日韓交流の歴史豊かに――有田焼創業400年

田中良和
(2016.5.6)

 日本を代表する磁器のひとつ、佐賀県有田町の有田焼は今年、創業400年を迎えた。その記念の年、4月29日から5月5日まで、有田町では恒例の有田陶器市が開かれ、掘り出し物を探す多くの焼き物ファンで賑わった。5月4日には、町内の陶山神社で、有田焼の陶祖とされる李参平をしのぶ「陶祖祭」が開かれ、韓国の農楽隊が演奏を披露して日韓交流を深めた。

 

日本初の磁器焼成

 

 李参平は、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した文禄・慶長の役(1592~98年)に出陣した鍋島軍に連れられて佐賀に来た。多久で焼き物を焼いていたが、1616年に有田に移住。泉山で白磁鉱を発見、日本初の磁器の焼成に成功したといわれる。
 焼き物の中でも、陶器が「土もの」といわれ、粘土を主な原料としているのに対して、磁器は、白い陶石を砕いた石紛を主な原料としている。佐賀県立九州陶磁文化館の鈴田由紀夫館長(63)は「磁器は、白くて固くて、日にかざすと指の形が透けてうっすらと見える透光性の三要件がある」と説明する。
 磁器焼成を機に有田には多くの窯元が生まれ、1650年ごろには、155軒に上ったという。有田は日本初の磁器産地として歩み始めることになる。

 

NHK大河ドラマめざした吉島さん

 

 有田焼創業400年に並々ならぬ関心を寄せてきた人がいる。有田町に住む吉島幹夫さん(62)。2016年のNHK大河ドラマに、李参平を取り上げてもらおうと、李参平を主人公にした小説を執筆。2011年8月に出版してNHKに送ったが、採用されなかった。
 吉島さんは、38年間務めた有田町役場を退職。古文書や過去帳など資料にあたるのはもとより、韓国にも3度にわたって取材に訪れ、執筆に打ち込んだ。小説は「陶工 李参平公の生涯 日本磁器発祥」と題され、A5版420ページ。鍋島軍の武将、多久安順が朝鮮からの帰途、夕日の沈む伊万里湾の船内で捕虜の参平に声をかける場面から始まる。生き別れとなった恋人との再会、兄の殺害、日本人陶工の追放……と物語はドラマチックな展開を見せる。
 吉島さんが、大河ドラマの原作執筆を思い立ったのは、「創業400年を機に有田焼のことをもっと多くの人に知ってもらい、売上高がピーク時の約8分の1に落ち込んでいる有田焼再生のきっかけにしたかったから」という。大河ドラマには落選したが、小説は2015年に韓国で翻訳出版された。
 NHK大河ドラマはいま、「真田丸」が人気を集めている。吉島さんは「真田幸村が好きだからおもしろく見ているが、残念。いまでも見ていて悔しい思いはある」という。

 

「陶祖碑」前で「高麗踊り」の演奏

 

 有田陶器市には、約500店の焼き物店などが出店。JR上有田駅から有田駅まで約4キロの通りは初日に約20万人が訪れたのを始め、7日間で約120万人の人出があった。熊本地震の影響も心配されたが、「陶器市の根強いファンを中心に多くのお客さんに来ていただき安堵した」と主催の有田商工会議所。
 陶祖祭には、李参平の古里といわれる韓国忠清南道公州市から農楽隊の一行4人が訪れ、「高麗踊り」の演奏を披露した。高麗踊りは、鍋島軍に連行された朝鮮人陶工たちが、故郷をしのんで踊ったとされる。陶山神社の頂上にある「陶祖李参平碑」前で踊りを披露する予定だったが、強風のため、かねや太鼓などの演奏に切り替えられた。新緑の中、韓国陶磁文化協会の一行34人を含む日韓の約200人の出席者から拍手が送られた。

かねや太鼓で演奏する韓国の農楽隊=佐賀県有田町の陶山神社(吉島幹夫さん撮影)

 

更新日:2022年6月24日