「重体説」から透けて見える

(2020.5.14)岡林弘志

 

 これ以上ないという笑顔で、将軍様は姿を現した。金正恩・朝鮮労働党委員長は、重病説、死亡説まで飛び交う中、肥料工場完成式を大々的に行った。やたらにデマを流すと赤っ恥を掻くぞ、とアピールするかのようでもあった。しかし、本当に何もなかったのか。何らかの不具合があったのではないか。それに、妹の金与正・労働党第1副部長の台頭など、あらためてわかってきたこともある。

 

こんな目出度いことがあるか

 

 「順川燐酸肥料工場の竣工式が5月1日に行われ、敬愛する最高領導者、金正恩同志が参加され、自ら竣工テープをカットされました」(朝鮮中央テレビ)。例の重々しい音声の李春姫アナウンサーが、老眼を掛け、お気に入りのピンクのチョゴリを着て登場、この世にこれほど目出度いことがあるかと言わんばかりの笑顔をふりまき、安否に憶測が出ていた金正恩の健在を公にした。

 

 金正恩、20日ぶりの登場だ。4月12日に前日の党政治局会議の出席が報じられて以来、動静報道がなかった。特に北朝鮮最大の国慶節である4・15金日成生誕記念日「太陽節」。姿格好まで似せ、尊敬してやまない祖父の遺体が眠る金繍山宮殿の参拝は、最高指導者となって以来一度も欠かさなかった。それが今年は姿を見せない。ちょっと前の父親・金正日生誕記念日(2・16)には参拝していたのに。身辺に何かあったに違いない。

 

 その後も、動静報道がなかった。こうした中で、「心血管の手術を受けたが回復して静養中」(4・20デイリーNK)。「生命が危険な状態」(4・20米CNN)などと報じられ、これをきっかけに、死亡説、植物人間説などまで飛び交った。北朝鮮では、これまで最高指導者の長期「報道空白」は、時として病気が原因だったからだ。

 

 金正日の時代、鳴り物入りで準備された2008年の建国60周年記念式典(9・9)を欠席するなど、一カ月以上も姿を消した。後に、脳卒中で倒れ、フランスから医師団を呼んで治療していたことがわかった。そして、3年余り後に亡くなった。やはり、長期の「不在」は病気のためだった。

 

 金正恩について、これまで最も長く消息が途絶えたのは、2014年9月からの40日間だ。しばらく後に、中央テレビが健在を示そうとしたのだろう。活動記録の映像を放映した。ところが、左足を引きずって歩く姿が鮮明に写されていた。この時、すでに体重は100kgを越え、韓国などの医療専門家は、肥満が原因の痛風を患ったとみた。高血圧、高尿酸、高脂肪などの持病があるという指摘もあった。30歳にしてすでに成人病の標本だった。

 

いずれにせよ太りすぎだ

 

 金正恩は、いま36歳。今回あらためてわかったことの一つは、いつ重病になってもおかしくない体の状態ということだ。身長は70㎝、となれば体重は60kgほどが理想だ。ところが実際は120~130kg。どう見ても肥満は明らか。金日成に似せるために体重を増やしたと言われるが、明らかに異常だ。

 

 そして今回。日韓の北朝鮮ウォッチャーは、完成式の映像を詳細に分析している。20日前の党政治局会議の映像との比較も。一つは、左手首に前はなかった傷跡のようなものが見えるということだ。カテーテルなどの手術の跡ではないか。また、歩く姿も数秒出てきたが、やはり左足の動きがぎこちない‥‥などだ。

 

 左手の傷跡はよくわからないが、手首のくびれが一段とはっきり見える。政治局会議でも左手を挙手する場面があったが、それよりも一段と太っているのは間違いない。党中央委と内閣の共同会議(4・17)で、新型コロナを避けるためにもしばらく活動を休止して欲しいという決定がなされたという報道もあった。

 

 もしそうなら、金正恩は元山の特閣(別荘)で、食っちゃあ寝を繰り返していたのか。それなら肥満が進んでもしようがない。5年半前に倒れたとき、医師団はスリムになるよう、望ましい食事や運動の仕方を忠告したと思われるが、大元帥様は聞く耳を持たないのだろう。

 

 また、今回の映像でもたばこをくゆらせている場面が出ている。紫煙が画面を立ちのぼっていた。成人病にたばこは禁物だ。南北首脳会談の時に、韓国側のスタッフがたばこはよくないと忠告したら、李雪柱夫人が「いくら言っても聞いてくれない」とこぼしたという話があった。相変わらずヘビースモーカーであり続けているのだろう。

 

白頭山からの無理が重なった?

 

 身体異常があってもおかしくないと思うもう一つの理由は、過労とストレスだ。昨年12月の初めには、数日掛けて雪が降り積もる中、白頭山を白馬にまたがり、革命の聖地巡りをした。そして、年末には大晦日まで党中央委員会総会が行われ、「正面突破」を強調。米朝首脳会談が決裂、当面の最大の課題だった経済制裁はそのまま、「正面」の大きな障害であることを認めたのである。大きなストレスだ。

 

 そして、1月からは新型コロナ。隣の中国から流行り始め、世界に広がった。一月末には中朝国境を封鎖した。「患者ゼロ」と言うが、密輸も含めて交易、出稼ぎなどで、数多い人々が往来していた。このコロナは、成人病の持ち主には文字通り致命的。このため金正恩は元山の特閣へ避難していた。これも恐怖とストレスがたまる。

 

 様々なストレスや鬱憤が貯まりすぎたのか、北朝鮮は2月末から、金正恩指揮の下に、近距離ミサイルやロケットの発射実験、軍事訓練を始めた。一カ月ちょっとの間に、8回を数え、西海岸、東海岸などを行き来した。この間に、平壌総合病院起工式、年間予算や重要人事を扱う党政治局会議も行われた。あの肥満体で、このスケジュールはあまりに過密だ。しかもコロナの恐怖に怯えながらである。

 

 そして、「太陽節」の参拝欠席だ。病気説が出るのも無理はない。大げさな手術が必要な病気でなくとも、少なくとも、軽い心筋梗塞ぐらいは起きたのではないか。ストレスと過労で、高血圧、糖尿病が進んだ、脈が乱れたなどは十分にあり得る。20日間の静養、休養が必要だったのだろう。いずれにしても、何らかの持病を抱え、いつ倒れてもおかしくない体の状態にあることは間違いなさそうだ。

 

頼れるのは金与正だけ

 

 今回の騒ぎで、金与正の存在が前より増した。金正恩が20日ぶりに現れた肥料工場の竣工式。そのひな壇に金与正が座っていた。しかも金正恩の右手の朴奉珠・党政治局常務委員の隣だ。順番からすると4番目になるようだ。この間の党政治局会議(4・11)で政治局員候補に選ばれた(返り咲いた)ばかりだ。党内の序列からすれば、政治局員は約20人なので、20番以降か。それが、公式の場で金正恩の隣の隣、事実上”ナンバー2”といわれるゆえんである。

 

 米朝首脳会談や中朝首脳会談の際は、金正恩の儀典担当、秘書役として活躍。2018年2月の韓国・平昌冬季オリンピックの際は、代表団の一員として訪韓、事実上団長として振る舞い、韓国側も丁重にもてなした。しかし、昨年2月の米朝首脳会談決裂後は、”謹慎説”も流れ、動静は伝えられなくなった。4月の党全体会議では政治局員候補からはずれたようだ。

 

 しかし、2カ月ほど後には、公の場に姿を現し、金日成死去25年の追慕大会(7・8)では、金正恩の近い位置での姿が見えた。年末の党中央委総会では、第1副部長に就任。宣伝扇動部から、一段と中枢に近い組織指導部第1副部長に変ったようだ。そして、政治局員候補にと、かなりの勢いで昇格している。

 

 金与正は、金正恩にとって権力の場でただ一人の「白頭山の血統」である。頻繁に人事をせざるを得ないほど、部下を信用できない金正恩にとって、唯一裏切ることのない存在なのだろう。金正日もやはり実妹の金慶姫を党書記、軽工業担当などに重用したが、金与正は、すでにそれ以上に重用されている。父親ほどの年齢の幹部を怒鳴りつけることもあるという。

 

 金与正は1988年9月生まれ、いま31歳といわれる。小さいときから、政治に興味があったそうで、権力の中枢にいて、差配するのが面白くてしようがないように見える。金正恩”不在”の中で、万が一の場合は後継に指名されているという情報もあった。世襲となれば、金正恩の息子となるのだろうが、李雪主夫人との間の長男は、まだ10歳ぐらいのようだ。異母兄がいるという情報もあるが、いずれにしてもまだ10代だ。

 

 このため、金与正後継説、あるいはつなぎ役説が浮上してきた。金正恩の実兄は全く、政治に関心がないといわれ、頼れるのは、金与正だけだ。若いけれど、全く政治経験のなかった金正恩も20代半ばにして最高指導者に担ぎ上げられて、今日に至っている。独裁政権を担いでいる特権階級は、既得権を守るため、新たな独裁者を担ぐことに躊躇はない。

 

 ただ、独裁者がそう簡単に後継者を決めるかは疑問が残る。独裁者は、自らの地位を少しでも損なうのを極端に恐れる。後継者が意図しなくとも、次はこの人となれば、そこに賭けて後継者の回りに人が集まる。となると、独裁者の取り巻きと軋轢を起こし、独裁者の逆鱗に触れ、後継者そのものを亡き者に、というのはよくあることだ。果たしてどうなるか。

 

韓国はなぜむきになるのか

 

 「現在、北の内部で特異な動向はない」「北のメディアは金委員長の業務に関する報道を続けており、正常な国政運営をしていた」「心臓に関する治療や手術は受けていない」。韓国の青瓦台や統一部は、「手術説」が出て以来、病気情報を終始否定してきた。

 

 また、韓国の金錬鉄・統一部長官は記者との懇談で、「偽ニュースが一種の株式市場や金融市場に与える影響を目撃した」と述べ、「さまざまな憶測報道が世界を揺るがしたことについて批判した」(5・7聯合ニュース)。確かに、メディアは間違った情報を流してはいけない。それは鉄則だが、北朝鮮情報で誤報が生ずる最大の原因は北朝鮮の情報封鎖にある。そこには全く触れていない。

 

 それに、情報戦の観点から見ても、これでは韓国の情報収集能力が北朝鮮にはっきりわかってしまうだろう。どの国でも、機密に近い情報については、あいまいにしておくのが通例だ。それなのに、今回の韓国政府の対応は、むきになっている印象すら受ける。

 

 韓国政府は北朝鮮の代弁人ではないはずだが、何かしっくりこない。米朝首脳会談決裂で、金正恩は「北にもいい結果が出ると、文在寅がせっついたので乗ったが、何も変らないじゃないか」と怒り心頭という情報もあった。いずれにしても、北朝鮮はこのところ、韓国のコロナ対策協力の呼びかけにも応えていない。

 

 韓国は、この一年ほどの間に、南北鉄道連結、非武装地帯(DMZ)の国際平和地帯化、北朝鮮への個人観光、離散家族の再開などを呼びかけたが、なしのつぶて。南北交流の象徴として韓国の現代委グループがつくった金剛山観光団地も金正恩は「醜悪」と撤去を命じた。しかし、文在寅は北の冷たい反応は「新型コロナウイルス問題による事情がある」(5・10)と釈明した。「お互いに信頼と対話の意思を確認している」とも述べたが、それは、南北首脳会談が開かれた時の話だ。

 

 文政権は北に何を言われようと、対北融和姿勢をとり続けるということが、重病騒ぎの中で、あらためてはっきりした。そうすれば、南北交流の道が開けると信じているようだ。金正恩が何を考えているのか、このへんの情報は入っているのか。いずれにせよ、対北政策における「日米韓の連携」なんて言葉は、遠い昔の話のようだ。

 

 一方で、トランプ米大統領も重病説を否定し続けた。「そんな話は聞いていない」「やがて、わかる時が来る」。そして、金正恩がテレビに登場した姿をみて「彼が戻ってきて、元気な姿を見るのは個人的にはうれしい」(5・2ツイッター)と、喜んで見せた。

 

 危篤説を最初に流したのは、米国のメディアだ。米政府当局者がネタ元だ。もしそうだとすれば、米当局者が北朝鮮の反応を見るため、流したのか。ことによると、病気説は、北朝鮮が流したという推測も出来る。敵の情報網をあぶり出すため、わざとガセ情報を流すというのはよくあることだ。金与正が金正恩に忠実でない人物、勢力の取り締まりを主導しているという情報もある。

 

 いずれにしても、今回の騒ぎは、米朝間では相変わらず激しい情報戦が展開されていることをあらためて知らされた。とにかく、魑魅魍魎の世界でもある。ただ、情報が間違っていたといって済むような世界ではない。

 

またまた姿が見えない?

 

 金正恩が姿を現してすでに半月。またしても、元気な姿は報道されない。この間の動静は、習近平・中国国家主席にコロナ防疫の健闘を讃える「口頭親書」、(5・8)、プーチン・ロシア大統領に祖国戦争勝利75周年の祝電(5・9)をそれぞれ送っただけだ。「現地視察」などの動く姿は報道されていない。

 

 無理して肥料工場の完成式へ出たが、やはり体調がよくないのか。それとも、コロナを恐れて、引き続き特閣に引きこもっているのか。しばらくは、目を離せない。そして、金与正がいかなる場面に出てくるかも。

 

更新日:2022年6月24日