北、植民地100年からの解放を(上)

対談・洪熒・佐藤勝巳

(2010. 3.23)

 

佐藤 1910年の日韓併合から100年をどうとらえるか、ということが関係者の間で関心が持たれ、色々発言がなされています。実は、1910年当時の国際情勢のなかで、「併合」というものが日韓にとってなぜ起きたのかという分析評価は非常に重要なテーマなのですが、二人とも歴史家ではありませんので、そこは専門家に譲るとして、今日は、35年の日本の支配と解放後65年を経過した韓半島について、二人で考えてみたいと思います。 

 

共産主義との戦い

 この100年は2度の世界大戦を経て、特に1945年の第二次世界大戦の終結を機に、多くの植民地が宗主国から解放されて世界情勢が大きく変化しました。「近代国民国家」建設の試みが爆発した時代とも言えますが、韓半島に即して言うなら、韓国は自由主義体制を、北は共産主義体制を選択しました。この理念と体制の違いが、歴史の経過を見れば分るように決定的なものとなりました。

 韓国は1988年にソウル五輪を成功させ、翌89年のベルリンの壁崩壊をきっかけに総崩れしたソ連や東欧社会主義圏と修交を進め、金日成・金正日体制を包囲しました。ソ連邦の解体はレーガン米大統領の信念と戦略によるもので、ヨーロッパでの東西冷戦はアメリカの勝利で終わりましたが、東アジアの冷戦は中国の台頭でより複雑化し、中国共産党は大国主義、膨張主義で韓半島に影響力を拡大しています。

 

佐藤 産業革命(18世紀後半)の影響を受け、マルクスが「共産党宣言」を1848年に発表しましたが、その約70年後の1917年、ロシアで人類初の社会主義革命が成功し、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が形成されました。ソ連は第二次世界大戦後、強大な軍事力を背景に東欧やアジアなどに共産主義政権を作り、社会主義圏を形成。分断国家のベトナムでも、1975年に共産主義の北ベトナムが自由民主の南ベトナムを併合しています。

 ところが先ほど洪さんが述べたように、東欧社会主義圏は80年代後半から90年代にかけて総崩れしていきます。1990年の西ドイツによる社会主義東ドイツの吸収合併は、社会主義圏にとどめを刺しました。翌91年には、共産独裁の宗主国・ソ連邦が74年間の歴史を閉じ、滅びたのです。

 韓半島ではこの65年間、南に自由民主主義の韓国と、北に共産主義(スターリン主義)のなれの果ての独裁政権が激しく対峙(たいじ)してきました。北の独裁政権は、国民の15%を餓死させてでも延命をはかってきましたが、今まさに崩壊しようとしています。

 結局、ソ連・東欧の社会主義国が崩壊したのは、国民をきちんと食べさせることが出来なくなったことと、自由民主主義の浸透を阻止できなかったことで、社会主義を完全に放棄したのでした。中国は、政治は一党独裁のまま経済を市場経済に路線転換することで、生き残りをはかっています。結局、この100年は資本主義を否定したマルクス主義政権が生まれ、滅びた世紀ということが出来るでしょう。 

 

植民地は北だ

 次のように位置づけることが出来ると思います。韓半島は35年間の日本による植民地支配の後、前述のように1945年、南はアメリカの全面支援下で自由主義体制を建設し、北にはソ連の「スターリン主義」がそのまま移植されました。あの「朝鮮民主主義人民共和国」という国名すら、スターリンが名づけたのを翻訳したものですから。間もなく、スターリンと毛沢東に操られた金日成の南侵戦争で韓半島は歴史上最悪の被害を蒙(こうむ)りました。

 北は1950年代末からの中ソ対立を利用して1966年ごろから金日成の個人神格化と「主体思想」を強調します。形だけを見ると金日成はソ・中に対していわゆる「自主性」を持ったかのように見えますが、本質的に「スターリン主義の変種」に過ぎず、北韓の人民から見ると搾取の主体がソ連や共産主義から、より野蛮な金日成・金正日独裁体制(金王朝)に変ったに過ぎませんでした。搾取・収奪がかえって酷くなったのです。その象徴が1995年からの飢餓情況の露呈で、惨(むご)たらしいことですが、300万人以上の国民が餓死したのです。

 要するにこの100年間、北韓は一貫して〝植民地〟であり続けたということです。1970年頃からすでに慢性的な食糧難になり、常に国民の1%に当たる20万人を政治犯強制収容所に収容し、昆虫を殺すように人間を殺し続けて今日に至っています。 

 この100年、何が問題かと問われれば、1世紀にわたって植民地下にあり続ける北韓の解放とその住民の救出が出来ないでいることです。即刻解放と住民の救出が急務だと思っています。

 

佐藤 朝鮮労働党は「日韓条約締結以後、韓国はアメリカ帝国主義と日本軍国主義の二重の植民地だ」と言ってきました。そこから導き出される戦略課題は、帝国主義を韓国から追い払う「民族解放人民民主主義革命」(1980年の第六回党大会)というものでした。しかし、金正日政権は1990年代中頃から、外部からの援助なしでは存続できない惨めな植民地化の実状をあますところなく露呈しています。

 このところ北から伝えられるのは、「通貨改革」の失敗で国内の市場勢力に追い詰められた挙げ句、責任者を銃殺したとか、金正日の側近のスイス駐在大使が使い込み容疑で本国召還を命じられた、など支配階級内の矛盾動揺の公然化であり、緊迫した政治情勢です。

 

人民の生き血で核開発

 なぜ外からの援助や物乞いなしでは生きてゆけない状況になったのか理由は色々あるが、決定的要因は核開発です。核兵器は一応完成すれば普通の軍事力維持に比べると食事も軍服も与える必要はなく、兵器としても、また外交の武器としても物凄い力を発揮しますが、開発に大変なカネや資源を必要とします。時期こそ異なりますが、かつてのソ連、中国も核開発のために国民を大量餓死させています。共産独裁体制の核兵器は人民の血なのです。

 

佐藤 ソ連も冷戦でアメリカと軍拡競争をして、国民の衣食住も保障できなくなり、結局、社会主義を放棄せざるを得なくなりました。金正日政権も、無謀にも韓米同盟を相手に軍拡を挑んだ結果、ソ連と同じ自滅の道を歩んでいます。中国が大規模の援助でもすれば話は別ですが、現在物凄いインフレに見舞われ、政権崩壊は秒読み段階に入っています。

 中国は、今のところ軍拡をやっていますが、中長期的に見ると、あの膨大な軍事費が体制維持を困難にするという側面を見落としてはならないと思います。中国は水不足で食糧生産が困難になりつつあります。重化学工業の発展で、油をはじめ資源の輸入依存度が増してきている。食糧とエネルギーが不足し、その上にひとりっ子政策で労働力も不足し出しているところに、膨大な軍事費の支出を続けていたら、構造的にはソ連の崩壊と同じ道を歩むと推定されます。中国は一党独裁で、市場経済を取り入れ生き延びているが、逆に格差が拡大し、新しい矛盾が深刻化しています。

 

 社会主義(共産主義)つまり計画経済とは、そもそも社会の多様な要求・必要に応じられないシステムなのです。その上に核開発や軍事に限られた資源を費やせば、生活が逼迫(ひっぱく)するようになるのは当然です。

 

佐藤 共産主義破綻(はたん)の根本原因は、人間の本質を取り違えた傲慢と独善だと思います。人類は競争の中で生きてきました。その競争原理を否定し、経済を計画通りに動かすなど土台無理な話です。共産党独裁の実態は、労働者が自発的に働かないことです。働かなくとも最低のものは保障されると約束され、どんなに働いても働かないものと給付は大差がないのですから、勤労意欲がなくなるのは当然です。

 意欲のない人民の労働力を搾取するため暴力と監視が動員され、まさにジョージ・オーウェルが小説『動物農場』や『1984年』に描いたような社会になったのです。さらに人民生活のための拡大再生産に投じるべき国家財政を核兵器開発などに投入するわけですから、餓死は必然的に起きます。

 

 問題は、中国がいわゆる「改革・開放」政策とほぼ同時期の1980年代早々から、パキスタンをはじめ一部のイスラム国や「金氏王朝」などへ原爆を拡散させたことです。前述したように社会主義独裁下での核開発は、人民の生き血を吸ってなされた残酷なもので、非人道的などという言葉で表現できない〝犯罪〟です。北の大量餓死の惨劇は鄧小平路線の中国にも責任を問わねばならず、こういう事態を放置した韓国や国際社会にも責任があると言えます。

更新日:2022年6月24日