首相談話は誤りであり、欺瞞だ

佐藤勝巳

(2010. 8.13)

 

 菅直人首相は8月10日「日韓併合100年に関する談話」(以下「談話」と呼ぶ)を閣議決定、発表した。私は戦後50年にあたる1995年8月15日の「村山談話」発表以来、この種の談話発表は誤りであり、欺瞞だと発言し続けてきた。それは今も変わっていない。

 日韓併合後100年が経過して、現在の価値観で、「併合」を評価し、それが誤りであったとして、「痛切な反省と心からお詫びをする」という「談話」はナンセンスの一言に尽きる。歴史の評価は当時の国際関係、当時の価値観で評価する以外ない。

 

 100年前の歴史を、現在の価値観ではかることが許されるなら、500年、1000年先もはかることが当然可能となる。そうなると歴史学が一切成り立たなくなる。国際紛争は後を絶たず、条約や協定を結ぶことに意味がなくなる。愚かな「談話」である。

 

 日本の首相が「痛切な反省と心からのお詫び」をして、カネでも払うと言うなら間違っているが論理の一貫性はある。しかし1965年の日韓条約並びに諸協定は、両国国会で批准され、すべての問題が解決済みである。要するにリップサービスしておけばよい、と言う心ある韓国人を馬鹿にした「談話」である。

 

 また、キムヒョンヒ元工作員を日本に呼んで、ヘリコプターで1時間近くも首都圏を遊覧させた。菅内閣は何を考えてこんなにことをするのか、気が知れない。彼女を対等な人間と考えていないから、軽井沢の別荘で手料理を作らせ、帝国ホテルで関係国会議員の会食の相手をさせるなど、韓国人を馬鹿にしているとい言われても仕方がない対応をした。 

 

 菅内閣が、真剣に拉致を解決したいと考えているなら、日本国民に向って、彼女が金正日政権にどんな方法で工作員に仕立て上げられ、誰から日本人パスポートを渡され、誰に指令され大韓航空機を爆破したかを語ってもらうことだ。そうすれば金正日の残忍さが日本国民に広く深く理解され、拉致解決に繋がったはずだ。なぜそうしなかったのか。

 

 「談話」は未来志向を目指した「立派なもの」と閣僚の誰かが発言していたが、金正日政権は、3月下旬、韓国哨戒艦を撃沈した。菅首相が「談話」を発表した8月10日、同じ日に労働新聞は米韓合同軍事演習に対して「戦争熱に浮かれた者たちに(米韓を指す)」「核抑止力に基づく報復聖戦として」「本当に戦争の味とはどんなものか、はっきりとわからせてやる」と核兵器使用を明言した。

 

 菅首相は「談話」で植民地支配は「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国人(北に対しても同じだ)の意に反して行なわれた」「民族の誇りを深く傷つけた」との歴史認識を示したが、この歴史認識のもとで、未来志向で金正日政権の核恫喝にどう対処するのか、首相にお聞きしたい。

 

 韓国政府と握手し、断固として金正日と戦うと言うのなら、朝鮮高校生の授業料援助は即時中止すべきだ。中止しなければ、言うこととやることが違うということで内外から不信を買う。

 

 8月11日付産経新聞(3面)や韓国のメディアは、今回の「談話」は李明博政権の強い要請によるものと報道した。こんなくだらない要請は断固拒否すべきである。われわれは過去、朴正熙大統領を除き、韓国の政治家が自分の点数稼ぎのため、日本に謝罪を求める大衆迎合の愚劣極まりない風景(外交)をうんざりするほど見せられてきた。「李明博お前もか」である。

 

 朝日新聞社説(11日)は、この「談話」が「韓国民の心情に思いを寄せた」と言って高い評価を与えた。これは誤りだ。日本の謝罪は「韓国がなぜ日本に支配されたのか」という韓国にとってもっとも重要な課題を摘み取ってきたのだ。心ある日本人に、韓国は自国の弱点克服に目を向けず、日本のみを批判する民族という、韓国人蔑視を拡大させてきた。

 

 この「談話」は、日韓両政権の大衆迎合の見本である。毎回同じことの繰り返しであるが謝罪すれば、「不十分だ。併合が無効であることを認めよ」との声が韓国メディアを支配している。「謝罪すればするほど悪くなる日韓関係」と言う現実を、菅内閣も朝日新聞社説も分かろうとしていない。謝罪がもっとも非友好的措置であることを知るべきである。

更新日:2022年6月24日