が十分でないのは間違いない。「先軍政治」の肝心のところが揺らいでいるのである。

 

 

 得たのは悪評だけ

 

 

 それにしても、やり方が稚拙だった。金正日も内外に恐怖を作り出して、独裁を護ることを繰り返したが、もう少し狡猾だった。それなりに計算があった。振り上げたこぶしを下ろすことを知っていた。ところが金正恩は威勢がいいだけで計算が見えない。カラ元気だ。

 

 

 金正恩は、昨年暮れのミサイル発射以降「情報戦で主導権を握れ」と指示したという(5・10毎日新聞)。その後、周辺国のメディアは北朝鮮の動きを詳細に追いかけ、時に北の動きに振り回された様子を見て、してやったりと至極満足したはずだ。しかし、マスコミが特異な国の特異な動きに関心を示すのは習性だ。

 

 

 「北朝鮮が危機を作り出し、譲歩を引き出せた時代は終わった」(オバマ大統領)北朝鮮のやり方は見透かされ、むしろ、反対に居直られている。大山を鳴動させてみたが、出てきたのは常軌を逸した動きをするネズミ一匹だけだった。昨年暮れのミサイル発射以来、一連の騒ぎで、金正恩に得たものがあるとすれば、国際的な悪評だけだ。

更新日:2022年6月24日