これでは「いつか来た道」

(2019.9.30)岡林弘志

 

 前にもこんなことがあった。米国の対北朝鮮強硬方針がいつの間にか軟化し、結果として北朝鮮の核開発を許してしまう。「完全な非核化」を求めていたトランプ政権のはずだが、政権内の強硬派は姿を消しつつある。独裁体制の“守護神”である核は絶対に捨てないという北朝鮮の横車がまかり通ることにならないか。

 

ボルトンのクビに大喜び

 

 「厄介者が米行政府内から消えた。より実用的に朝米関係に接近すべきというトランプ米大統領の懸命な決断を歓迎する」(9・20朝鮮中央通信)。北朝鮮の「朝米実務協商の主席代表」と自ら名乗った金明吉・巡回大使は、わざわざ談話を発表して、ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)のクビに大喜びだった。

 

 ボルトンは、超強硬派として知られ、対北では「リビア方式」を強く主張していた。経済制裁解除をするには「完全な核放棄」が不可欠と主張して止まなかった。先の米朝首脳会談(2・27~28)で、北朝鮮は核開発の拠点である寧辺の核施設の解体、廃棄を提案したが、米国は寧辺以外の核施設も含めて「全て」を求めた。ボルトンが強く主張したためだ。北朝鮮としては、寧辺廃棄によって制裁解除の突破口にというもくろみは失敗した。まさにボルトンは「厄介者」だ。

 

 そのボルトンが消えた。北朝鮮にとって、こんなうれしいことはない。他国の一高官の解任を大歓迎と公式の談話を発表するというのは異常だ。それだけ、ボルトンが目障りだった。したがって、ボルトンをクビにしたトランプに対する「ヨイショ」は止まらない。「賢明な決断」と言うだけでなく「特有の政治感覚と気質の発現」と手放しだ。

 

 そして、金明吉は「今後の朝米協商」に「期待するとともに、その結果について楽観視している」とまで明言している。要するに、核廃棄を小出しにすれば、トランプは経済制裁の解除を実務者に命令するとみているのだ。北朝鮮がひたすら求めてきた「サラミ戦術」に米国がのってくることを確信したのだろう。

 

戦争をいやがるトランプは怖くない

 

 どうも、もともとトランプは「完全な非核化」をよくわかっていなかった。第1回首脳会談でも、北朝鮮の従来の主張である「朝鮮半島の完全な非核化」という文言をそのまま認めてしまった。この文言には、韓国にかかわる米軍も含めての「非核化」も含まれている。核にかかわる全ての部隊、装備の撤退、核攻撃を可能にする周辺の基地からの核排除、核攻撃が可能な空母、戦略爆撃機も含まれる。要するに米国は朝鮮半島から手を引けということだ。

 

 そして、来年の大統領再選を目指して、トランプは何でもいいから米朝進展の実績が欲しい。北が寧辺を破壊するなら、一定の前進ではないか。また、米国に届くICBM(大陸間弾道ミサイル)開発を進めないならそれでいい。「ボルトンがリビア方式なんて言い出すから、何にも進まない。最悪」というわけだ。

 

 それに、トランプは実は戦争をいやがっていることが知られてしまった。イランが米無人偵察機を撃墜(6・20)した事件で、米政府は報復攻撃を決定する直前まで行ったが、トランプが反対して中止になった。やたらに戦争をして貰っては困るが、意外にもトランプは戦争に対する拒否反応が強いことがわかってしまった。

 

 一昨年までの北朝鮮の核・ミサイル開発・実験に対して、トランプは戦略爆撃機や原子力空母を北朝鮮のすぐ近くまで派遣し、あわや戦争かと思わせるようなきわどい雰囲気をつくった。トランプのことだから、何をするかわからない、本当に攻撃するかもしれない。恐怖感が金正恩・国務委員長を慌てさせた。

 

 その結果、金正恩は実験を中止し、国際社会に向かって「非核化」を明言せざるをえなくなった。その恐怖がなくなったとなれば、金正恩にとって恐れるものはない。あとは、いかにトランプにうまく取り入り、まずは経済制裁を解除させるかだ。それに、ボルトンという最大の障害が消えた。思わず、米朝協議を「楽観」してしまったのだろう。

 

これまで「核放棄」の約束は時間稼ぎ

 

 しかし、これでは1990年代、2000年代の再現だ。第一次核危機。核開発を非難された北朝鮮は核不拡散条約(NPT)から脱退、当時のクリントン大統領は核施設攻撃準備まで指示した。このため金日成主席はあわてて開発凍結を約束し、米朝「枠組み合意」(94・10)が出来た。北が黒鉛炉を停止、日米韓が軽水炉発電所を作り、重油を供給する。実際にこれらの見返りは実行された。ところが、北朝鮮は密かに核開発を続けていた。表沙汰になると、規制されたのはプルトニウムを原料とする核爆弾、濃縮ウランを使う核爆弾は規制外という理屈で、先の合意は紙くずに。

 

 「第二次核危機」である。当時のブッシュ大統領は、北朝鮮を「ならず者国家」と名指した。中国が両国の橋渡し役を担い、「六者協議」を発足させた。ブッシュを恐れていた北朝鮮はこの協議に参加。2年後に共同声明がまとまった(05・9)。北は「全ての核兵器と核計画の放棄」、米国は対北攻撃をせず国交正常化の協議を始めることなどが盛り込まれていた。

 

 しかし、北朝鮮が核開発を停止した形跡はなく、業を煮やした米国は北朝鮮の疑惑資金を取り扱っているマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア」を制裁対象にして、北朝鮮の資金を凍結した。金正日の統治資金や貿易取り引きに使うドルが預けられていた。首根っこを押さえられたに等しい北朝鮮は、強く反発、ついに核実験を強行(06・10)した。

 

 しかし、中国などの説得もあり、六者協議の「合意文書」がまとめられた(07・2)。北朝鮮は「全ての核施設の無力化」を約束、その証拠として寧辺の原子炉のための冷却塔を爆破し、海外メディアに公開した(08・6)。周辺国は重油などのエネルギー源を提供、経済支援も行った。これを受けて、ブッシュは北朝鮮の「テロ支援国家」指定を解除、やがて「バンコ・デルタ」の制裁も解除した。

 

 しかし、いま「第三次核危機」だ。要するに、北朝鮮は何回か国際的な約束、核施設も破壊して見せた。しかし、それらは「時間稼ぎ」の舞台回し。核開発を着々と進め、これまでに6回の核実験を行った。

 

段階的非核化は失敗という教訓

 

 過去の対北交渉の教訓は、方法論としては、段階的な核施設・計画の廃棄に対して、見返りをやるいわゆる「サラミ戦術」は、「北朝鮮の完全な非核化」につながらず「時間稼ぎ」を許すだけということ。そして本質的には、独裁体制守護のため核放棄をするつもりはないことを念頭に置け。この二つがこれまでの対北朝鮮交渉から得た教訓だ。

 

 このため、今回の対北交渉に当たり、トランプ政権のスタッフは、「完全な非核化」を大前提にする交渉を打ち出し、それなしに制裁解除などの見返りは一切しない方針で臨んだ。北朝鮮は北東部の豊渓里にある核実験場の坑道を爆破(18・5・24)。外国メディアにも公開して、非核化の実績を誇示したが、米国は経済制裁を緩めることはしなかった。かつても古い施設の爆破をみて、見返りを出したが、結局、核開発を止めることが出来なかった苦い経験を教訓としてのことだったはずだ……。

 

 北朝鮮外交を解き明かす“教科書”がある。脱北した太永浩・元駐英公使の「北朝鮮外交秘録」だ。北朝鮮外交がしたたかで「うまい」理由について、生き残りをかけているため、強くでざるを得ない、外交官は専門性が重視され、長年同じ部署にいて、「粛正」されないよう鍛錬せざるを得ない、国家指導者は長年にわたり外交安保を担当し「ベテラン」になる……などを上げている。

 

 とにかく、最高指導者も外交官もそれぞれのレベルで自らの「生き残り」をかけているのである。命懸けなのだ。それに対して、日米韓の方はというと、政権は変わる、担当者も異動があり腰が落ち着かない。特に指導者は選挙の洗礼を受けなければならない。再選のために少しでも目に見える成果が欲しいとなれば、足元を見られるのは必至。そのうえ、過去の教訓に目をつぶれば、同じ過ちを繰り返す。

 

利用価値がなければ知らん顔

 

 「体感できる平和が実現した」(9・19)。韓国大統領府と政府は、「9・19南北共同宣言」から1年にあたり、その意味を強調した。記念式典を行ったが、内輪のささやかなものに終わった。相手の北朝鮮は一切の反応なしというのだから締まらない。韓国も北朝鮮に振り回されている。

 

 それにしても、一年前は華々しかった。昨年4月には南北首脳が板門店で、ハグし合って軍事境界線をまたいで南北を行ったり来たり。「板門店は平和の象徴」(文在寅大統領)、「新たな歴史の出発点に」(金正恩委員長)と、興奮気味だった。そして、板門店宣言では「完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現する」と明記した。

 

 9月には、文在寅が平壌を訪問、大歓迎された。共同宣言で、北朝鮮は「米国が相応の措置をとれば、寧辺核施設の永久破棄の用意がある」と述べた。そして、南北はさまざまな分野での交流を進めることになった。この結果、板門店や軍事境界線付近の哨戒所は撤去され、開城には連絡事務所が置かれた。緊張は大分緩和したはずだ。

 

 しかし、南北交流は全く進まず、連絡事務所は開店休業、韓国側の意欲だけが空回りしている。理由は、韓国が経済制裁のために経済援助などカネの絡む北朝鮮の要求に応じないからだ。北朝鮮は、開城工業団地や金剛山観光の再開をいち早く求めた。かつてドル箱だったからだ。文在寅は応じる気でいたが、米国が抑えた。制裁に抵触するからだ。

 

 韓国から何も得るものがないとわかった北朝鮮は、経済に直接かかわらない分野の交流も拒否している。カネをくれない韓国と付き合う必要はない。いかに文在寅が対北融和派であっても同じだ。反対に、あくまでも利用する。米韓合同軍事演習は大幅に縮小されたが、北朝鮮は図上訓練にもいちゃもんを付ける。また、すでに米韓で合意したF35の導入は目の仇の如く反発している。在韓米軍撤退まで引かない。

 

北朝鮮の望むようにが「民族同士」

 

 太永浩は、かつて金正日・総書記が最大の脅威を感じる米国を協議の場に引っ張り出すため、南北首脳会談を利用したと言っている。今回も、全く同じだ。文在寅がトランプとの橋渡しをして、米朝首脳会談が実現するとみて、一時韓国にサービスをしたのである。いまや、トランプは金正恩を気に入ってくれている。直接手紙のやりとりも出来る。独自の制裁も緩めない韓国は邪魔なだけだ。

 

 また、金正恩はソウル訪問を約束したが、未だ実現しない。金大中が平壌へ行って初めて南北首脳会談をした際(2000・6)も、金正日はソウル訪問を約束したが、やはり行かなかった。他の外国首脳からいつ答訪するのかと聞かれた金正日は、「もう少し関係が進展したら行く」と答えた。しかし、側近には「私がまだソウルに行くと思っているのか。なんと愚かな」。太永浩は「金正日の二枚舌」という。

 

 もう一つ、南北関係で面白かったのは北朝鮮がよく使う「わが民族同士」という言葉の定義である。金正日は「金大中は民族同士で統一問題を解決しようと言っていたのに、最近はしょっちゅう相互主義を持ち出してくる」と文句を言った。南北は特殊な関係で相互主義というなら統一は出来ないのだそうだ。要するに、北が何か欲しいと言ったら素直に受け入れる、北の言いなりにしろということだろう。独裁体制維持のために利用できるものは何でも利用する。北朝鮮の基本の一つだ。

 

 文在寅政権は、軍事境界線付近の緊張緩和を成果のように言うが、北朝鮮はこのところ、短距離ミサイル、多弾道ロケットの発射実験を繰り返している。レーダーに捕捉されない飛ばせ方など性能を向上させている。いずれも韓国は射程内だ。韓国の安全はむしろ脅かされているのである。

 

 太永浩は、いま韓国の政府関連機関に勤めている。もちろんこの本も韓国で出版された。しかし、対北融和路線を突っ走る現政権の目には入らないのか。かつての南北関係失敗の教訓がもったいない。

 

核があるから米が相手をする

 

 北朝鮮や文政権からは、ここ2、3週間内の米朝実務協議の開始という観測がでている。トランプは「(首脳)会談が行われる前に多くのことを知ることが出来る」(9・23)と期待する。しかし、トランプが成果を急げば、足元をすくわれるのは間違いない。幸い、国連安保理による制裁について、今のところ緩和されていない。失敗を繰り返さないためにはじっくり取り組む必要がある。

 

 繰り返すが、金正恩は核を独裁体制の“守護神”と位置づけており、同時に、核があってこそ、米国を交渉の席に引っ張り出すことが出来る。南北関係でも有利に進めることができる。外交全般において自らの要求を貫くことが出来るのである。核がなければ、誰も最貧国を相手にはしない。金正恩はよく知っている。それ故に、核開発のためにあらゆる策を弄してきた。周辺国はこのことを忘れてはならない。

 

 ただ、金正恩もあせっている。「強盛大国」の軸を核などの軍事強国から経済強国に移すと宣言、「人民生活向上」を約束した。具体的には、「国家経済発展5カ年戦略目標」(2016~2020)を発表して、経済立て直しを最重要目標に掲げている来年までに経済成長率8%が目標だ。周辺国の経済協力、援助なしにはとうてい不可能だ。北朝鮮が国内向けに「自立更生」を繰り返し呼びかけるのは、苦しさの裏返しだ。

 

早い成果を望めば、北の思うつぼ

 

 昨年の第1回米朝首脳会談の前後には、貿易関係者だけでなく人々の間でも制裁が解除され、経済がよくなるという期待が高まった。年内にそのきっかけを作りたい。頼るのはトランプだ。金桂寛・外務省顧問までわざわざ談話を発表(9・27)、トランプの北朝鮮に対するアプローチ法は「過去の米大統領とは異なり大胆な政治的決断力」と重ねておだてあげ、「今後、トランプ大統領の賢明な選択と英断に期待したい」と強調した。およそ、他人を褒めることなどない北朝鮮としては異例なことだ。必死さがよくわかる。

 

 それに、今年も自然災害は北朝鮮を襲った。干害と思ったら、台風13号が上陸(9・7)、風水害で米などに大きな被害が出た。それだけでなく、伝染力の強い「アフリカ豚コレラ」が平安北道を中心に蔓延、ある地域では全滅という情報もある。経済立て直しは急務なのだ。

 

 トランプは、ここでじっくり「北朝鮮の完全な非核化」に取り組むことが出来るか。年内に成果を、ましてノーベル平和賞もなどと功をあせると、足元を見られる。ここは我慢のしどころだ。しかし、それがトランプに通じるか。急げば、「いつか来た失敗の道」をたどることになる。

 

更新日:2022年6月24日