食い入るまなざし

―釜石・拉致被害者写真展に参加して―

佐藤勝巳

(2008. 3. 3)

 

 岩手県釜石市・市民会館での拉致被害者写真展開会(2月23日)挨拶のときである。しゃべっている間にだんだん興奮し、声が詰まりそうになってきた。

 釜石市の人口は最高時には9万人余。現在は新日鉄の合理化や少子化などによって4万人余と人口が半減している、深刻な過疎化が進んでいる地方都市の一つである。

 開会挨拶をしている私の目の前にいるのは、「救う会岩手」の会員を中心に地元のボランティアの実行委員会の皆さん数名と、取材に来ているNHKと「岩手日報」の記者だけである。私の胸が詰まりそうになったのは、こうして人口4万の釜石市で拉致被害者写真展が開催され、報道2社のカメラマンが、カメラを回し、写真を写してくれていることである。

 私の頭の中には、10年前の東京有楽町での署名運動の記憶が甦っていた。当時、通行人の殆どの人がビラを受け取ってくれなかったし、報道関係者も取材に来なかった。われわれはそんな状態の中で救出運動を、心ある全国の仲間たちと金正日が拉致を認めるまでの5年間、続けてきた。

 それなのに今は、地元大手紙「岩手日報」とNHKが取材に来ている(NHKは昼のニュースで写真展を報道した)ではないか。そう思った瞬間言葉が出なくなりそうになった。この時点ではどれくらいの人が入場するか分からなかったが、日本は確実に変わったと思った。

 岩手県の県都盛岡市と釜石市は100キロ余離れている。車で2時間は十分にかかる。2月22日夕方盛岡市につき、「救う会岩手」熊谷会長の車で、6月21日盛岡市で開催される「救う会岩手」・政府拉致対策本部・岩手県3者主催の拉致救出「国民大集会IN岩手集会」のお願いと打ち合わせに、「救う会」全国協議会会長として県庁を訪問した。

 担当部長、同課長2名と具体的な打ち合わせは、思ったより時間がかかり、結果として申し訳ないことに釜石の写真展実行委員会の皆さんを、夕食のお膳を前に1時間も待たせることになってしまった。

 懇談の中で実行委員の一人から「帰国して来られた人たちが、写真展に来て説明して頂けないのですか」と素朴な質問が出た。 後で触れるが写真展会場でも同じような質問が出てきた。

 実行委員長は、元県の振興局長、事務局長は「救う会」の会員で中学校の教師OB、現職の市会議員、女性ボランティア団体の会員さん複数。若くはないが、この人たちの手で、写真展の準備が完了したという。また、「救う会」と「特定失踪者調査会」との違いなどにも質問が出た(22日釜石市に宿泊)。

 いよいよ写真展会場に人が来だした。主催者が声を掛けた人たちであろう、受付の人たちが深々と頭を下げて御礼を言っている。間もなく私のところに副市長が案内されて来た。地元選出の県会議員が、市会議員が、次々と紹介される。

 名刺交換が終わると地元ケーブルテレビの取材が始まった。 

 「最近、拉致について関心が低下しているのではないか。どう思いますか…」

 私は「そんなことはない。むしろ関心は高くなっていると思う。金正日が拉致を認めるまでの5年間は、本当に日本国中、何処に行って誰も相手にしてくれなかった。人口4万人の釜石市で現に写真展が開かれている。こんなことは10年前想像も出来なかったことだった。 

 確かに拉致された5人が帰ってきたとき、その家族が帰国してきたときに比べたら、関心は低下しているが、あれは例外である。教科書から『従軍慰安婦』問題が消えて、拉致問題が取り上げられるように変化している 。

 何よりも政府が拉致解決を『最重要課題』として取り上げた。私の目から見たら静かに『革命』が進行しているような気さえする」と説明をした。

 受付の人が「毎日新聞の方です」と案内して来た。地元代表と写真を見ながら一緒に歩いて欲しいと注文。会場のつき当たりに行った時、60代の3人連れの婦人から地元代表に「どうして5人だけ帰れたのですか」と質問してきた。

 代表は、「この人に」と言って私の前に案内してきた。

 私の「北に害を及ぼさないと判断した人を帰したのではないか」という推測を語ると、すかさず「帰されない人たちは北朝鮮にとって困るから帰さないということですか」

 「多分…」

 「だったら日本政府はどんな方法で取り返すのですか」

 私は、「皆さんはどうしたら取り返せると思いますか」と言ったとき、受付の人が急ぎ足で「市長が来ましたので挨拶を…」というので対話は中断した。

 熊谷会長と昼食をとり、会場に帰ってきたら、やや緊張気味の女子中学生数名が写真展会場に入っていった。

 釜石市を出発する時間が迫ってきた。盛岡駅前に「救う会岩手」の役員たちが待っている。後ろ髪をひかれる思いで、釜石市民会館を後にした。後で知ったことであるが、この日の入場者は500人以上であったという。釜石市人口の千分の一強である。 

 帰りは遭難するのではないかと思ったほど猛吹雪の春一番に襲われた。しかし、私の心の中は写真に食い入るように見る人々の目…われわれはあのまなざしと共に戦わなければならない。「全国には戦友がいる。戦える」と勇気が溢れていた。

 釜石の岩切さん、金子さんボランティアの皆さん、勇気を与えて頂き本当に有難う御座いました。6月21日盛岡の集会も宜しくお願いします。また元気でお会いしましょう。

更新日:2022年6月24日