金与正が悪口雑言‥何かおかしいぞ

(2020.3.18)岡林弘志

  北朝鮮の罵詈雑言にはかなりなれているつもりだが、今回は驚いた。あの金与正・朝鮮労働党中央委第1副部長が韓国の青瓦台に向けて「僭越でふざけた行為」「強盗さながら」などと、悪口雑言を羅列した談話を発表したからだ。金正恩・国政委員長の実妹、「ローヤル・ファミリー」の中枢にいる高貴な人の発言とは思えない。他にも一族にかかわる話が出ている。一方で当の金正恩は新型コロナウィルスを恐れて、元山に“避難”しているらしい。この国はどうなっているのか。

 

「盗人猛々しい!」「ふざけた行為だ!」

 

 「火に驚けば、火かき棒だけを見ても驚く」(3・3)。朝鮮中央通信は、金与正の談話を配信した。前日の北朝鮮人民軍火力戦闘訓練に対して、韓国大統領府(青瓦台)が非難声明を出したことに、大いに腹を立てたのだという。要するに訓練は「軍隊の主な事業であり、自衛的行為」なのに、いちゃもんをつけるのは「実にけげんだ。僭越なふざけた行為だ」というわけだ。

 

 悪口は、そこで止まらない。「他人が訓練しようが休息しようと、なんの関係があって、でまかせにしゃべるのか」。そして、米韓演習を中止したのは新型コロナウイルスのせいで、「平和や和解と協力に関心もない青瓦台の主人等の決心によるものではない」。それなのに、「他人(北朝鮮)の軍事訓練についてどうのこうのというのは、盗っ人猛々しいの極みである」。

 

 だいたい、悪口は鋭い言葉を一言発するのが効果的だ。「寸鉄クギを刺す」である。ところが、金与正の悪口はここでも止まらない。繰り返し、軍事演習について、「我々は軍事訓練をすべきで、おまえ達はすべきでないという論理は、青瓦台の非論理的で低脳な思考」「三歳の子どもと大きく変わらない」と、「おまえ達」とため口で、文在寅大統領率いる青瓦台の頭脳は幼児並みと決めつける。

 

 そして「強盗さながらで無理押しを好むのは、ちょうど米国に似たざまだ」。それは「同族より同盟を重んじて寄生してきたから当たり前」と決めつけ、「もう少し勇敢で堂々と立ち向かうことが出来ないのか」とお説教。最後は「おじけづいた犬がもっとも騒々しく吠えると言う。ぴったり誰かのように‥‥」と捨て台詞だ。

 

かつてプロトコール担当だったのに

 

 いやいや、なんともすさまじい。これまでも韓国に対しては窓口という祖国平和統一委員会(祖平統)などが罵詈雑言を浴びせるのが通例だったが、今回は金与正である。繰り返すが、ローヤル・ファミリー、しかも金正恩に次ぐ地位にいるとも言われる。品格を求めるわけではないが、1987年9月生まれの32歳。女性の魅力がにじみ出る年頃だ。この談話を読む限り、市場で見かけるアジュマ(おばさん)同士の口げんかと変わらない。

 

 しかも、金与正は昨年の平昌冬季五輪に代表団の一人として、金一族の直系として初めて韓国を訪問。その時、楚々とした雰囲気ながら、物怖じせずに親しみやすい対応をして、韓国人を驚かせ、特に文在寅政権の面々は魅了された。そして、これからは、金与正が南北関係を仕切るのではないかという期待まで出た。

 

 そして、2回の米朝首脳会談(2018、19)では、プロトコールの役割を担って、金正恩が姿を現す際の演出、舞台回しなどをこなした。かいがいしく動き回り、指示する姿は、海外報道陣のカメラに捉えられ、全世界に放映された。まさに、金正恩独裁体制を支える唯一の肉親として、金正恩を引き立て、国際的にアピールした。当時労働党宣伝扇動部副部長といわれた。南北首脳会談、中朝首脳会談でも同様の役割を果たし、金正恩の側近中の側近であることを内外に印象づけた。

 

 しかし、ハノイでの米朝首脳会談は決裂、期待が大きかった金正恩は激怒し、何人かが粛正された。金与正も謹慎の身といわれ、韓国紙が報道した。しかし、その数日後には北朝鮮のメディアに姿を現し、健在を内外に示した。韓国の故金大中元大統領の夫人死去の際には、板門店まで出向いて弔辞を送った(19・6)。金日成主席の死去25年の「中央追慕大会」(7・8)では、金正恩のすぐ近くに座り、従来の地位に変わりがないことがわかった。さらに、昨年末の党中央委総会では、第1副部長に選出と公表された。

 

 金正恩とは五つか六つ違いの妹である金与正は、スイス・ベルンの国際学校へ留学した際、同行して5年ほど一緒に暮らした。すぐ上に兄がいるが、政治には興味がない。また、母親(高英姫)は2004年に亡くなり、ご存じの通り、父親(金正日)も2011年に亡くなった。かけがいのない肉親なのだ。

 

2日後、金正恩は文在寅に「応援する」と親書

 

 首領独裁体制の中で、金与正が枢要な地位にあることはわかるが、疑問なのは、なぜ罵詈雑言を浴びせる役割を果たしたかである。他に先述した祖平統や党統一戦線部、そして外務省などこれまでに“実績”のある部署がいくつかある。それを差し置いて、金与正が対韓非難の最前線に経ったのかである。

 

 様々なことが考えられる。一つは、正式に党第一副部長に選ばれ、内外に存在をアピールした。すでに宣伝扇動部ではなく、そのうえに位置する組織指導部を率いているという情報もある。そのあいさつ代わりなどいろいろ考えられるが、何故急に悪口雑言の最前線に立ったかはよくわからない。

 

 もっと、わからないのが、青瓦台を口汚く非難したこの談話の2日後、金正恩が青瓦台の親玉である文在寅・大統領に宛てて、新型コロナ見舞の親書を送ったことだ。「新型コロナウイルスと闘っている国民に慰労の意を伝えた」(青瓦台)。そのうえで「文大統領が新型コロナウイルスを必ず克服できるよう応援する」などと書かれていた。また、朝鮮半島を巡る情勢についても「率直な考えと立場」を表明する(青瓦台)内容も含んでいた。

 

 新型コロナが“非常事態”であることは確かだが、金正恩は、昨年暮れに南北和解・交流の象徴として韓国側が造った金剛山観光団地を視察して、「見にくいから全て壊せ」と命令し、様々な機関を通じて、米国の警告に従って経済制裁解除に動かない文政権を非難罵倒させてきた。それが手の平を返すように、「文大統領の健康を懸念」(青瓦台)する親書を送ってきたのか。

 

 繰り返すが、腹心中の腹心である金与正が青瓦台を面罵した直後にである。常識的に考えれば、両者の意思疎通が出来ていないか、指揮命令系統が目茶苦茶なのか。役割分担をして韓国を揺さぶるというなら、余りに稚拙だ。いろいろ想像は出来るが、端から見れば一貫性のないとこと甚だしい。

 

死亡と言われた叔母が突然登場

 

 ついでに、わからないことをもう一つ上げると、金正恩の叔母である金慶姫(73)が突然姿を現したことだ。ご存じの通り、金日成の娘、従って金正日の妹である。そして、6年前、金正恩が粛正・銃殺に処した張成沢の妻である。そのことを深く恨んでいるはずの金慶姫が、金正恩とともに旧正月の記念公演(1・25)を観覧し、国内のテレビ、新聞などで写真付きで報道された。この席には、金正恩の李雪柱夫人、妹の金与正も並んでいた。

 

 金慶姫と張成沢は夫婦仲が悪く別居中といわれたが、さすがに甥による夫の処刑には強い衝撃を受け、寝たきりになって、すでに死亡。あるいは、金正恩にたてついたので毒殺されたなど、様々な情報が流れた。いずれにしても、メディアからは完全に姿を消していた。それが亡霊のように出てきたのだから驚く。このため、偽物説、影武者説まで出ている。「死んだはずだよ、なんとかサン」だ。

 

 いずれにせよ、金正恩にとっては、ここで金慶姫を登場させる必要があったということははっきりしている。ただ、健在であることを示すためなら、同席したところを人々にわざわざ見せつける必要はない。何らかの形でメディアに登場すればいいだけのことだ。ここは、金日成の実の娘、白頭山血統の直系が生きていて、金正恩に逆らうどころか、従っていることをアピールする必要があるということだろう。

 

叔父二人は長年の欧州勤務から帰国

 

 そういえば、最近父親、金正日の異母兄弟である金平一・駐チェコ大使(65)が帰国した(2019・11)。30数年ぶりのことだ。また、金正日の妹の婿、金光燮・駐オーストラリア大使も帰任した(3・14)。この人も27年間、欧州にいたという。いずれも、金日成に近く、特に金平一は風貌や仕草が金日成にそっくり、また学校の成績もよく、軍職の経験がある。

 

 このため、金正日が権力を掌握する過程で“枝葉”排除のため、権力中枢から遠い欧州に追いやられた。大使とは名ばかり、監視役もつけられ、ほぼ幽閉に近い形での生活を強いられていた。二人とも政治や権力には全く関心を示したことはない。それが何故、二人がほぼ時期を同じくして、帰国させられたのか。

 

 一つは、1昨年の金正男暗殺事件(2・13)との関連だ。金正恩の異母兄だったが、マレーシア・クアラルンプール国際空港で、北朝鮮の暗殺団により、毒薬で殺された。北朝鮮は否定しているが、マレーシアは裁判で北朝鮮の工作員の仕業と断定している。

 

 もともと、金正恩にとっては、金正日の長男であり、マカオを拠点に欧州、アジアを出歩く金正男が目障りだった。そのうえ、直前には米国CIAや独裁体制打倒を標榜する「自由朝鮮」(「千里馬民防衛」を改名)と接触という情報もあり、金正恩が暗殺命令を下したと言われる。それ以前に、先に出てきた張成沢が金正男を最高権力者につけると中国首脳に告げたという密告があり、これも暗殺の要因の一つという報道もあった。

 

 その後「自由朝鮮」は、在スペイン北朝鮮大使館を襲撃、機密情報が入ったパソコンなどを奪ったという事件を起こした(2019・2・22)。この組織は、金正男の長男、金漢率を保護、米国へ亡命させたとも言われる。金一族につながる人物を押し立てて、亡命政府を樹立、本国の独裁を倒すのが目的のようだ。実態はほとんどわかっていない。しかし、金日成の直系である金平一や女婿の金光燮は、担ぎ出しの対象になり得る。今回の帰国命令はその芽をあらかじめ摘んでおくためとも言われる。

 

足元がぐらついでいる

 

 こうした出来事を並べてみると、ローヤル・ファミリーを巡って様々な動きが出ていることがわかる。謎は、なんのためか、それぞれの動きの間に、どのような関連があるかである。金正恩が白頭山血統の正式な後継者であることをあらためて人民に誇示する必要があるのだろう。

 

 それだけ権力基盤が揺らいでいるということか。それを象徴するのが、金正恩も出席した労働党中央委政治局拡大会議(2・29朝鮮中央通信)だ。ここで李万建・党組織指導部長と朴泰徳・農業部長を解任した。組織指導部はいわば労働党の中心組織で、金一族独裁を維持するための中核だ。このため泣く子も黙る権限を持っている。文字通り党と国家の全ての組織を点検指導する。あらゆる情報もここに上がってくる。

 

 そのトップがクビというのだから、驚天動地である。金正恩の機嫌を損ねたか、賄賂あるいは巨額のドルのタンス預金がばれたかだろう。しかし、独裁体制の大元締めがクビというのだから、いかに組織が腐っているかの裏返し、同時に忠誠競争の激しさ、密告競争の熾烈さの表れか。また、農業部長は賄賂あるいは農業生産が上がらないことの責任をとらされたのか。それならかわいそうだ。

 

 もう一つは「党幹部養成機関」の幹部も解任された。これは「金日成主席高級党学校」だという。幹部養成の最高機関で、ここの教育を受けなければ、党や国家の中枢の幹部にはなれない。忠誠競争に加わるにはまずここに入らなければならない。かねて袖の下が横行していたが、度を過ぎたのだろう。いずれにしても金正恩の労働党、しかもその幹の部分までもが腐敗し、うまくいっていないことの表れだ。

 

 先にちょっと書いたが、金与正が組織指導部を任されたという情報もある。そうだとすると、金正恩はごく身内、金与正しか信用できない。疑心暗鬼の塊になっている。

 

「したたか外交」はどうなる

 

 権力中枢と言えば、外務大臣も突然交代した(1月中旬)。李容浩・外相が解任され、対韓窓口の祖平統の李善権・委員長が就任した。外相は外交官出身者が務めるのが通例だった。李善権は軍人出身で、南北軍事会談の北朝鮮代表などを勤めたが、外交経験はまったくない。

 

 祖平統委員長の時は南北協議に出て、ふんぞり返って強硬意見を言うことで知られた。南北首脳会談(2018・9)の際、訪朝した経済界代表との食事の席で、「よく冷麺が喉に通るな」と言い放ち、参加者を驚かせた。いわば強面だ。国内でも金正恩側近の強硬派として知られている。

 

 日韓のメディアには、米朝会談の失敗を受けて、対米強硬姿勢に転じるのかなどの観測が出たが、強硬一辺倒では外交は出来ない。どうも太永浩・元駐英公使の亡命(2016年夏)以来、外交官の亡命が続いていたといううわさがある。組織引き締めのための人事という面が強そうだ。

 

 かつて北朝鮮外交はしたたかさで知られていた。経済困窮の小国が米国や中ロを手玉にとって、冷戦崩壊後も生き残ってきた。それを支えてきたのが外務官僚である。しかし、「外国の常識」を目にする外交官にとって、絶え間なく公館運営費や本国への上納金のためドル稼ぎを余儀なくされる現状は耐えがたい。また、外国で暮らした子弟が「金一族崇拝」一色の母国で生き残れるか。太永浩の亡命は、金正恩に大きなショックだったという。

 

 しかし、ここに外交を知らない忠誠競争一辺倒の親玉が来て、人事、外交方針を差配することになる。これまでの蓄積はないがしろにされ、したたか外交の基盤は揺ぐ。この面からも独裁の基盤にひびが入ることになるかもしれない。

 

金正恩は新型コロナを恐れて平壌から避難?

 

 ついでに新型コロナウイルスについて触れると、相変わらず、北朝鮮は患者ゼロを主張している。しかし、金正恩は平壌から避難しているらしい。平壌での報道は、旧正月の記念公演参観(1・25)、金正日生誕78周年の金繍山太陽宮殿に参拝(2・16)以来、途絶えている。

 

 続いて、先述の党中央委拡大会議(2・29)。その後の東部地区防御隊の合同打撃訓練(2・28)、元山近くの火力打撃訓練(3・2)、咸鏡南・北道の軍団による長距離砲兵部隊訓練(3・9)、を相次いで視察し、「大いに満足」と写真とともに報道された。この視察の場所は、いずれも日本海側だ。このため、平壌から離れて、元山にある特閣(別荘)に避難していると見られる。

 

 金正恩は、かねて糖尿病など肥満を原因とする成人病にかかっているという。今回の新型コロナウイルスは、老人や持病を持つ人には感染しやすく死亡率が高い。金正恩にとっては恐ろしい病原菌だ。平壌ではすでに死者が出たという情報もある。細心の注意が欠かせない。平壌には恐ろしくていられない。

 

演習で健在誇示するも、「苦難の行軍」?

 

 ただ、独裁者にとって、長期間首都を明けるというのは極めて危険だ。この間にクーデタなど権力転覆という歴史もある。このため、もっとも頼りになる金与正が留守番役をしているのかもしれない。そのためには組織指導部を握っているのは好都合だ。となると、例の悪口雑言の談話は、権力の中枢が平壌にいるよという内外へのアピールなのかもしれない。

 

 また、「元帥様」がコロナに怯えてというのではシメシがつかない。そこで、もっとも威勢よくみえる軍事演習を鼓舞しているとすれば、格好がつく。最近、コロナのために軍事演習も自粛と言われているが、背に腹は替えられない。金正恩の健在を誇示するにはこれが一番。動員される兵隊さんは大変だ。

 

 ここまで書いたら、ちょうど金正恩が平壌総合病院の着工式(3・17)に参席というニュースを朝鮮中央通信が配信した。マスクをして赤旗を掲げた労働者や兵士等が多数集まる前で、「忠誠の突撃戦、熾烈な徹夜戦、果敢な電撃戦を繰り広げるべきだ」とゲキを飛ばすなど意結構長い演説をしたという。

 

 ことによると、日韓のメディアによる金正恩が新型コロナを恐れて避難という報道、あるいはそうしたうわさが平壌で広がり始めたことを意識して、新型コロナや平壌を恐れてはいないぞと強調したかったのかもしれない。この病院は「朝鮮労働党創立75周年」を記念する重要な建造物のはずだが、演説のはじめで、「もともとは予定していなかったが、皆さんを鼓舞激励するため参加した」と、恩着せがましく言っているのが不自然だ。

 

 どうも、昨年の米朝首脳会談から、金正恩の歯車は悪い方に回っているようだ。経済制裁の続行に加えて、新型コロナウイルスの流行で国境を閉ざし、まさに経済は閉塞状態だ。泣きっ面に蜂、金正恩自身も恐れおののいている。流行がいつまで続くかは、金正恩体制の存続に深く関わっている。1990年代後半の「苦難の行軍」以来の難局ではないか。

 

 

更新日:2022年6月24日