「独裁者の本性」は隠せない

(2019.11.1)岡林弘志

 

 白頭山から金剛山へ-。金正恩・国務委員長は「革命の聖地」から朝鮮半島随一の景勝地を回って、大いに気持ちが高ぶったようだ。金剛山麓では、多くを占める韓国側が建造した施設の「撤去」を命令、南北関係に冷水をかけた。さらに、それを許したのは「先任者らの間違った政策」と切り捨て。要するに「白頭山の血統」である先代の金正日総書記まで批判したのである。背景には、より強い独裁へのあこがれと、制裁解除をはじめ思うように進まない周辺情勢へのいらだちが見え隠れする。

 

「気分が悪くなる南側施設」

 

 「見ただけでも気分が悪くなるごたごたした南側の施設を、南側の関係部門と合意して残さず撤去するように」(10・23)。金正恩は、金剛山の麓に開発された観光地区で怒りを爆発させた。「民族性がまったく見えない」「建築美学的に非常に遅れている」「景観を損ねている」と言いたい放題。そのうえで、一応、「韓国側と合意して」とは言ったが、取り壊しを命令した。

 

 金剛山観光地区は、この近く出身の韓国の現代財閥の故鄭周永会長が南北和解のきっかけにと南北双方を説得して実現させた。ホテルをはじめ様々な施設を建設。1998年韓国からの観光が始まり、外国人も参加できるようになった。また、南北離散家族の面介所も設置された。ところが、2008年7月、観光に来た韓国人女性客が北朝鮮兵士に銃殺される事件があり中断、それから10年余、再開されないまま今に至っている。

 

 韓国では開城工業団地とともに「南北融和政策」の成果とも言われた。北朝鮮にとっては外貨獲得の有力手段だった。約10年の間に200万人が訪問、5億ドル(約570億円)以上の観光収入があったと言われる。対北融和路線の文在寅大統領は昨年9月に南北首脳会談を実現させ、「開城工業団地と金剛山観光事業をまず正常化する」と共同宣言に盛り込んだ。経済制裁に苦しむ北朝鮮にとって、のどから手が出るほど欲しい外貨獲得の手段である。

 

 とくに、金正恩は他のインフラをそのままに、観光開発に力を入れてきた。金剛山再開では、韓国側に「米国の圧力に負けるな」と再三再四圧力をかけてきた。韓国も米政府に対して、経済制裁とは別次元、核問題を解決する糸口になり得ると繰り返し、働きかけてきた。しかし、ドルを直接北朝鮮に落とす観光地整備や観光は制裁の抜け穴となる。米国務省からは「開城、金剛山の話をするなら、ワシントンに来ないで欲しい」と言われたという(韓国・中央日報)。これではいかに無原則対北融和路線の文政権も動くわけに行かない。かくして、金正恩の激怒となった。

 

自分が再開を約束したのに

 

 金正恩は、かつて「金剛山の観光事業正常化」を、南北関係の「歴史的転換」(昨年9・19共同宣言)の一つと位置づけ、今年の新年辞では「何の前提条件や対価なく再開する用意がある」と公言していた。しかし、それから10カ月、韓国側は動くことが出来ず、これ以上我慢が出来なかった。

 

 しかし、金剛山観光が中断したのは、北朝鮮兵士が韓国人の女性客を射殺したからだ。これに対して、北朝鮮は、謝罪も賠償もしないまま。これでは、再開しても、観光客の安全は保てない。文在寅が首脳会談で謝罪などを求めたとは報じられていない。そこも問題だが、金正恩がすぐに再開しなかったことに腹を立てるというのは筋違い。まずは謝罪すべきだろう。

 

 もっとも、そうした常識が通じる国や指導者ではない。「金剛山が北と南の共有物、南北関係が発展しなければ、金剛山観光も出来ないようになっているのは間違いだ」「党中央委員会の当該部署が敷地をむやみに明け渡し、景観に損害を与えた」と、厳しく叱責した。自分が「再開しよう」と言っておきながら、出来ないとなると、こんなことを始めたヤツが悪いと当たり散らす。いかにもわがままな独裁者らしい。

 

 その背景には、中朝関係の改善があるようだ。観光は、経済制裁の対象外だ。先に訪朝した習近平国家主席が、百万人単位の観光客の訪朝を約束したという情報もある。そうなれば、金剛山は大きな“目玉”になる。新たに、施設をつくってもすぐにペイできる。そんな計算もあるのかもしれない。

 

 ともかく、北朝鮮は最近出来たらしい「金剛山国際観光局」名義で、韓国側に施設撤去のために担当者を寄こせという通知文を送った(10・25)。文在寅政権は対話のきっかけにしたいという思惑もあって、実務者会談を提案したが、北側は「文書交換で」とにべもない。金正恩が「壊せ」と言ったのだから、壊すしかないのだろう。

 

「先任者が間違っていた」!!

 

 金正恩の怒りの矛先は韓国だけではなかった。「容易く観光地を明け渡して何もせず利を得ようとした先任者らの間違った政策により、金剛山が10余年間放置され傷が残った」「国力が弱いときに他人に依存しようとした先任者らの依存政策が非常に間違っていた」と、ついには「先任者」批判まで飛び出した。

 

 観光地区開発は、南北共同といっても実際はほとんどが現代グループによって行われた。それを許可し、推進した最高責任者は、金正日総書記だ。「先任者」は他でもない父親だ。金正恩が「革命の血統」を批判したことになる。初めてだろう。

 

 韓国側が観光地として整備して、その利益はそっくり北に入る。「苦難の行軍」を強いられた北朝鮮にとってこんなうまい話はない。濡れ手に粟だ。実際に北朝鮮は、金剛山と開城工業団地・開城観光で、莫大なドルを手に入れた。対北融和を掲げた金大中、盧武鉉政権の10年の間に、あれやこれや合わせて70億ドルほどのカネとモノが北朝鮮にもたらされたと言われる。このカネは、金正日の統治資金とともに、核ミサイル開発の資金となった。この延長線上で、金正恩も核ミサイル実験を頻繁に行い、米朝首脳会談を行うまでに至ったのである。

 

 そして言うまでもなく、金正恩が今日あるのは、金正日の血を引いているからだ。母親が在日出身のためいまだに出自を明らかに出来ないことや、父親の突然の死で後継者としての修行のヒマがほとんどなかった。それでも最高責任者となれたのは、金日成―金正日と続く「白頭山の血統」を引き継いでいるからだ。

 

 先代批判などとんでもないとも思うが、先代、金正日も父親の金日成をないがしろにして、生存中に権限を徐々に奪い、独裁の地位を作り上げた。金正日が後継者として浮上したのは1980年の労働党第六回大会だ。しかし、1964年に党中央委員会に入り、「十大原則」などで金日成の神格化を進め、72年には金日成を国家主席に祭り上げた。

 

 この頃から、全ての政策提案、情報、報告などは金正日経由とするシステムを作りあげ、実権を握った。そして、権力継承に邪魔な血縁の「枝葉」を権力から遠ざけた。同時に、国民全体が金一族に奉仕する仕組みを作り上げた。このため、民生経済は疲弊し、金日成の怒りを買った。これらのいらだちが金日成の急死の一因とも言われた。

 

 独裁というのは、残酷な仕組みだ。まして、金正恩のように何の準備もなく独裁者になった場合は、人々を恐怖で従わせる以外にない。数多くの粛正だ。そして、自らの権威を高めるために、利用できるとなれば、先代にも批判の矛先を向ける。いまの自分をえらく見せる最も容易い方法は前任者を否定することでだ。権力を握った者が陥りやすい誘惑だ。

 

白頭山での「自力更生」に昂揚

 

 「白頭山の初雪に当たって、白馬に乗り山頂へ登った」(10・16)。金剛山に行く1週間前、金正恩は白頭山を訪れ、白馬にまたがり得意満面だった。朝鮮中央通信は、雪原で白馬を走らせる勇姿などの写真10余枚とともに配信した。この訪問は「我々の革命史において振幅が大きい意義を持つ事変」と意義を強調した。よく意味がわからないが、とにかく白頭山へ登るのは、大変な意味があるということだろう。

 

 そして、麓の三池淵郡の都市建設現場で現地指導。「米国を親玉とする反共和国敵対勢力が強要する苦痛は、そのまま我が人民の憤怒に変わった」。「我々は助けを望んだり、誘惑に耳を傾けてはならない。ひとえに自力富強、自力繁栄を進路と定め、自力更生の旗を一段と高く掲げていくべきだ」と、自力更生を強調した。

 

 白頭山は金正日の生誕の地とされる「革命の聖地」だ。金正恩が白頭山に登るのは、「わが革命が一歩前進する雄大な作戦が展開される」(朝鮮中央通信)時だ。確かに、叔父の張成沢処刑の直前(13・2)、金正日の3年の喪明け(14・11)、南北首脳会談の前(17・12)、南北や米朝首脳会談が始まった2018年には3回、今年はベトナムでの米朝首脳会談が決裂した後(19・4)に足を運んでいる。

 

 そして、三池淵の再開発は、金正恩が最も力を入れているプロジェクトの一つ。資材も労働力も最優先で調達され、思うように進んでいるのであろう。その1週間後の金剛山だ。先述したように10年間も観光客はない。現代グループにおんぶにだっこでやってきたが、中断の後は、北朝鮮側にメインテナンスの余裕もなく、する気もないまま放置された。聯合通信の写真では、施設の壁はカビだらけになっている。

 

 新雪の白頭山で、身を清められた(?)ばかりの金正恩の目には、何とも醜悪に見えたのだろう。まして、首脳会談をやりたいとせっつくから付き合ってやった文在寅に「金剛山再開」に同意するというサービスまでしたのに、米帝を恐れて口先だけで何もしない。

 

 親も親だ。白頭山に生まれたという伝説まで作り上げて「唯一の領導者」になったのに、なまじ南に頼るからこうなる。それに比べて、オレは世界を敵に回しながらも「核大国」を作り上げ、自力更正でやってきた。実際に、オレが手がけた馬息嶺のスキー場は世界的水準の観光地だ。平壌の陵羅島人民遊園地も立派でイルカ館を見た世界中の人たちが驚いている。やれば自力でできるのだ。「南に頼らなければ進まないようなら壊せ」。

 

「平壌民俗公園」も破壊させた

 

 金正恩には、気にくわなければ破壊という衝動にかられる性癖がある。平壌民俗公園。30万坪もある広大な敷地に、古代からの建造物を復元、遺物が展示され、歴史の流れを体感できる朝鮮史のテーマパークだ。金正日の発案で2012年に完成、全国から100万人以上が訪れたと言われる。金正日は完成を見ないで死去したが、開場直前には、金正恩も夫人とともに訪れ、「将軍様(金正日)がみたら、どんなに喜ばれたか」とできばえを賞賛していた。

 

 ところが、16年4月、金正恩は突如「閉鎖、破壊」を命令した。この公園の建設を担当したのが叔父の張成沢だったからだ。ご存じのように、「分派活動」などの理由で、金正恩の逆鱗に触れて13年12月に処刑された。その冷徹さに世界中が驚かされたが、やはり肉親を死に追いやって寝覚めがよくなかったようで、「あの公園がある限り張成沢を思い出す」と破壊命令となった。

 

 張成沢の痕跡を全て消し去らないと、安心できなかったのだろう。しかし、開場からわずか4年、ここにつぎ込まれた莫大なカネや人力は全て、水泡に帰した。それだけでなく、破壊するにもカネと人力がかかる。国費の二重の無駄遣いだ。しかし、破壊の衝動を止めることは出来なかった。金正恩の性格を表す一つの例だ。金剛山の観光施設も同じ運命をたどるのだろう。

 

 「閑寂な山間地帯で温泉観光地区建設総計画図を開き、建設問題を討議していた頃が数日前のようだが、1年もならないうちに奇跡が起きた、全般的な面ぼうが完全に一新した」(10・25)。金剛山で怒りに震えた金正恩は、その足で、開発中の陽徳郡の開発現場、自らの音頭で始まったプロジェクトの進捗状況を見て、上機嫌だった。陽徳郡は、平壌の東方、元山の間の山間地だ。

 

 すでに出来た温泉浴場の縁に腰を下ろし、入浴中の労働者と歓談したのをはじめ、温泉卵をゆでる所まで検分して大満足。確かに橙色の瓦屋根の反りなどに民俗的な様式を取り入れ、特徴のある建物が20数棟並んでいる。そのうえで「このような陽徳の風景を金正日総書記に見せてやれるならどんなによいだろうかと胸熱く述べた」そうだ。金剛山での発言があるだけに、これはイヤミだろう。

 

年末までにトランプの決断は?

 

 とにかく、金正恩は地方の現地指導を終え、機嫌良く平壌へ戻ったようだが、当面の最大の懸案である米朝関係は硬直したまま動いていない。「時間稼ぎをして年末をやり過ごそうと考えるなら愚かだ」(10・27)。金英哲・労働党副委員長は、談話を発表して、米国に警告を発した。先のストックホルムでの米朝実務協議(10・5)は決裂、そのままになっている。

 

 米政府の対北最強硬派のボルトン大統領顧問がクビになり、北朝鮮としては、制裁解除などが動き出すと期待した。しかし、米国は小出しの非核化には応じなかった。金英哲は「ワシントンの政界と政府は、トランプ大統領とは違い、冷戦時代の考えにとらわれ、我々を敵視している」と、米政府の実務者を非難。その前には外務省も「米国がいかに賢く年末を超すか見てみたい」(10・24)と談話を出している。

 

 北朝鮮が「年末」にこだわるのは、金正恩が半年前に「今年年末までは忍耐を持って、米国の勇気ある決断を待つ」(4・13最高人民会議)と演説したからだ。そして、北朝鮮が期待するのが、トランプの勇断だ。金英哲も、それでも米朝関係が維持できているのは、金正恩とトランプとの「親密な関係」のおかげと、なんとかトランプが小出しの非核化で妥協するよう期待を露わにする。

 

 年末まで、あと2カ月。相次ぐ談話の背景には、金正恩のいらだちがにじみ出ている。そして、今年になって12回目のミサイルなどの発射(10・31)も行った。脅しを背景に、言い分を通そうとするのは、北朝鮮の常套手段だ。

 

 やく1年後に迫った米大統領選挙を巡るトランプと民主党との戦いは、日毎に激しくなっている。トランプにとって、北朝鮮の望む妥協策が外交実績になるか。懸命に計算をしているのだろう。金正恩との親密な関係だけでは、票にならないことは確かだ。米朝の奇妙なつばぜり合いは続き、金正恩のいらだちは簡単には収まりそうもない。

 

更新日:2022年6月24日