やはり不安でしようがない

 

岡林弘志

(2017.3.23)

 白髪の混じったブルドッグに肥満のスピッツが吠えかかる――。愛犬家には、怒られるかもしれないが、立て続けの北朝鮮のミサイル発射などはそんな風にも見える。「すべての選択肢がある」というトランプ政権はどう対応するか。暗殺された金正男の家族は、米国に移ったといううわさもある。金正恩労働党委員長は、邪魔者を消し、威勢のいいところも見せている。しかし、不安という影が色濃くまとわりついて離れない。

 4発同時発射に大喜び

 「同時に発射された4発の弾道ロケットが、まるで航空サーカス飛行隊が編成飛行をするかのように、同じ姿勢で飛んでいく」(3・7朝鮮中央通信)。金正恩がミサイル発射を指揮したときの喜びの言葉だ。アクロバット飛行に例えるなど、なんとも無邪気な感じもするが、とにかく大喜びなのがよくわかる。

 確かに、移動式発射台から、一挙に4発のミサイルが空に向かって飛んでいく朝鮮中央テレビの映像は、かなり衝撃的だ。ミサイル技術の格段の進歩を物語る。そして、金正恩は「朝鮮人民軍戦略軍は党中央が命令さえすれば即時即刻、火星砲ごとに敵殲滅ができるよう準備をぬかりなく」と命じた。

 このミサイルは、韓国国防省の分析によると、スカッド(射程500㎞)の射程を伸ばした「スカッドER」(射程1000㎞)のようだ。今回の4発は、北西部の東倉里付近から発射され、ちょうど1000㎞飛んで、日本海に落ちた。このうち、3発(?)は、日本の排他的経済水域(EEZ)に着弾、1発は能登半島からわずか200㎞しか離れていなかった。

 「訓練には、在日米帝侵略軍基地を打撃する任務を持つ人民軍各火星砲兵部隊が参加」(同)。北朝鮮が、在日米軍が標的と明言したのは初めてだ。もっとも、一旦ことあれば、北が在日米軍基地を狙うのは既定路線だ。この際、日本も脅かしておこうという思惑もあったのか。

 それから2週間。再び、金正恩の破顔大笑がテレビに映し出された。新型の大出力エンジンの地上燃焼実験が成功した(3・19)という。わかりやすく言うと、大陸間弾道弾(ICBM)を飛ばすためのエンジンができたということのようだ。金正恩は「これがどんな意義を持つか、全世界はすぐに目の当たりにするだろう」と意気盛んだ。

 北朝鮮は、これまでに中距離弾道ミサイルや自称「人工衛星」の発射には成功しているが、長距離、大陸間弾道ミサイルと銘打っての実験はしていないようだ。今回の実験で、米国大陸にまで届くミサイルが現実味を帯びてきたことになる。

 ミサイルでの恫喝が”藪蛇”に

 もちろん、北朝鮮が恫喝する主たる相手は米国だ。トランプ政権の誕生で、しばらく様子を見ていたが、簡単には協議の場には出てこない。日米韓の連携を強化する姿勢が明らかになり、これ以上我慢ができず、ここは脅すしかないと考えたのだろう。20日ほど前、北朝鮮がいう新型の中距離弾道ミサイル「北極星2型」を発射、「成功」した(2・13)ばかり。

 また、北朝鮮がもっともいやがる米韓合同軍事演習が3月から始まっている。昨年と同様、こっちも黙っていないぞ、というところを見せた。しかし、昨年、北朝鮮が核実験・ミサイル発射を頻繁に行った結果、今年の演習は「史上最大」の規模になった。昨年は、過去最高の規模だった。慣例では今年は小規模になるはずだったが、さらに強化された。

 米海軍の原子力空母「カール・ビンソン」(爆撃機24機搭載)が初参加、ステルス戦略戦闘機F35B、戦略爆撃機B1Bも加わる。さらには、米海軍特殊精鋭部隊シールズも参加する。シールズは米軍最強の工作部隊、2011年のオサマ・ビンラディンの暗殺を実行したといわれる。昨年の米韓演習では、金正恩を狙う「斬首作戦」の訓練も行われたと、北が強く非難したが、この実戦部隊となるのがシールズである。

 「すべてのオプションがテーブルの上にある」。レックス・ティラーソン国務長官は、今月15~19日に日本、韓国、中国を歴訪、北朝鮮に対する武力行使を否定しなかった。さらに「(オバマ政権の)戦略的忍耐政策は終わった」と明言した。「米韓も北を刺激しないように」とクギを刺す中国に対して、対北政策を一層厳しくするよう求めた。大型エンジンの地上実験に、トランプ大統領は「(金正恩は)極めて悪い振る舞いをしている」(3・19)と、不快感を露わにした。

 習近平の神経逆なで?石炭の輸入を停止

 中国も北朝鮮の相次ぐ核・ミサイル開発にゴウを煮やしているのは間違いない。中国が発表した北朝鮮の石炭輸入禁止(2・19)に現れている。「国連安保理決議による今年の輸入額がすでに上限に近いため」(中国商務省)と説明しているが、直前のミサイル発射が引き金になった。「藪蛇」だ。

 北朝鮮にとって、中国への石炭輸出は、最大の外貨獲得手段になっている。外貨収入の4割近くを占める。2016年は11億8900万ドルだった。これに対して、昨年の制裁で年間4億ドルまでと厳しく制限した。今年は、まだ2ヶ月しか経っていないのに、すでにその額に達しつつあるという。これも不快感の表れだ。

 慌てた北朝鮮は、李吉成・外務次官を北京に派遣(2・28)、王毅外相らと会談した。輸入禁止解除などを要請したのだろうが、内容は公表されていない。「友好関係を発展させる」ことで一致と通り一遍、当たり障りのない内容が公表されただけだ。北朝鮮にとって成果がなかったのだろう。東北三省は、独自に取引しているともいわれるが、そう大きな額にはなりそうもない。

 今回の大出力エンジンの実験は、さらに中国の神経を逆なでしたはずだ。朝鮮中央通信が実験成功を発表した日、北京では習近平国家主席がティラーソン米国務長官と会談していた。その前日には、米中外装会談で、中国側は、米韓軍事演習が北を刺激していると指摘、北に対して厳しい認識を示す米国に「対話による解決」を強く求めていた。

 習近平もその延長線上で、「デリケートな問題を管理し、両国関係を発展させたい」と、対北で勇み立つ米国をしきりになだめていた。ところが、金正恩は、そんなのは知ったことかとばかりに、大量破壊兵器の開発実験をぶつけた。これ打破説得力はなくなる。習近平の苦虫をつぶしたような顔が目に浮かぶ。

 そういえば、最近、金正恩が基本路線として掲げた「並進路線」も影が薄くなっている。これだけ核・ミサイルに国力を費消すれば、民生経済を活発にする余力はない。また、核・ミサイル開発は外交的孤立をさらに深刻にする。さらに、金正男暗殺事件は、北朝鮮の異常さをあらためて世界に印象づけた。

 金正男の家族は”安全な国”へ

 「私の名前はキム・ハンソルです。私の父は数日前、殺されました」(3・7)。暗殺された金正男の長男が話す40秒の動画が、ユーチューブで流された。「私は朝鮮籍で金ファミリーの一人です」「いま、母と姉妹と一緒にいます」「もうすぐ状況がよくなることを望んでいる」などと話した。

 この動画を流したのは、「チョンリマ(千里馬)民間防衛」という初めて聞く団体。動画には英語と韓国語の声明がついていて、金正男の家族から保護を求められ、家族3人を移動させた。それには「オランダ、中国、米国」と「国名を明かせない国」の四カ国が支援、このうち、オランダについてはエンブレヒツ駐韓大使(北朝鮮大使も兼任)の名前を挙げて感謝している。

 この団体の実像は不明だが、金正男暗殺の後、家族の安全を図るために素早く動いたのは間違いない。また、それ以前から金正男一家とは接触があり、支援した四カ国の橋渡しもしたのだろうから、かなりの行動力を持っている。ところで「国名を明かせない国」がどこかだが、常識的に考えれば、韓国だろう。台湾という説もある。

 最も関心があるのは、ハンソル一家がどこへ移動したかだ。これまで、マカオのマンションに住んでいた。移動先は、身の安全が確保できる国でなければならない。様々な憶測が飛び交っているが、その実力を持っているのは米国だ。在韓国の脱北者団体代表が「米国」と言ったそうだが、可能性は高い。ついでに言うと、マカオからの出国には当然、中国の協力があった。

 韓国はどうか、完全な安全確保ができるか。苦い過去がある。金正日の2番目の妻の実姉の息子、李韓永(金正日の甥、金正男のいとこになる)は韓国に亡命していたが、1997年2月、ソウル郊外のマンションで、銃殺された。8ヶ月してようやく犯人が捕まり、北朝鮮の特殊工作員による犯行と判明した。李韓永は、韓国で金一族の内情を暴露した『平壌「十五号官邸」の抜け穴』などを出版、金正日の怒りを買ったと言われる。

 韓国には数百人の北朝鮮工作員が潜伏という情報もある。顔付きが同じで、韓国の地方の訛りを身につけて潜り込めば、見分けはつかない。脱北者を装って韓国に潜入、摘発された例もある。身辺の安全確保は容易ではない。また、対北融和路線の政権ができる可能性が高く、となれば、身辺がどうなるかは、全く不明だ。

 キムハンソルも狙われている

 キム・ハンソルの亡命先は、やがてわかるだろうが、この動画が広げた波紋は大きい。まずは、肉親が暗殺の被害者が金正男であることを認めたこと。それ以上に、なにか尾を引きそうな雰囲気がある。背景には、金正恩をなんとかしたい、いまの北朝鮮を変えたいという願いが周辺に渦巻いているからだろう。

 キム・ハンソル(漢字は金漢率?)は、1995年6月生まれ、誕生日が来れば21歳だ。平壌で生まれ、その後は金正男と共にマカオに住み、2011年にはボスニア・ヘツツェゴビナのインターナショナルスクールに入り、13年にはパリ政治大学に入学した。今年の9月には英国のオックスフォード大学大学院への進学が決まっていたが、中国当局が「暗殺の恐れがある」と忠告、断念したという。

 なかなかの優男(今時の言い方だとイケメン)、英語は流ちょうで、学歴を見てもなかなか優秀だ。それを裏付けるのが、2012年、フィンランドのテレビで放映されたインタビューだ。簡単な生い立ちや国際政治への関心を語っている。「韓半島を2つに分断しているのは政治的な問題だ。だから僕はどちらかの肩を持つことはしない」「(南北)統一を夢見ており、いつの日か北朝鮮に戻って人々の暮らしを楽にしたい」「北の福祉に寄与したい」――。

 当時、17歳か。非常にしっかりしているし、祖国に対しても、かなわない夢であろうが、一定の認識を持っている。そして、金正恩については「どうして独裁者になったのかわからない」と話した。当然、「独裁者」という認識だ。これらの発言は、金正恩の怒りを買い、やはり暗殺リストに載ったともいわれる。滞在先の国では身辺警護を厳しくした。金正男は政治的な発言をしないよう注意したともいわれ、その後、公に姿を現すことはなかった。

 それだけに、4年ぶりの登場は、父親が暗殺された直後でもあり、注目を集め、ユーチューブの動画の再生回数はうなぎ登りだ。脱北者や外国にいて、いまの独裁体制を崩壊させたいと願う勢力に取ってはとっては、好ましい存在だ。しかし、本人も金正男も「権力の世襲」はおかしいと言っている。シンボルになるというような可能性は少なそうだ。

 ただ、金正恩にとっては、金正男という目の上のたんこぶを取ったのに、またまた疑心暗鬼のタネが生まれたことは間違いない。独裁者にとって、ここまで来れば安心、という安息の場所はないのである。

 東南アジアの”一大拠点を”失う

 金正男暗殺から1ヶ月が過ぎた。金正恩としては独裁の邪魔になる分子を除去したのだろうが、国際的に見ると、あまりにもマイナスが大きい。外国で暗殺事件を実行したことで、北朝鮮が「テロ国家」であることを、あらためて世界に知らしめてしまった。金正男は、政治的な意欲はなく、国内に支持勢力もない。それでも、目障りだと実の兄を暗殺した。金正恩の冷酷、残忍な性格を世界に印象づけた。

 トランプ政権は、北の相次ぐ核・ミサイル実験を見て、再び「テロ支援国家」の指定を検討しているが、今回の暗殺はその大きな裏付けになる。米朝は、3月からの米韓合同軍事演習を前に、米国内で接触する予定だった。北の崔善姫・外務省アメリカ局長に米国入国のビザを出したとも言われるが、接触はキャンセルになった。北が望む米朝協議を自らつぶした格好だ。

 また北朝鮮は、マレーシアという東南アジアで最も貴重な拠点を失うことになる。両国は、1973年に国交樹立、2003年に北の大使館設置、09年からはビザなし渡航を実施、世界で唯一だ。このため、千人近くの北朝鮮労働者が出稼ぎに行っている。

 もちろん、情報関係者や工作員も混じっている。今回の事件で、マレーシア政府が北朝鮮の工作機関や高麗空港職員を犯人として指名手配をしたことでよくわかるが、クアラルンプールは、東南アジアに展開する工作活動の最大のアジトになっていた。

 白昼堂々、国際空港での暗殺はまさに傍若無人、マレーシア政府は主権をないがしろにされ、さらに事件捜査を巡って、非難されるなど踏んだり蹴ったりだ。まずは、駐在の姜哲大使を退去処分に。また、労働者150人ほどが不法滞在で、拘束され、国外退去という報道もあった。

 これに対して、北朝鮮は国内にいるマレーシア人12人を出国禁止にした(3・7)。北朝鮮得意の「人質作戦」だ。このため、マレーシアも同様に北朝鮮人を国禁止にした。しかし、人命が軽い北朝鮮にとっては、たいした痛手ではない。マレーシアは、人質を帰国させるため、妥協を強いられそうだ。

 しかし、マレーシアが今回の事件により北朝鮮の正体を知ったことで、北朝鮮はこれまでのような自由な振る舞いはできなくなる。出稼ぎも先細り、また、ビザの発行も復活させ、審査も厳しくなるはずだ。北朝鮮は東南アジアにおける工作活動、外貨稼ぎの一大拠点を失うことになる。

 不安のタネは次々生まれる

 大量破壊兵器の開発と金正男暗殺は、金正恩独裁体制の生き残りを目指したものだ。しかし、こうした動きは、一時的には体制の強化になるだろうが、相手の強硬姿勢を誘い、外交的孤立を深める。そして、「元帥様」はさらなる不安にとらわれる。藪をつついたら蛇が出る。蛇どころでなく、大蛇、ゴジラが出てくるかもしれない。しかも次から次へと。

 国内では、金正男暗殺の口コミ封じに躍起なようだ。しかし、いつまでも人の口に戸は立てられない。一方で、金正恩の周辺では、保身のため他の命を奪ってもやまない忠誠ごっこが熾烈を極めている。なんとも、おぞましい。体制が安定する、最高指導者が安心して眠れる日が来ることはない。

更新日:2022年6月24日