総聯の「犯罪」②

佐藤勝巳

(2010. 4.12)

 

Ⅱ 文東建氏の北朝鮮への船舶寄贈問題

 陳述人が文東建氏を知ったのは、金日成首相(当時)と文氏のツーショットの写真が北朝鮮の日本語宣伝雑誌『今日の朝鮮』1976年8月号のグラビアに掲載されたのを見たのが最初である。

 

 九州に住む在日朝鮮人の親友Kさん(前述のKさんとは別人)から、「写真を見たか。今まで総聯議長すら金日成と2人で写真を撮ったことがないのに、たかが兵庫県商工会の会長(文氏のこと)が、韓徳銖議長を差しおいて写真が撮れるのは大事件だ」という電話がかかってきた。

 

 「背後に何があったのか」と尋ねる陳述人に、「5000トンの船を寄贈したという話だ」と、その時初めてKさんから、文氏が金日成に船を寄贈した事実を教えられた。この「事件」は、一夜にして、狭い総聯社会のネットワークを通じて日本全国に伝わった。

 陳述人と九州のKさんとは1965年からのつきあいで、Kさんが仕事で上京するたびに必ず会っていたので、あるときKさんから『今日の朝鮮』の文東建氏の写真がなぜ〝大事件〟なのかについて訊ねてみた。

 

 「社会主義になったといっても、北朝鮮には儒教的価値観が根強く残っていて、一番地位の高いのは金日成を頂点とする政治家たちで、商人の地位は極めて低い。それが今回、低い地位の商工人が、政治家である韓徳銖議長を越えて最高権力者金日成と2人で写真を撮ったのだ。これは、カネを出せば商工人でも政治家の上に立てるのだということを、金日成自らが在日朝鮮人社会に伝えたという意味で大事件なのだ」とKさんは説明してくれた。

 

 Kさんは1世で、戦前、朝鮮で旧制中学を終えた大両班(貴族)出身の知識人であった。1950年以後は、日本共産党民族対策部の幹部の1人でもあった。Kさんの分析はいつもクールで、大変教えられることが多かった。

 Kさんの指摘通り、文東建氏の船の寄贈問題を契機に、北朝鮮に帰国した肉親の安全をカネで買おうと、在日朝鮮人はなだれをうってカンパするようになった。

 

 意図していたかどうかはわからないが、商工人の劣等感(在日朝鮮人社会に根強く残っていたパチンコ・風俗営業などの経営に携わる人たちを賎民視、差別する儒教的価値観)を利用した金日成は、まさに錬金術師であったと言えよう。

 芦屋市の文東建氏宅の玄関には、等身大の金日成と自分が一緒に写っているパネル入り写真が飾られただけではなく、同じ写真を兵庫県在日朝鮮人商工会事務所にも掲げていたという。

 こうした行為を、日本人は理解し難いかもしれないが、北朝鮮における金日成の存在は特別なものなのだ。1965年末頃から本格化した金日成に対する個人崇拝は、要するに金日成を「現人神」と見なしている。

 

 その「神様」と、在日朝鮮人の誰もが写真など撮れないのに、文東建氏だけが並んで写真が撮れたのだから、1917年生まれといわれている文氏にとって、長年抱き続けてきた儒教的価値観による劣等感を吹き飛ばすのに十分すぎほど十分な価値があったはずである。文氏にとって、5000トンの船(当時10億円程度と推定されていた)など安いものだったのではないか。

 なぜなら、氏は1986年9月の総聯第14回全体会議(全国大会)で、ついに商工人として桜グループのオーナー全演植氏と一緒に総聯始まって以来、商工人で初めての副議長に就任したからである。

 

 金日成が、文東建氏らの在日商工人を副議長に就任させた背景には、バブル経済に狂奔している在日朝鮮人商工人たちからカネを集めるチャンスという意図が隠されていたことは言うまでもなかった。しかし、文東建氏にとっては、豊臣秀吉が天下を掌握したときの気持ちにも似たものがあったのではないかと思われる。

 

 前述の『今日の朝鮮』のグラビアは、在日朝鮮人社会に「北朝鮮は、カネで動かせる」という認識が急速に広まっていった歴史的事件であったのだ。

 

 ところが、文氏が寄贈した船が意外な展開をみせた。

 

 1983年10月9日、北朝鮮は、韓国全斗煥大統領がビルマ(現ミャンマー)を訪問した機会を狙って爆弾テロを試みたが失敗した。このときの実行犯チン・モ少佐、カン・ミンチョル上尉、キム・チホ上尉を北朝鮮からラングーンに運んだ船の写真が『週刊朝日』(1983年11月4日号)に見開きで掲載され、当該船舶は文東建氏の寄贈船だと報じたのである。

 

 文東建氏は、「船を寄贈した事実はない」と『週刊朝日』を名誉毀損で神戸地裁に告発した。当時『週刊朝日』副編集長と陳述人は知人であったことから、裁判の相談を受けた。

 陳述人は、総聯傘下在日朝鮮人商工連合会の機関紙「朝鮮商工新聞」に、文東建氏が北朝鮮を訪問、自分が寄贈した船の名前が「東建号(トンゴンホ)」と知らされ、首領(金日成)様の配慮に感激して涙が止まらなかった、旨の記述があったことを思い出し、日本朝鮮研究所に保管してあった「朝鮮商工新聞」から当該記事を見つけ、『週刊朝日』編集部に実物を渡した。

 

 『週刊朝日』編集部はそれを証拠として法廷に提出したところ、文東建氏側は「それは文氏の談話ではなく、<朝鮮商工新聞の記者が勝手に書いたもの>と抗弁した」という。その公判直後に文氏が死亡、裁判は中止になったと聞いている。

 

Ⅲ 文東建氏の商売の手法

 元中央幹部Kさんは、文東建氏を「文氏は、船を寄付したことによって、共和国側の配慮で、北朝鮮から輸入する物資の値を、他の業者より2割程度安く手に入れていた。確かに大口カンパはしていたが、それ以上に儲けていた」と極めて厳しい評価を下していた。

 

 しかし、陳述人はKさんとはやや違った見方をしている。朝鮮半島の政治は(特に北朝鮮にその傾向が強い)カネが第一だ、ということである。金父子はカネを集めて、そのカネを使って政・官・軍を支配している。

 

 北朝鮮のいたるところに金日成・金正日が下賜したという工場や機械、医療器具、実験用具などを誇示し、側近の幹部の誕生日にはベンツなど高級乗用車を寄贈したり、高級料理を供与したりする。下級兵士には日本製カップラーメンを下賜する。

 

 金日成・金正日の政治の特徴は、イデオロギー教育とあわせてモノを与えることで、忠誠心を要請しているのだ。その意味で、北朝鮮の「万景峰号」が新潟に入港できなくなったことは、金正日政権にとって測り知れないダメージを与えている。

 カネを提供したものには特別待遇を与えるという前近代的な政治文化は、北朝鮮ではごく当たり前であって、文東建氏固有のものではない、と陳述人は分析している。(続く)

更新日:2022年6月24日