なぜ金正恩が喜ぶことを

(2019.8.30)岡林弘志

 

 金正恩・北朝鮮国務委員長の笑いが止まらない。対北圧力の有力な輪の一部が壊れようとしているからだ。北朝鮮がミサイルを連発している最中に、韓国は、日韓を安全保障の面で結びつけていた軍事情報協定を破棄した。今回、歴史問題に端を発した日韓対立は募るばかりだ。中国もロシアもほくそ笑んでいる。日韓の政治指導者には、北東アジアの戦略的利害が見えていないのか。北朝鮮の「非核化」がかすんで見える。

 

金正恩、祝砲ぶっ放し大笑い

 

 「敵対勢力を粉砕する戦略・戦術兵器を強く押し進める」(8・25)。金正恩は、「新たな超大型放射砲(多連装ロケット)」の試験射撃を指導して、意気揚々だ。朝鮮中央通信は、13枚の写真を送信したが、このうち、5枚は金正恩が顔中で笑っている。特に昇り行くロケットを見上げる写真では、大口を開けて笑いが止まらない様子だ。高笑いが響いてくる。

 

 北朝鮮は、7月末から連続して短距離ミサイルを発射、ちょうど一ヶ月の間に7発。おおむね4・5日に1回の頻度だ。当初は、米国に対するいらだちだった。直接の動機は、米朝の交渉が続いているのに、何故、米韓合同軍事演習(8・5~20)かというわけだ。米韓は、米朝首脳会談以来、大型の演習を中止した。今回は、米韓は規模を大幅に縮小した防衛を想定した図上演習と言っている。

 

 しかし北朝鮮は、米韓演習そのものを「例外なく我々に対する不意の先制攻撃を想定した侵略戦争」(8・6外務省談話)が目的と主張。さらに我慢ならないのは、F35Aステルス戦闘機、高高度偵察無人機グローバルホールの韓国導入、米戦略空母オクラホマ・シティの釜山入港だ。「我々を引き続き敵と見なすという立場に変わりはない」というわけだ。

 

 確かに、F35Aの2機はすでに韓国へ到着(8・21)、年内に13機、20年代半ばまでに40機を導入する計画だ。グローバルホールも年内に4機導入するという。無人偵察機の情報に基づき、レーダーにとらえられないで、平壌上空に飛んでくるステルス戦闘機は、北朝鮮にとっては非常な脅威だ。当初は米国に対して、米朝首脳会談違反と非難していたが、後半は導入する側の韓国への非難も重なり、「南朝鮮当局者とはこれ以上、話すことも対座する考えもない」(8・16、北朝鮮祖国平和統一委員会)とまで言い出した。

 

 ただ奇妙なことに、この間、金正恩はトランプ米大統領に親書を送った(8・9)。トランプによると「とても美しく前向きな手紙」であり、「米朝演習の終了後にすぐ米朝実務協議を始めたいと書かれていた」と言う。なんとか、トランプの独断で、経済制裁を緩めて欲しいという思惑からだろう。

 

 余談だが、この二人の中は何とも奇妙だ。何にでも文句を付けたがるトランプが一連の北のミサイル発射では「我々は短距離ミサイルは制限していない」「彼はミサイル実験が好きだ」「(書簡の中で)少し謝った」などと平然としている。金正恩もトランプの悪口は一切言わないし、部下やメディアにも言わせない。トランプは同盟国の首脳とより金正恩の方がウマが合うのか。

 

 しかし、ポンペオ米国務長官が「米国は最強力な制裁を維持し、北指導部を説得する」と発言すると、李容浩・北朝鮮外相は談話を発表(8・23)、「米国が対決姿勢を捨てず、制裁を続けるのは考え違いだ」「こうした人物と会っても、何の問題も解決出来ない」と非難した。

 

 そして、米韓演習が終わってもミサイル発射は止まらなかった。わずか5日後に再び発射。米国が態度を変えないことへの抗議、金正恩が最もいやがるF35Aの韓国導入も念頭にあるのか。それ以上に、この7回目の発射は、対立を深める日韓関係への揺さぶり、祝砲も兼ねてのことだろう。金正恩にとっては離間策を弄さなくとも、勝手に離間してくれるのだから、これほど喜ばしいことはない。

 

文政権は複合的な反日に

 

 「こうした状況で、敏感な軍事情報交流のような協定を続けることは国益に合わない」(8・22)。韓国政府は、国家安全保障会議を開き、「日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の破棄を決め、翌日日本へ通告した。日本が輸出優遇国から韓国を外したことの報復だ。今回のゴタゴタは、韓国人の元徴用工に賠償を払えという韓国最高裁の判決(2018・10・30)から始まった。

 

 これに対して、日本は植民地時代の賠償は、国交正常時(1965)の日韓請求権協定で、請求権問題は「完全かつ最終的に解決されることとなる」(第2条)と明記してある通りという姿勢だ。しかし、国民感情も考慮して、慰安婦の問題では、「アジア女性基金」(1995)を設立して償い金を支給。前の朴槿恵政権時には、日本の拠出金によって「和解・癒し財団」(2015)を作り、安倍首相が「心からのお詫びと反省」を表明した。

 

 しかし、文在寅大統領に代替わり、これらの合意は前政権時代の遺物、カネだけで解決にならないなど、反日志向を露わにし、ついにご破算にしてしまった(18・11)。財団設立の日韓合意では「最終的かつ不可逆的解決」とうたったが、こうした外交上の約束も反故だ。外交上の約束が政権交代で破棄されるなら、外交は成り立たない。

 

 それに続いての徴用工の賠償問題。歴代の多くの政権は、日韓請求権協定などに基づいて、すでに日本への請求権は解決済み、必要なら韓国政府が補償するという対応をとってきた。しかし、文政権では「個人の賠償要求は請求権協定に規制されない」「最高裁の判決は、三権分立のうえから尊重する」などと、日本企業へ賠償支払いを求めている。

 

 どうも、文政権の対応を見ていると、過激な学生運動の延長のような錯覚を覚える。周囲の情勢がどうであれ、結果はどうなろうと、正しいのは自分たちだ。理屈のうえでは論争しても負けないぞ。ごちゃごちゃ言うヤツは日和見主義、変節漢だ。文句あるか。学生運動にはもともと「反日原理主義」が強い。文政権のスタッフの半数は運動圏出身だ。

 

 しかし、国家の運営はそう簡単ではない。国内のさまざまな利害得失の調整だけでなく、近隣諸国との関係においても巧妙な舵取りが求められる。100%自分の言い分が通ることはない。調整、妥協が必要だ。何よりも、国民を食わせていかなければならない。国家を成り立たせていかなければならない。しかし、文政権は「反日」となると、柔軟性が失われ、突っ走る。現状はそんな印象を受ける。

 

 もう一つ、韓国の悪弊の一つ、「苦しいときの『反日』頼み」だ。今回も、文在寅の側近を次期法相に起用しようとしたが、娘の高麗大学不正入学、疑惑の資産運用などが発覚、大揺れに揺れている。また、看板の「南北融和」は完全に北朝鮮にそっぽを向かれ、むしろ後退。支持率は下がり、不支持率が初めて5割を上回った。政権の危機だ。ここは国益はともかく、反日を前面に出して政権浮揚を図らざるをえない。いわば「複合反日」になってしまった。

 

トランプは調整役に「頼まれれば」

 

 これに対して、安倍政権は「理は我にあり」と強硬だ。まずは半導体などの製造に必要な材料3品目の対韓輸出規制を強化した(7・4発動)。政府は、「純粋に経済問題」と言うが、タイミングのうえからも、報復としかとれない。歴史問題は経済分野にエスカレート。

 

 さらには、安全保障上の輸出管理で優遇措置をとっている「ホワイト国」から韓国を除外(8・28)した。これに対して、文政権は、安全保障上信用が出来ないと同じことと、両国信頼のシンボルとでも言うべき「GSOMIA」破棄にまでエスカレートしてしまった。かくして、日韓関係は国交正常化から半世紀以上が過ぎたが、最悪となってしまった。

 

 もともと、安倍政権と文在寅政権とは、相性がよくないようだ。安倍は「過去への謝罪は私たちの代で終わりにしたい」と述べたこともある。いつまでも頭を下げるのはたまらない。また、過去の否定は自虐史観という取り巻きも多い。それに、ネットでは「嫌韓」「厭韓」が行き交う。妥協や話し合いは弱腰の非難が集中する。柔軟な対応は難しくなっているし、やる気もなさそうだ。

 

 「文政権がGSOMIAの延長を拒否したことに強い懸念と失望を表明する」(8・22)。米国の国防総省、国務省は一斉に韓国政府への非難を明らかにした。米国にとって、日韓の対立は、アジアのプレゼンスを維持するうえで大きなマイナスだ。日米、米韓はそれぞれ安全保障上の条約を結んでいる。日韓をつなぐのがGSOMIAだ。三角連携の一角が崩れることになる。

 

 日韓は、これまで歴史問題、竹島問題などでたびたび確執を繰り返してきた。その度に、米国が仲介役になり、双方を説得して、手を結ばせてきた。今回も、韓国に対して水面下で破棄しないようさまざまな働きかけが行われた。日本に対しても話し合いをするよう求めたが、応じなかった。ポンペオ国務長官は北京での国際会議を利用して、日韓外相会談を取り持ち、仲介の労を執った。しかし、無駄骨だった。

 

 米国には、かつてのように圧力をかけてでもという迫力がなかった。親玉のトランプが「両首脳から頼まれれば」と、消極的だったせいもあるだろう。トランプには、繰り返しているように日韓は米国の軍隊を安く駐留させている点ではけしからん国だ。むしろ両国は連携しない方が駐留費を上げさせる「ディール」のためには好都合。とでも考えているのか。手をこまねいていた。

 

日韓は対立している場合ではない

 

 かつて「トランプ以前」、外交に経済や安保を絡めるのは「禁じ手」だった。しかし、超大国が今や「自国第1主義」、経済的利益を守るためには国際的なルールも無視する。そんななかで、日韓の歴史問題は、あっという間に経済、安保にまでエスカレートして、とどまる気配はない。「自国第一主義」が蔓延している。

 

 しかし、いまの北東アジアを見回すと、北朝鮮は相変わらず核・ミサイル開発を進め、中国は経済・軍事、領土などあらゆる面で覇権を求めつつある。日韓の領土、領海、経済水域、防空識別圏などの一部も危機にさらされている。日韓が頼みとする米国は、繰り返すが「自国第一主義」だ。

 

 その間隙を突くように、中国軍とロシア軍の合同演習のなかで、爆撃機4機を竹島や対馬の領空や防空識別圏に侵入させた(7.23)。ロシアは、中ロが共同警戒監視活動を行ったと発表した。この空域では初めてだ。竹島は日韓が最も激しく領有権を争う島だ。対立をさらに刺激しようというのか。周辺国は虎視眈々と人の弱みにつけ込んで権益を広げようと狙う。えげつないのだ。

 

 かつて価値観を共有すると言ってきた日韓にとってゆゆしきことだ。こうした北東アジア情勢の中で生き抜いて行くには、日韓の連携は不可欠。けんかをしている場合ではないだろう。北東アジアの戦略を考慮すれば、両国にとって大きな損失だ。

 

 また、日韓の経済や交流にも影響が出ている。両国の経済のつながりは多岐多様だ。片方が輸入輸出を制限すれば、その悪影響はひるがえって自らにも及ぶ。観光は双方の大きな収入源の一つだ。すでに先細りだ。民間交流にもブレーキがかかっている。外交・政治の対立が関係全体に悪影響を及ぼす。政治家の責任は大きい。

 

「未来指向の日韓」は歴史的出来事か

 

 無い物ねだりになるか。かつては、地域戦略上の得失を最優先にして、双方の顔を立て、矛を収めさせるような方策を探り出し、手を結ばせる。そんな政治家がいた。かつてないいい関係と言われた時代もあった。「未来指向の日韓関係」などと言われた時代もあった。やれば出来たのである。今は、自分がいかに正しいかのアリバイ証明に懸命で、取り巻く周辺情勢に対する配慮が出来なくなっている。

 

 GSOMIAは11月まで有効だ。その間に両国の関係が修復されるのが望ましいが、果たしてどうなるか。その間にも、金正恩は人々に食わせることを二の次三の次にして、笑いながら核保有国として存在を増していく。

 

更新日:2022年6月24日