大韓民国建国60周年を祝す
佐藤勝巳
(2008. 8.15)
大韓民国は建国60周年を迎えた。慶祝申し上げる。
日本では韓国の建国60周年に関心を持つ人は少ないようだが、私は次の視点から強い関心を持っている。
自由民主主義体制の選択
第二次世界大戦後、韓国と日本はアメリカ合衆国の支配下に組み込まれ、自由民主主義体制を選択させられた。この事実が、共産主義と対峙する東アジアの動向を決定づけたことは周知の事実である。
北朝鮮も同じく建国60年を迎えるが、この国は建国の1948(昭和23),年当時、ソ連の影響下で共産主義の体制を選択させられた。
60年後のいま金正日政権は、国民を餓死させ、政治犯強制所に象徴される言語を絶する人権蹂躙を続けている。中国への出稼ぎ・売春、韓国などへの亡命者が増えていることは、世界周知の事実。いまさら、体制の優劣を論ずるなどナンセンスである。
韓国のこの60年を振り返ると、建国2年後に金日成の侵略にさらされ、以来、共産主義との戦いに終始、その状況は今も変わっていない。この点が、同じ自由民主主義体制といっても、日本とは事情が異なっていた。
昔、韓国が北朝鮮に併呑されたら大変という意味で「釜山赤旗論」なる言葉が使われたことがあった。しかし、日本人の多くは、昔も今も韓国が北朝鮮に併呑されることなどあり得ない、と漠然と考えている。
私も同じように願っているが、願いと現実が一致する保証はない。今でも、併呑の危険性は捨てきれないと思っている。あの米国産牛肉輸入反対の「蝋燭デモ」を見るがよい。朝鮮労働党の指導なくしてあんなことは起きないと判断、対処できない李明博政権の現状が危機でなくてなんだろう。
韓国にとって「7・7宣言」は何だったのか
盧泰愚政権成立(1988年)以来、この20年間の韓国の北朝鮮に対する宥和政策は、金正日政権のファッショ独裁、危険極まりない極道政権という認識を、韓国の国民から奪ってしまった。つまり思想的武装解除が完了したのではないか、ということだ。
ただ私は、金正日政権も革命第一世代に比べると、あらゆる意味で駄目になってきていると思う。また個人独裁政権は、情勢を客観的に見ることが出来ない致命的な欠陥を持っている。
韓国にゲリラを投入すれば、韓国民が立ち上がるという主観主義の典型ともいえる1968年の青瓦台襲撃事件、同じ年の韓国東海岸への100余名の武装ゲリラ侵攻事件、ラングーン事件など枚挙にいとまがない。原因は物事を独裁者の気に入るようにしか解釈できない超主観主義による「革命行為」つまりテロである。
いまひとつは、北朝鮮経済が外国からの援助なくしては生きられない、従属経済構造に陥って久しい。
韓国が金父子独裁政権に併呑されなかったのは、韓国の努力も勿論あるが、独裁体制の主観主義から来る国際的孤立、核開発(軍事)、独裁者の浪費による経済破綻に助けられた側面があったことを見落とすことは出来ない。
韓国に本当の「反共」はあったのか
他方、韓国の盧泰愚政権は、ソウル五輪直前の1988年7月7日にそれまで「敵」であった北朝鮮を「パートナーにする」と発表したのが「7・7宣言」である。
あの中身も大問題なのだが、それと同程度に驚くべき反応が韓国社会に起きた(少なくとも私の目にはそう映った)。
「現代財閥」の創業者鄭周永会長が北朝鮮を訪問するのが1989年である。すると同年私に「韓国人が、北朝鮮批判をしにくくなったから」と言って、韓国の右派勢力から、確か、3、4回ソウルに北朝鮮批判の講演会の講師に呼ばれていった記憶がある。
韓国社会が、左傾化して行ったのは、本ホームページで洪ヒョン氏の指摘した「ウィスキー水割り論」で説明がつくのだが、李承晩政権、朴正熙政権、全斗煥政権と反共政策が続いてきたのに「7・7宣言」で、どうして昨日までの敵が一夜にしてパートナーに変わったのか。
それなのに「7・7宣言」に対して批判らしい批判が出なかったのはなぜか。
更に、盧政権が出した「宣言」で、一転して北朝鮮批判がしにくくなる韓国社会とはどういう社会なのか。日本人には理解しにくいものである。
「ぶれの激しい政治」と言われると分かったような気になるが、朴正熙・全斗煥政権の20数年間、「日本人は共産主義(北朝鮮)に甘い」と韓国人に批判され続けてきた。
直近の20年は、佐藤は韓国のマスメディアなどから「極右」とレッテルを貼られるようになった。
私が変わったのではなく、韓国の政治が変わり、私の評価が変わっていったのだ。私の韓国認識の中には、悪魔である金日成父子政権の評価が変わっていくのは、結局のところ「目的のためには手段を選ばない」という共産主義(独裁政治)の恐ろしさを、米国までもが分かろうとしていない、という認識が私の中に確固として存在している。
韓国左派の自己認識
昨年末、韓国の左派は、大統領選挙で大敗を喫した。その左派が、僅かな期間でソウル中心街を支配する「蝋燭デモ」を組織できるのは朝鮮労働党の指導があるからだ。また、世界中見渡しても、米国産牛肉輸入問題でこんなに「付和雷同」して騒ぎを起こしているのは韓国をおいて他にない。
出鱈目な報道をする方もするほうだが、その扇動に載せられる方も載せられる方ということになる。
私が始めて韓国で、韓国の反体制(左派)の活動家に会ったのは1977年で、ソウル五輪の約10年前である。北朝鮮のことを聞きたいと言うから、私の認識や分析を素直に紹介したら「わが国の政府(朴正熙政権)と同じことを言っている」と驚かれたのに、こちらの方も驚いた。
彼らの基本的認識は、「権力や支配階級は悪」。誰が信用できるかと言うと「われわれの認識」「捉え方」だけが正しいという、日本の新旧左翼と全く同じ唯我独尊的発想であった。私は、このときの訪韓で彼らから実に貴重なことを教えてもらった。
韓国の反体制勢力にとって、朴正熙政権が共産主義を批判しているから共産主義は正しいに違いない、という認識に繋がっていた。そこに1988年の「7・7宣言」が出て、金正日政権の工作員が韓国内で地下活動できる範囲が拡大していった。
もともと韓国における共産主義との戦いは政府主導で、国民やマスメディアは「国策に従った」というもので「反共」が国民の自発的意思に基づく「思想」として定着していなかったという側面が強い。
論争なき方針転換
思想として定着していたなら、盧泰愚政権の北朝鮮に対する方針の大転換をめぐって(金日成父子政権の評価)韓国内で大論争が起きているはずだ。
しかし、起きなかった。なぜか。私はここが韓国現代政治史の最大の問題ではなかったかと見ている。
韓国の権力中枢部や情報機関の幹部たちは別にして、国民レベルの「反共」は血や肉として根づいていなかった、というのが私の仮説である。
金正日が亡くなったら、「神格化」など一夜にして吹き飛んでしまうことは、多分万人が認めるところであろう。「山送り」(政治犯強制収容所)という残虐な暴力があるから国民は「マンセイ・万歳」と言っているだけで、尊敬でも思想でもなんでもない。
全斗煥政権時代まで韓国における「反共」は、ソウルのヨイド広場で、数十万、いや百万人を越える「北魁糾弾○○集会」がしばしば開催されていた。
この集会と北の個人崇拝の「○○熱誠者集会」と内容は異なるが、集会に参加する大衆の心理状況に似たものはなかったのか。仮にそうだとすれば、こんなものが思想として定着するはずがなかろう。
「自主独立精神」の喪失
第二次世界大戦後、韓国は韓米安保相互防衛条約で、日本は日米安保条約で、米国に国家の安全を依存した。米国はアジアでの共産主義との戦いで、「同盟関係」維持に利益を見出していた。
金日成・金正日は絶えず南侵をうかがっており、米軍の韓国駐留なくして自由民主主義体制は守られなかった。
1950年5月の朝鮮戦争は「冷戦」を「熱戦」に変え、まる3年間朝鮮全土で戦争が続き、天文学的被害を生み出した。アメリカは、朝鮮戦争で5万人の青年の命を失い、10万人余の負傷者を出した。
韓国は1960年代後半、駐韓米軍を撤退させないため、韓国軍を延べ30万人ベトナムに派兵、5000人の戦死者、1万人以上の負傷者という犠牲を払った。韓米の血の同盟の上に立ってのベトナム派兵であったのだ。
日本は、第二次世界大戦後、主として憲法を理由に自国の安全保障と共産主義との戦いに、一滴の血も流してこなかった。われわれが享受してきた60余年の平和は、他国の犠牲の上に成り立っているもものである。
米国の核の傘の下で、日韓は国家の安全が保障され、経済繁栄に力を注いできた。反面、失われたものは、国家にとって最も重要な自主独立の精神、自主防衛の思想の喪失であった。
挙句の果て、血を流す可能性の最も低いインド洋での、国際テロとの戦いの一環である給油活動すらも放棄・撤退したのである。
他方で米国政府に対して、拉致救出が困難になるからテロ支援国家指定解除をするなと求めた。自分のやるべきことは放棄し、要求だけは行うという利己的な行動となって現われている。しかし、それを多くの国民は自覚していない。
米国への甘えを捨てよ
一部に、テロ支援国家指定解除は、「日本人拉致被害者を殺すことに繋がる」という趣旨の発言が聞かれる。
日本人が金正日政権に拉致されているのだから、これを解決する責任は日本政府であり、日本国民だ。米国政府でも米国国民でもないことは自明の理である。歴代の日本政府の救出態度こそが問題なのである。
ブッシュ政権は、テロ支援国家指定解除が、金正日政権の非核化に繋がり、ブッシュ政権の「利益に繋がる」と考えている。だから出鱈目な核申告を事実上容認する構えで、テロ支援国家指定解除の手続きに入ったのである。
われわれがやるべきことは、日本政府に対して、日本からの北朝鮮への送金停止、全輸出品目の禁止措置の実施を政府に求めるべきだ。日本政府が制裁強化に動き出すと、米国務省は、米朝の交渉が困難になるから、日本政府に初めて「待って欲しい」と言ってくる。
その時「米政府が目的を実現したいなら、『拉致解決に協力して欲しい』ということで、初めて対等な外交が出来る。行動の裏づけのない外交(救出)に成果を期待するのは無理な話だ。
断固として拉致救出の国家意思を具体的に表明し、実行することである。これは日本政府や国民の対米従属、若しくは甘え克服の厳しい意識改革の伴う、容易なことではないのだが。
相互に違いを認め合う
日本と韓国の二国間関係を見ていると、韓国政府は国内政治で何か困難が発生すると、竹島・教科書・慰安婦の三点を使って「反日」騒動をおこし、今回のように米国産牛肉騒動を処理する。矛を収めるときは「日本に負けない国力培養」のお決まりの台詞である。
私は「またか」と正直言ってとうんざりするが、一部の日本人には韓流と言って、浮ついている人達が確かにいる。だが、普通の日本国民は「うんざり」して本気で韓国に近づかなくなる。
しかし、最近、三点セットぐらいで苛立ってはいられないと思うようになった。06年秋、金正日政権が核実験をしたとき「釜山に赤旗が立っていたら」と考えたら背筋が寒くなったからだ。
北の核保有で統一されたら一番困るのは韓国人のはずだが、韓国が赤化統一されたら、わが国が金正日政権と国境を接することは安全上重大な危機に直面することは多言を要しない。小事にオーバーアクションし、大事を失うようなことがあってはならないと考えるようになった。
心ある韓国人と日本人に期待
私は、金大中・盧武鉉10年間の韓国での「反米」は、基本的には金正日政権の宣伝扇動に踊らされたもの(踊ったものにも責任がある)であると見ているが、韓国保守勢力の中にも米国に対する事大主義や甘えはないのだろうか。
日本・韓国とも自国の安全保障は、自国が責任を負うという確固たる意志を持つことである。日韓に共通している米国に対する過大な期待、甘えは目的意識的に克服しなければならない緊急の課題だと思っている。
持論であるが、日韓関係が良くなくて利益を得るのは、金正日政権と中国共産党である。関係を良くするためには、お互いに歴史認識や価値観を押し付けないことである。
誰の目にも明らかなことであるが遠くない将来、北朝鮮に重大な変化が起こるのは時間の問題となってきている。
韓国は、否応なくそれに対処しなければならない。建国60年を祝賀すると同時に、起こりうる激動に対応する気迫を、心ある韓国人と日本人に期待して止まない。