3紙共同社説を読んで

佐藤勝巳

(2009. 1.26)

 

金正日健在ぶり誇示

 1月23日、久しぶりに金正日・国家国防委員長が、訪朝した中国共産党・王家瑞対外連絡部長と一緒にテレビカメラの前に姿を現わした。重病説を唱えていた人たちはがっかりしたのではなかろうか。金正日国防委員長の腹まわりが急減したところを見ると、まだ長生きするのかも知れない。

 金日成主席の死後、一九九五年から毎年1月1日に、党・軍・青年の機関紙『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』が「共同社説」(以下「社説」と略す) を発表する。

 一昨年雑誌「現代コリア」を廃刊するまで、玉城素さんがこの共同社説の内容を分析してくれたので、私は本文を斜めに読んで済ましてきた。だが、玉城さんが他界されたいま、「現代コリア」と銘打つサイトを主宰しているからには、「社説」に触れないわけにはいかない。

 ところが、書くという立場で読んでみて、「命令書」や「宣言文」のような「~すべきである」という言葉が次々と続くことに憂鬱になってしまった。

 そこへ、米国オバマ大統領の就任演説を聴いたものだから、益々気が重くなって筆がとれなくなってしまっていた。

 そこに冒頭紹介した将軍様がテレビカメラの前に現われきた。これで書けるという気がしてきた。

 九四年に金日成主席が亡くなるまで、毎年金日成主席が「新年の辞」を述べていた。「コメは共産主義だ」「うらやむものは何もない」「瓦葺の屋根の家で絹の着物を着、肉のスープと白米を食べる」ことが目標などという、思わず唸ってしまう、切れば血が出るような表現もあった。

 ところが「社説」にはそんなものは気配もなく、切ったらオカラが出て来るのではないかと思うほど、実に寒々としているのだ。

 

「理想社会」の入口

 「社説」は2008年を次のようにまとめている。

 「今日の現実は、われわれの未来が実に明るく洋々たるものであり、わが人民がついに、長い歳月渇望していた理想社会の入口にたどり着いたことを示している。わが党が導く先軍の道が人民の幸福と子々孫々の繁栄のための真の社会主義の道であり、強盛大国を建設していくわれわれの力強い進軍は何によっても止めることが出来ないということが昨年のたたかいの誇り高い総括である」と高い調子で、前進であったと総括している。

 総括文には、数字は一切見当たらなく、抽象的文言(もんごん)が羅列されている。米国務省が金正日政権にコメ50万トンを援助したのは08年である。「アメリカ帝国主義」からコメの援助を受けて「理想社会の入口にたどり着いたことを示している」とは、いくら創作といえ大胆過ぎはしないか。

 

2009年の方針

 この国の文章は、日本に比べてやたらに形容詞・修飾詞・重複語が多いのが特長である。しかし、これらを全部取り除くと、金日成生誕100年に当たる2012年に「社会主義強盛大国」を実現するが、今年はその3年前であるから「領袖は人民を信じ、人民は領袖を絶対的に信頼し従う渾然一体の威力によって」目標を実現しよう、という。

 思想分野では「チュチェの社会主義祖国を命のごとく大切にし、こよなく愛する朝鮮人民の愛国的熱情を余すところなく爆発させるべきである」と、スローガンのような文言が綴られていく。

 つづいて「帝国主義の思想的・文化的浸透と心理謀略戦を断固粉砕し、全社会に社会主義の生活様式をいっそうしっかり確立していくべきである。国家社会生活の各分野で革命的原則、階級的原則を堅持すべきである」と述べているが、こんなことをわざわざ記すのは、韓国から送られている風船効果の反映であろう。

 風船にはいろいろのものが付けられており、中には1ドル紙幣が入った風船も1割程度飛んでくる。1ドルは北朝鮮労働者の2ヵ月分に近い賃金に相当する。

 本来「革命的原則、階級的原則」を率先して実行しなければならないのは、領袖その人であろう。金正日氏は先進資本主義国にもいないほど、全国にたくさんの別荘をもち、山海の珍味を口にして気ままな生活を楽しんでいる。

 

社会主義的計画経済の復活

 経済分野で、「社会主義的計画経済」という懐かしい文言に出会った。「現段階の経済建設においてわれわれに提起されている重要な課題は、社会主義的計画経済の優位性に基づき、生産の正常化と現代化を密接に結合させて強力に推進することによって、人民経済の各部門で最高の生産水準を決定的に突破することである」と記しているところである。

 北朝鮮における計画経済の最後は1984年である。それ以来日本の国会に当たる最高人民会議は数回開かれているが、ただの1度も計画経済案など提案されたことがない。「社会主義的計画経済の優位性」が真実なら、朝鮮労働党は、優位性を24年間放棄してきたことになる。偶然かどうか分からないが、金正日・国家国防委員長が政治の実権を掌握したのが1985年と言われている。計画経済不在の24年間は将軍様の政権掌握期間と一致している。

 経済成長率のパーセンテージすらも明示されないところで、計画の基礎となる統計数字など存在するのであろうか。

 金正日政権の政治は、あらゆるものが金正日のサインで動いていることは関係者周知のことである。従って、金正日イコール党、金正日イコール予算、金正日イコール軍、金正日イコール青年・婦人組織という具合に、すべてが独裁者の指示で動いているのであるから、そもそも社会主義的計画経済など必要なかったのだ。だから24年間も計画経済が消滅してきたのである。

 韓国「朝鮮日報」姜哲煥記者は、市場経済一掃の準備の噂が北で広まっている、と書いている(1月10日)が、北の治安当局が、昨年9月から市場の取締りを強化してきた経緯から見て、本気で計画経済をやる気なのだろう。

 

改革は、自己否定

 更に「社会主義的計画経済の優位性と生産の正常化と現代化を密接に結合」ということであるが、計画経済が構造的に駄目だから生産が非正常になったのに、現代化を結合することなど、理論としても現実にも出来ない相談だ。

 ここで言う現代化が具体的に何を指すのかわからないが、仮に中国の現状を指しているのだとすれば、生産過程で生産現場のことを知らない党機関の関与を排除しない限り、生産の正常化などありえない。

 中国が改革開放に移行する過程で、生産現場から党機関を排除するのに5年の歳月を要したことは広く知られた事実である。

 金正日と労働党員を生産工程から排除するということは、彼らの特権の剥奪となるから、自ら選択するはずもない。結局、どうなるかと言うと、「社会主義的自立経済の潜在力を余すところなく引き出して、先軍時代の総進軍速度を創出すべきだ」と観念論を述べざるをえなくなる。

 

先軍政治が経済破綻

 「金属工業は……人民経済の主要部門の生産潜在力を最大限に動員することに集中すべきである」「金属工場に電力と燃料を集中的に供給して更新済みの近代的な生産工程が大きな効力を発揮できるようにすべきである」と訓辞し、「電力、石炭、鉄道運輸部門では連帯的核心を起こして、人民経済全般の発展を強力に推進すべきである」と教えている。

 金日成時代もそうであったが、経済の分野別に、あれに力を注げ、これに集中せよ、と指示及び心構えを訓辞する。だが、北朝鮮の労働者はこんなことを知らないはずがない。問題はこんなところにあるのではない。

 先軍政治を行っている北朝鮮では、工業に即して言えば、電力と石油、資材、労働力、食糧などを最優先で軍に(軍需を扱う第二経済委員会に)供給せよ、ということである。金属工場に電力、燃料を集中的に供給せよ、と指示しているが、余った電力・燃料を金属工業にまわすということなのだ。

 北朝鮮で電力が決定的に不足していることは、随分前から広く知られている。地中に埋設された送電線の腐食で、大部分が地中に放電されていることにかなりの原因があるのだが、それはともかく、仮に金属工場に電力を供給できたとしても、他の工場に電力が不足したら、社会主義的計画経済は、その瞬間につまずいてしまう。

 北朝鮮経済の破綻(はたん)の主要な原因は先軍政治、もっと言えば核開発にある。人民生活を犠牲にし、国民の15パーセント(300万人)も餓死させ、核開発を進めているのは、挙げて金正日・国家国防委員長の責任である。

 

官僚主義が経済破綻の原因

 今ひとつ、経済を破綻させた理由に、党の官僚主義がある。例えば、石炭を採掘し、火力発電所に送って発電するためには、まず採掘作業に電力が必要になる。その他採炭に必要な労働力、それに付随するダイナマイトや工具などに加えて地上に石炭を搬出する労働力、貨車を乗せるレール、ワイヤーロープ、モーターなどが必要である。地上に搬出された石炭を消費地まで輸送するのにトラックのガソリンや、鉄道輸送なら貨車の確保が必要だ。

 石炭を、採炭から消費者まで届けるのが計画経済だと誰かが計画立案・推進しなければならない。この過程でどこか1ヵ所手順が狂うとすべてが止まってしまう。補修するための手続きで実権を握っているのは各級機関の党官僚である。

 もう少し具体的に言うと、石炭を地上に搬出する貨車を引くワイヤーロープが破損し、新しく補充しなければならなくなったとき、現場責任者の判断で購入はできない。工場、郡、県、中央の党責任者のサインが必要で、モノによっては金正日のサインを必要とする。その間採炭作業は止まったままである。

 社会主義的計画経済とは、これと同じことが生産の全現場で起きているのだ。自由経済に比較したらこれほど非能率、非経済的なものはない。だから社会主義が国民に食わせることが出来なくなり、破綻したのである。

 米オバマ大統領は就任演説で「米国は戦争中だ。暴力と憎悪のネットワークに対する戦いである。一部のものの強欲と無責任の帰結であり、厳しい選択をし国家として新しい時代に備えるのを集団で怠ったせいでもある。住宅は失われ、雇用はなくなり、事業所は閉鎖されている。われわれの医療はあまりにも高くつき、学校は多くの期待を裏切り」とアメリカの現状の一部に率直に触れ、改善の方向を示している。

 北朝鮮の「社説」の執筆者たちは、いまさら何を言うのか、という思うほど、この期に及んでも、なお社会主義的計画経済の何たるかを知ろうともしていない無責任極まりない人たちと言わざるをえない。

 社会主義的計画経済への復帰は、市場経済が支配階級に脅威を与えつつあることの反映であろうが、それにしてもブレは酷いものである。

 しかし、筆者は今回の計画経済登場事件は、事件には違いないが、個人独裁の実態は変わらない。前にも触れたが計画経済を潰したのは将軍様である。24年が経過してそれも行き詰まった。また社会主義的計画経済などと言い出したのも将軍様である。

 たとえて言うなら、独裁社長が、株式会社を勝手に有限会社にして、困難に直面したから、また株式会社に戻してみよう。しかし会社の実権は変らず独裁社長が握っている、というものだ。多分、市場は今までのようにしぶとく復活するであろうし、幹部の息子達は益々金儲けをし、賄賂がより公然と幅を効かし、社会秩序はいっそう崩壊に向っていくと思われる。

 

日本の別な顔が……

 「社説」では、日本を完全に無視している。なぜ無視しているのかを考えると、金正日政権の思惑が透けて見えてくる。

 金正日政権の核開発する表向きの理由は、「アメリカの核に対抗するため」というが、核を保有するときは皆同じことを言う。昨年本欄でも触れたが、中東のかつての被抑圧民族の指導者に共通して見られる心理現象は、核を手にしてかつての宗主国を屈服させたいという抑えがたい欲望が背後にあることだ。金正日政権も例外ではない。

 拉致が解決しないと非難する人がいるが、国際的常識の通じない金正日政権に、どんな手立てがあるのだろうか。しかも背後には怨念が隠されている。粘るしかないのだ。

 だが、6者協議の中で、日本がアメリカの言いなりにならなかったのはショックだったと思う。米朝で決めた核検証の口約束を、日本の「文書化要求」で空中分解させたのがそれだ。この事実を金正日政権の側から見ると、従来の日本と違う顔が見えているはずだ。

 北朝鮮がアメリカに対して、核保有容認を求めれば求めるほど、日本国内の核保有論が台頭するという構造になっている。日本がミサイルの頭に搭載できる核を製造するのは、技術的にそれほど難しいことではない。

 鹿児島県種子島で発射されているミサイルの精度も回を追うに従って確実さを増してきている。米・中・朝3政権にとって今回の金融危機を含めて、日本の存在は、極めて注目すべきものになりつつある。だから金正日政権は日本を無視したのだ、と私は「社説」を読み終えた。

更新日:2022年6月24日