「偉大な反面教師様」

(2017.5.18)岡林弘志

 

 いろいろな面で最悪のタイミングではないか。周辺国は、様々なシグナルを北朝鮮に送っているにもかかわらず、金正恩・朝鮮労働党委員長は「そんなことは知ったものか」と言わんばかり。中(長)距離弾道ミサイルを空高々とぶち上げた。狙いは、米朝協議に米国を誘い出すことにありそうだが、「恫喝」によってしか、意思表示ができないようだ。北朝鮮に情けは無用、「実利」に基づき、包囲網を強固にするしかない。金正恩はそれをあらためて教えてくれた。

 

「米本土はわれわれの打撃圏」と破顔大笑

 

 「米国が我が国を傷つければ、史上最大の災難を免れることはできない!」(5・14)。金正恩は、夜明け前のミサイル発射の現場に立ち会い「トランプがいくら脅したって、怖くはないぞ」と言わんばかり、破顔大笑してみせた。「このミサイルは、「大型核弾頭の搭載が可能な新型地対地の中長距離戦略弾道ミサイル『火星12』」(5・15朝鮮中央通信)だそうだ。

 

 「新型」と言うだけあって「予定された飛行軌道に沿って高度2111.5キロまで上昇、787キロの先の公海上に設定した目標水域を正確に打撃した」(同)そうだ。昨年6月に発射した中距離弾道ミサイル「ムスダン」は、高度1400㎞に達した。それより数段、性能が向上したのは間違いない。韓国国防省の分析ともほぼ合致している。大陸間弾道弾まではあと一歩だ。

 

 ちなみに、この高角度での発射は「ロフテッド軌道」というそうだ。落下する距離が長く、しかも速度が増すので、迎撃が困難になる。さらに、今回の「火星12」を通常の角度で発射すれば、5000㎞を越える(韓国国防省)。グアムは楽々この範囲内に入る。発射地点について、朝鮮中央通信は言及していないが、米偵察衛星などによると、北朝鮮北西部の平安北道・亀城のミサイル発射基地だった。

 

 「世界で最も完成された兵器体系は決して米国の永遠の独占物にならず、われわれも相応の報復手段を使える日が来ると確信する」(朝鮮中央通信)。金正恩は、前日の組み立ての段階から、現場に立ち会ったようで、発射成功を確認して、意気軒昂だ。

 

 例によって、労働新聞は、3ページにわたる大特集を展開(5・15)。一面は、「主体的核強国建設史に特記すべき偉大な事変(大変な出来事)」と3行にわたる長い見出しを付け、飛行経路を示すらしい地図を前に、金正恩が大笑いする写真が大々的に掲載されている。それに発射の瞬間の2枚の写真。2面は、全く同じ見出しを繰り返し、発射の瞬間をいろいろな角度から撮った写真特集。3面は、発射台に設置する前のミサイルを金正恩が視察する写真などだ。

 

大統領就任5日目のミサイルの”祝砲”

 

 このミサイル発射に最も衝撃を受けたのは、韓国の文在寅・大統領だろう。とにかく、就任からわずか5日目。初めての日曜日の朝。長い反朴運動、選挙が終わり、おそらく久しぶりのゆっくりと朝のまどろみを楽しんでいたに違いない。国家安保室長からの緊急電話がそれを破った。あまりに乱暴な大統領就任の祝砲だった。

 

 首相は内定したが、まだ、国会の承認が済んでいない。他の閣僚の人選も始まったばかりだ。それでも、初めての国家安全保障会議(NSC)常任委員会を招集せざるを得ない。出席したのは、朴槿恵政権時代の首相をはじめ、外交部、国防部、統一部の各長官。それに国家情報院長、国家安保室長らだ。

 

 「国連安全保障理事会の決議に明確に違反しているだけでなく、朝鮮半島はもちろん国際平和と安全に対する深刻な挑戦行為だ」。文在寅の表情は険しかった。同時に、「軍は堅固な韓米同盟を土台に、いかなる軍事挑発にも対応できるよう徹底した防衛態勢を維持すべきだ」。対応に怠りないよう指示した。

 

 ご存じの通り、文在寅は選挙中、「当選したら、まず平壌へ行く」「北朝鮮は韓国の主敵ではない」と対北融和派であることを積極的に訴えてきた。要するに、南北対話をしようよと、外交的に孤立する北朝鮮にいわば救いの手をさしのべてきたのである。

 

「実利」最優先を教えてくれた?

 

 右手を差し出したら、頭をひっぱたかれた格好だ。韓国の保守派は「それ見たことか」と文在寅の甘さを批判している。実際に、北朝鮮が国連の決議を無視して、核ミサイル開発に突っ走る現状では、南北首脳会談とはいかない。持論の融和政策は、しばらくお蔵入りにするしかない。

 

 文在寅は、「米国にもノーといえる外交」が持論の一つだが、米韓同盟なしで、暴走する北朝鮮から国を護るという「実利」は追求できない。実際、大統領就任後、初めて電話した外国首脳は、米国のトランプ大統領だった。朝鮮半島の危機には最優先で協力することで意見を共にした。そして、最初の外遊はやはり米国、初の首脳会談を開くことになった。

 

 「北朝鮮が誤解を生じないよう、挑発に対しては断固とした対応をする」。文在寅は、大韓民国と国民を守るためには、そうせざるを得ないのである。そのためには、米国、日本との連携を強め、北朝鮮が暴走しないよう包囲網を強固にする以外にない。「同じ民族同士」という観念論、理想論、希望的観測では、国益を損なう。今回のミサイル発射は、「実利」を得るためには、「現実」に基づいた政策判断が不可欠であることを、あらためて眼前に見せつけた。

 

 また、今回のミサイル発射からは、金正恩が韓国を最優先の相手とは見ていないことがよくわかる。米国との関係ができれば、韓国は黙っていてもついてくる。それに、まずは一発かましておいて、対話・交流を許してやれば、喜んで「金のなる木」を担いで、平壌詣でにくる。そして、「開城工業団地」や「金剛山観光」を再開し、再び「北朝鮮のドル箱」の役割を喜々として果たす。それが韓国の”役割”と思っているのかもしれない。

 

 「反面教師」とは「見習い学ぶべきものとして、悪い手本、見本」(広辞苑)。これを「やっていることは間違っているとわざわざ悪いことをして教えてくれる」と少し広く解釈すれば、金正恩は反面教師だ。「偉大な反面教師様」だ。韓国という国家を運営するうえにおいて「実利」がいかに重要かを、文在寅に教えてくれた。

 

 ついでにいうと、内政においても、文在寅に期待されているのは、「実利」優先の問題解決である。分断された国論の融和を図り、国民生活の向上を図るには、韓国経済の宿弊とも言われる財閥偏重を是正し、貧富の格差を縮小する。そして、政治や経済をゆがめる要因である強大な大統領権限を分散する。文在寅の言う「宿弊」の精算だ。

 

 文在寅は、選挙中、「雇用大統領になる」ことを繰り返し強調した。雇用は、国民の最大関心事だ。その目玉として、打ち出したのが公共部門、すなわち警察官、消防士、福祉関連の公務員を81万人雇用するという。確かに、雇用を増やす手っ取り早い方法ではある。しかし、これらは生産部門ではない。税金を使うが、直ちに税金の上がりが増えるわけではない。

 

 財源は、5年間で21兆ウォン(2兆1千億円)というが、これらは財政赤字の直接の原因、財政の硬直化を招く。教育や福祉にしわ寄せが来る可能性が高い。当面は「アメ」に見えるが、中長期的には経済の停滞を招くのではないか。どう見ても「実利」に結びつくとは思えない。経済運営でいかに「実利」を貫けるか、政権の成否がかかっている。

 

苦虫をつぶした表情の習近平

 

 今回のミサイル発射は、中国の習近平・国家主席も頭に来たに違いない。自らが「今年最大の外交行事」と力を入れ、準備してきた「一帯一路」国際フォーラム(5・14、15北京)の開幕のハレの日だった。先の初めての米中首脳会談(4・6)の時も、北朝鮮はミサイルを発射している。「あの若造が、またやりやがった」。苦虫をつぶしたような顔が目に見えるようだ。

 

 このフォーラムは、中国が提唱するシルクロード経済圏構想という壮大なスケールの計画を発足させるに当たり、あらためて世界に大々的にアピールする行事だった。130カ国以上が参加、29カ国は首脳が顔をそろえたのだから豪勢だ。まさに中国、習近平の威信をかけた一大イベントだったのである。

 

 「一路一帯構想は、平和で安定した環境がなければならない」。習近平は開会演説で地域の安定を強調した。自らの南シナ海での膨張政策は何だと言いたくなるが、それはともかく、この日の朝発射した北朝鮮のミサイル実験が念頭にあったのは間違いない。

 

 しかも、このフォーラムには、北朝鮮にも参加を求め、キム・ヨンジェ対外経済相が顔を見せていた。中国としては、米国から厳しい対北経済政策の実行を求められる中、せめて国際会議の場からは外さない、対話は重要と考えているというメッセージを送ったのかもしれない。しかし、こうした心配りは足蹴にされた。

 

 金正恩は最高実力者になってからすでに5年が過ぎたが、未だに隣の中国へ行っていない。父親の金正日は中国が嫌いだったが、その息子も「中国を信用するな」という遺訓(?)を信じているのだろう。中国は命綱である原油の供給を止めない配慮をしているが、金正恩は恩に着ることはない。

 

 中国は、南北が統一して、在韓米軍が国境まで来ることを恐れている。緩衝国家である北朝鮮を見放すことはできない。北朝鮮は中国の足下を見ているのである。核ミサイルの開発を続けても、致命的、徹底した制裁を加えることはできないと高をくくっているのだろう。ここでも金正恩は、北朝鮮がそういう国だということを教えてくれる「反面教師」なのである。

 

足下を見られたトランプ政権

 

 「会うことが適切なら、当然会うだろう」「会談は栄光なことだ。ニュース速報になる」(5・1)。トランプ米大統領が、金正恩との会談に前向きともとれる発言をして、2週間。その答えが大陸間弾道弾に限りなく近いミサイル発射だった。トランプは、ブームバーグ通信のインタビューで、心が広いところを誇示したかったのか、軍事的な脅しが効いて、北朝鮮が喜んで飛びついてくると思ったのか、言葉は極めて軽い。

 

 トランプ政権は北朝鮮問題を「最重要の外交課題」と位置づけた。情報当局の話を聞いて、北朝鮮の核ミサイルが現実の脅威になり得ると判断したのだろう。実際に、過去最大の米韓合同軍事演習が終わった後も、原子力空母カールビンソンを日本海に派遣、本来秘密であるべき原子力潜水艦を近海に派遣したことまで公言した。

 

 「軍事をふくめたあらゆる選択肢がテーブルの上にある」。トランプ政権の首脳は繰り返し強調している。オバマ政権ではかねてなかった軍事力の誇示を続け、場合によっては攻撃も辞さないぞと脅してきた。しかし、今回のミサイルは、そんな脅しには屈しないぞ、怖くはないぞと表明したことになる。

 

 おそらく、北朝鮮は米国がそう簡単に先制攻撃するわけがないと高をくくっているのだろう。もし米国が攻撃すれば、軍事境界線近くに配備してあるロケット、ミサイルが一斉に韓国のソウルと米軍基地に飛んで行く。第一撃だけで、5,60万人が犠牲になるという推計もある。当然在韓米軍、家族にも被害が出る。同時に、在日米軍基地にもミサイルが飛んでくる。

 

 北朝鮮にそれ以上の継戦能力があるとは思えない。そして、金正恩が生き延びる可能性も少ないだろう。しかし、北朝鮮による第一撃による被害は、韓国や日本を大混乱の渦に巻き込む。そう簡単に先制攻撃はできないのである。トランプが初めて軍事力を行使したシリア軍の基地攻撃のように、一方的に被害を与えるという図式にはならないのである。

 

 今回、トランプは軍事力を誇示したが、韓国在住の米国人に避難勧告は出さなかった。北朝鮮は、本気で攻撃する気はないと読んだのだ。金正恩は、自分の生命以外何を失おうとかまわない。人民が飢え死にしようと、失って困るものは何もない。北朝鮮はそういう始末のわるい国なのである。

 

 トランプが考えるように、北朝鮮は簡単に対話には出てこない。核が”担保”されれば、出てくるだろうが、周辺国は、貢ぎ物をさせられるなど、利用されるだけだ。

 

米国が膝を屈するまで突っ走る

 

 そして、自分が納得するまで核ミサイルの開発を続ける。米国が俺が悪かったと、北朝鮮が核保有国であることを認め、独裁体制も認める、朝鮮半島は好きにしてくれ、赤化統一しても一切口を出さないというまで、息を詰まらせても突っ走るのである。

 

 今回のミサイル発射は、そうした北朝鮮の究極の目的、本性を世界に向けて知らしめたのである。そういうことを教えてくれたということで、金正恩は「偉大な反面教師様」なのである。

 

更新日:2022年6月24日