歩きながら考えたこと①

-生活習慣病-

佐藤勝巳

(2011. 7. 6) 

 

7月3日、東京・市ヶ谷で90名ほどが集い、「田中明さんを偲ぶ会」が開かれた。会に参加のために、わざわざソウルから馳せ参じた産経新聞黒田勝弘ソウル支局長に久しぶりに会った。

 

元気ですね

「ネットで書いているものを読むと病気で大変そうでしたが、実物は元気ではないですか。われわれもいずれ、佐藤さんが今、日々体験している道を通るのだから、あの『闘病記』は、非常に興味があり、参考になっています。前よりも冴えていますよ」と、黒田氏独特の笑顔で敬老精神を発揮、拍手を送ってくれた。

 

本ネット5月23日に掲載した「手術の日から歩く決意」を、今回ヘルニアの手術をする医師に郵送した。手術前の説明のとき、医師は外交辞令もあったと思われるが、「人間の衰えは頭に現われます。佐藤さんはクリアですから、体力は大丈夫です」と、体力に心配がないことを強調した。

 

2000万円の財産

私は、数年前から近所の同じ理髪店で調髪をしている。頭の天辺の毛が抜け出した頃理髪師は、「抜け出しましたね」とは言わなかった。最近、「抜けたところに毛が生えて分からなくなりましたね。何を食べていますか」と不思議そうに尋ねてきた。

「玄米と野菜中心の食生活に変えて、2年余がたちます」とありのまま伝えた。「肉じゃなくて、野菜ですか」と驚きの声が鏡の中から返ってきた。

 

理髪師は続けて、「別のお客さんに、頭髪の少ない人がいます。その人は毛が生えてくるようにいろいろなことをやって、いままで使ったおカネは、2000万円ぐらいと言っていました。それに比べるとお客さんは幸せですよ」と頭髪の多さを「幸せ」と讃えた。「すると、私の頭髪は2000万円の価値があるということですね」と、冗談を言って笑った。

 

尊敬する親友田中明さんが、生前、「風邪を引いて体力が落ちると、風邪が治っても、落ちた体力は元に戻らない。階段を下りていくのと同じで、一番下があの世ということだ」と何度も言っていたことを覚えている。この田中さんの話を私が実感し出したのが、昨年暮れ(2010年)手術をした後からである。「階段を下りる」とは示唆に富む表現である。

 

歩く理由

人の衰えは例外なく腰と足に現われてくる。歩くことは、降りた階段を逆に元に戻る行為だ。私は、手術前に毎日8000歩以上歩いていたと書いたが、それは体力を保持するためのものであった。しかし、考えてみればこれは、隅田川を上流に向って泳いでいるようなもので、いつかは力尽きる。はかない独りよがりなのかもしれない。

その人の肉体年齢は、腰が柔らければ若い。硬ければ老化しているというのが私の判断基準なのだが、体力が活性化していれば、風邪の予防、また、大手術も乗り切ることも出来る。

何よりもメタボになって、糖尿病などで日々薬を服用、病院通いしているよりも、歩いて血液の循環を促すと体が軽くなり、気分が爽快となる。食事が美味しいことは、高齢者にとって何ものにも変え難いことである。歩くのにカネは不要、必要なものは生活習慣を変える“意思”だけである。私の「歩く」動機は、趣味の社交ダンスに端を発していた。

 

60代後半頃からだと記憶しているが、レッスンを受けていて、股関節や足首などが硬くなり、床を捉えることが不安定になり出した。宮木よしこ先生にプールで歩くことを勧められ、数年間プールに通い、水中をルンバーウォークで歩き、股関節や足首などを緩めることに努めた。胃ガンの手術で、生活のリズムが崩れ、プール通いを中断した。高齢者の身体は硬くなるのが早く、すぐレッスンに現われてきた。

 

チベット体操との出会い

道路を歩いてみようと思って、歩き出した。歩くことで関節は柔らかくならないことはすぐ分かった。2009年春、プール復帰を考えている矢先に、友人の成美子さんから、ピーター・ケルダー著『5つのチベット体操』(河出書房新社)が送られてきた。この体操はヨガの基になったチベットの修行僧達が創り出した体操と言われている。簡単な5つのポーズによって構成されているのだが、要するに腰、股関節などを和らげることによって、体の若さを保つ。今流に言うなら柔軟体操の一種である。

 

同じ2009年春、ガンは切除すれば治癒すると信じていた私の腸に、悪性ポリープが発見され、ガン治療に対する現代医学に疑問を抱き、自分の生命をどう守るのか、緊張した問題に直面し、関連図書を読んでいるときと、チベット体操の開始が重なっていた。

肉、牛乳、卵などの高蛋白・高脂肪を大量に摂取し、体を動かさないことが、生活習慣病を大量生産していることを的確に教えてくれたのが、素問(そもん)八王子クリニック真柄俊一院長著『がんを治す「仕組み」はあなたの体のなかにある』(現代書林刊)であった。

 

私は、1990年脳梗塞、2006年胃ガン、2009年腸にポリープと、生活習慣病の申し子であったが、無知なるがゆえに、自分の死が目前に迫っていたことを知らなかったのだ。

生活習慣病を治すのには、生活習慣を変える以外にないと思い、食生活を変え、自律神経免疫療法を受けた。私の「歩く」目的が、この時を契機に、「趣味」から生きる「自助努力」の中心に変わって行ったときである。

 

生活習慣の変革更は可能か

6月27日アップした本欄コラムで「国民の生活習慣を変えれば、医療費は二分の一以下に削減できるはずだ」と書いた。だが、われわれは容易に「生活習慣」を変えることが可能なのだろうか。一緒に韓国・朝鮮問題をやってきた玉城素さんは食道ガン、田中明さんは心臓病で亡くなった。両先輩には機会ある度に「歩く」ことを勧めてきたが、実現しなかった。

生活習慣を変えることは、国民の自覚の問題もあるが、高齢者の多くが、“歩き”、健康になり医療機関に通わなくなったら、冗談ではなく、医療機関と製薬会社は売り上げが落ちて経営困難となる。医療機関と製薬会社は、本音では現状を歓迎しているのではなのか。なぜなら医療機関の医師たちは、患者に対して体を動かすことを積極的に奨励していないからである。

 

しかし国を挙げて「生活習慣改善」に取り組まなかったら、巷に病人が溢れ、震災復興を別にしても、このままの状態が続けば、医療費で国家と地方財政が破綻する。そして高齢者により悲惨な事態が待ちうけているのだ。

 

そもそもなぜかくも、ガン、糖尿病、高血圧、脳梗塞、心臓病などが蔓延し出したのか。それは日本の豊かさと密接な関係がある。カロリーの高い贅沢な食生活と運動をしない怠惰なライフスタイルに起因している。これについては別の機会に言及してみたいと思っているが、特に政治に見られる無気力、気概の欠如、閉塞感。これは生活習慣病が国全体を侵していることと関係あると思われるからだ。

更新日:2022年6月24日