韓国も「金王朝」の支配下に?

岡林弘志

(2012. 4.19)

 

そこまでやるか――。北朝鮮は、ついに金一族が永久に君臨する国になってしまったようだ。しかも韓国を含めてというのだから驚く。三代目の登場に伴って、金日成―正日父子の神格化をこれ以上はないというところまで進めた。私物化の極みだ。しかし、満ちた月は欠けるしかない。

 

労働党は永遠に金父子の党、そして国家も

 

「朝鮮労働党は、金日成同志と金正日同志の党である」

労働党代表者会(4・12)は、党規約を改定し、これまで党創始者だった「金日成同志の党」だったのを、息子も加わり、金一家の党であることを明記した。

 

しかも金正日の「遺訓を労働党の綱領的指針」として、これからは「金正恩同志の老熟かつ洗練された指導に従う」という。綱領は特に社会主義政党にとっては背骨に値する。したがって、この国すべては金一族の采配に服している現実を党規約でも鮮明にしたことになる。

 

金一族支配は、今回の修正憲法(4・13最高人民会議)にも反映された。「金日成同志を共和国の永遠なる主席、金正日総書記を永遠なる国防委員会委員長としていただく」ことになった。

 

「永遠」というからには、朝鮮民主主義人民共和国が続く限り、金日成の「主体思想」と金正日が考え出した「先軍政治」に支配されるということを憲法とそれより上位にある党規約によって、内外に宣言したのである。

 

となれば、この国名は相応しくない。「朝鮮金一族専制支配国」などと現状を素直に表す国名に変えた方がいい。

 

私物化ここに極まれり

 

これまで、数多くの社会主義国があり、ほとんどは消えていったが、党規約や憲法に創始者の名前はあっても、親子2代の名前を明記した例はなかったはずだ。そもそも、世襲というのは社会主義とは相いれない。あってはならないのである。

 

北朝鮮は、創建された当初から独裁体制だったが、ここまで血統を柱とする個人崇拝が進むと、一族による「私物化」以外のなにものでもない。近代世界史の中でも珍しい。「金王朝」としか言いようがない。

 

朝鮮半島全体も「金日成―金正日化」

 

しかも、これは北朝鮮だけにとどまらない。新規約は、労働党の最終目的として「全社会を金日成―金正日主義化し、人民の自主性を完全に実現することにある」(前文)と明記した。

 

「全社会」とは、韓国を含めた朝鮮半島全体をさす。かつては「全社会の社会主義化」となっていた。いわゆる「赤化統一」である。2010年の改定で「全社会を主体思想化」にしたが、今回ははっきりと個人の名前になってしまった。

 

これでは、「赤化統一」、社会主義化どころの騒ぎではない。韓国いわゆる南半部も金一族が支配し、金日成―正日の考えに従わせる、金一族を「決死擁護」するいうということになる。大変な話だ。

 

もちろん金一族を批判したり、従わなければ、一族郎党、強制労働所行き。規約では、「人民の自主性の実現」というが、北で許されているのは、金一族に従うことに限っての「自主性」だ。常識では服従という。

 

次から次への個人崇拝

 

荒唐無稽と言えばそれまでだが、北朝鮮は本気だということは、念頭に置いていたほうがいい。それと、ここまで「個人崇拝」を進めなければならない北朝鮮のあり方に肌寒さを感じる。これは政治というようなものではない。一種の狂信といってもいいだろう。

 

北朝鮮の「神格化」事業は果てがない。よくもここまで考えるものだ。この知恵をほかの方に使えば、人民が食うに困ることはないだろうに、と皮肉の一つも言いたくなる。

 

その柱のなったのが、金正日の最高実力者としての肩書だった「労働党総書記」「国防委員会委員長」を“永久欠番”にしたことだ。金正日が、父親を永遠の「主席」に戴いて、自らはその地位につかなかった前例に倣った。

 

このため金正恩は、党の最高位である「総書記」ならぬ「第一書記」に。国家の最高責任職だった「国防委員長」でなく「国防委員会第一委員長」に就任した。名称は変わっても、それぞれの最高位であることは間違いない。

 

ただ、余計な心配だが、次の世代で「第一書記」「第一委員長」も永久欠番にすると、四代目はそれぞれ「第二」というわけにもいかないだろう。次はどんな名称にするのか。もっとも、こんなことがいつまでも続くとは思われず、これこそ余分な心配か。

 

何から何まで「二人」並べて

 

このほか、二人の「偉人」を持ってしまったために、何から何まで二人揃っての「神格化」をする必要がある。大事だ。前回の報告でも触れたが、その後も、これまで巨大な金日成像があった万寿台には、父子が笑顔で立つ銅像が造られた。これから、小型版が各地方にも造られる。

 

また、国民全員が着用を義務付けられている金日成バッジはこの4月以降、二人の顔が並ぶ「金親子バッジ」に変わり、金正恩が率先して付け始めた。これでもかこれでもかである。

 

「理屈」による支配の恐ろしさ

 

社会主義国が実例を見せてくれたように、理屈による国家運営は、最初は効率的でうまくいく場合があるが、やがて破たんする。なぜなら、国家を構成する人間は、理屈だけで動かないからだ。様々な考えがあり、欲がからみ、時には休みたい時もあるし、病気にもかかる。支配者が指図するようには動いてくれない。

 

それでも理屈を通そうとすれば、強権を振り回して言うことを聞かせるしかない。その結果、社会主義国における人権無視は常態化してしまった。イデオロギー支配の恐ろしさである。

 

もう一つ、理屈が困るのは、論争すると、より純粋で過激な理屈がまかり通ることだ。現実を反映した施策は当然妥協を伴う。もともと政治は妥協の産物でもあるが、理屈の世界では、日和見、修正主義などと非難され、論争では負けてしまう。

 

従って、理屈を偏重する政治は、現実からどんどんかけ離れ、現実の困難、難題を解決することはできず、むしろ混乱させる。李朝が衰退した一因はここにある。

 

北朝鮮は、金一族による「主体思想」「先軍政治」という理屈を統治原理にしている。

「金日成主席と金正日総書記が開いた自主の道、先軍の道、社会主義の道をまっすぐ前進するところに、朝鮮革命の百年の大計がある」(4・15金正恩の演説=朝鮮中央通信)

 

「個人崇拝」に待ったはかけられない

 

従って、個人崇拝にならざるを得ない。というより個人崇拝を柱として国家を統治する方向へ全力で進んでいる。このため、個人崇拝を貫く理屈が独り歩きして、忠誠競争と相まって、次から次へと新しい方策が考え出され、エスカレートする。

 

その過程で、現実は置き去りにされ、経済は混迷を深める。このところの「神格化」事業も、経済混迷、特に食糧やエネルギー不足という現実を無視して、巨額の資金が湯水のごとくつぎ込まれた。これに待ったをかける幹部はいないだろうが、もしいても、個人崇拝の理屈には勝てない。むしろ忠誠心の無さをそしられ、失脚するのが落ちだ。

 

今回の金日成生誕百周年で、個人崇拝は来るところまで来たという感じがする。このお祭り騒ぎに20億ドル(約1670億円)を使った(韓国政府推定)。4・15の祝砲夜会と称する大花火大会だけでも、1670万ドルにのぼる。

 

最大の浪費は、言うまでもなく、北朝鮮が言う「光明星3号」の打ち上げ失敗だ。8億5千万ドルが空中に消えた。隣の国からみていると、壮大な浪費だ。

 

「ベルトを緩める」時は来るのか

 

「わが人民が再びベルトを締めることがないように、社会主義の富貴栄華を思う存分享受できるようにするのが、わが党の確固たる決心だ」

金正恩は4・15の閲兵式で、初めて演説して、人民がベルトを締めなければズボンが落ちてしまうほど腹をすかしていることを認め、食糧事情の改善を約束した。

 

北の人々が求めているのは「富貴栄華」な生活ではない。せめて飢え死にしたり、腹をすかすことがないようにと、ささやかに願っているだけだ。今回の「神格化」事業につかった資金を食糧購入に向ければ、数年は食うに困ることはなかった。

 

しかし、個人崇拝を続ける限り、食糧をはじめとする民生経済の建て直しは、仕組みとしてできない。

北の人々の腹が満ちて、ベルトを緩めることができる日は来るだろうか。

更新日:2022年6月24日