白昼夢だったのか

(2018.7.18)岡林弘志

 

 「歴史的」と銘打ったはずの米朝首脳会談から1カ月。トランプ米大統領は、大はしゃぎだったが、肝心の「非核化」は全く進展なし。会っただけで、舞い上がっていたのかと皮肉を言いたくなるほどだ。金正恩労働党委員長の方は、大舞台に登場して、米国からの軍事攻撃を回避し、国内での権威付けはばっちり。してやったりとも見えるが、このままで先の展望が開けたとも思えない。米朝の攻防はこれからだ。

 

「米国は強盗さながらの要求だけ」

 

 「米国側は、シンガポール会談の精神に背馳してCVIDだの、申告、検証だのと言って、一方的で強盗さながらの非核化要求だけを持ち出した」(7・7)。北朝鮮外務省は、首脳会談後初めての高官協議(7・6~7平壌)についてのコメントを異例の早さで発表し、口汚い表現を使いながら、「極めて憂慮すべき」と非難した。

 

 鳴り物入りの史上初の米朝首脳会談(6・12)だったが、この談話でよくわかるように、1カ月が過ぎても、議題の中心だった「非核化」については何も進んでいない。むしろ、こじれていることがよくわかる。

 

 朝鮮の言い分は、高官協議で、首脳会談の内容に沿って「米朝関係改善と朝鮮半島の平和構築」のため誠実な提案をしたのに、米国は「非核化」だけを主張しているということらしい。具体的に、北朝鮮が持ち出したのは、①朝鮮戦争停戦65周年を契機に終戦宣言発表②ICBM生産中断のための大出力エンジン試験場の廃棄③米軍遺骨発掘のための実務協議開始――だったという。

 

 ところが、米国は「CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)」だけを求めた。けしからんというわけだ。そのうえ、米側は当面の米韓合同軍事演習の一時的取り消しで譲歩したというが、「すべての兵力はそのまま」、いつでも再開できる「可逆的」な措置だと皮肉っている。

 

 北朝鮮にとって、米韓演習中止は大歓迎のはずだったが、ここへ来て「子供だまし」のようなものと言わんばかりだ。トランプが、「米韓演習は高く付く。本当はやりたくない」というのを聞いて、中止はむしろトランプのためになった、こちらがわざわざありがたがる必要はないと判断したのだろう。かつて金正恩が戦略爆撃機や原子力空母の参加をどれほど怖がっていたかは、棚に上げて。

 

トランプは与しやすし

 

 話を元に戻すと、北朝鮮が描いているのは「信頼構築を先行させ、段階的に同時行動の原則に基づいて一つずつ解決していく」(外務省談話)方法だ。かつて、北朝鮮が特異とする「サラミ戦術」だ。譲歩を小分けして、ある程度代償をとったところで、交渉を打ち切る。周辺国が煮え湯を飲まされたテクニックである。

 

 そして、罵詈雑言を相手に浴びせる。そして、じらす。すでに、米側が米兵の遺骨返還のための協議をしよう(7・12)と通告して、担当者が板門店まで出向いたが、北朝鮮は欠席。その代わり北の提案により15日に行われた。こんなことで主導権をとれるとも思わないが、北朝鮮のいつもの手だ。トランプは、首脳会談直後に「遺骨は帰ってきた」と喜んだが、棺桶は板門店で遺骨を待っている。

 

 「いつか来た道」のような感もするが、今回少し違うのは、声明でトランプの悪口を言っていないことだ。シンガポール会談で「貴重な合意」をしたのは「トランプ大統領自身が朝米関係、非核化を新しい方式で解決しようと言ったから」であり、「我々はトランプ大統領に対する信頼心をそのまま持っている」からだ。

 

 そして、金正恩は高官協議の代表を通じて、トランプに「書簡」を送った。ここでも、「私たちが署名した共同声明は、意義深い旅路の始まりだった」と高く評価し、「私と大統領閣下の強い意志と誠実な努力、比類なき手法は必ず結実すると、固く信じている」、トランプへの信頼は不変であることを強調している。

 

 これからについては「実質的なプロセスを通じて、大統領への信頼がさらに強まることを願う」と、注文をつけた。要するに、あんたへの信頼を損なわないよう、むしろ強まるような措置をちゃんとやれということだ。「停戦協定」「平和協定」などのことを指しているのか。ただ、この書簡には肝心の「非核化」という言葉は出てこない。

 

 どうも、北朝鮮はトランプを与しやすしと見ているのではないか。最大の原因は首脳会談そのものにある。米国が固執していた「CVID」の文言が、北朝鮮の反対で入らなかったことに象徴される。「朝鮮半島の完全な非核化」という抽象的な表現になり、非核化の期限や検証についても何の言及もない。反対に、北朝鮮が求め続けてきた「安全の保証」は、明文化された。そして「対話継続中は米韓演習を中止する」と約束した。

 

功を焦りすぎた結果か

 

 トランプは「時間が限られていた」と言い訳をしたが、「史上初」に名誉心をくすぐられ、「イヨーッ、ノーベル賞!」という取り巻きのかけ声にいい気になり、会談をやること自体が目的になってしまったのか。世界一取り扱いがやっかいといわれる北朝鮮の「ロケットマン」を国際舞台に引っ張り出したことで有頂天になったとしか思えない。

 

 首脳会談の後の記者会見でも、気分が高ぶるままにしゃべり続けた。その後も当時の感慨に浸ったままなのか、「金正恩委員長は、我々の署名した契約書を尊重すると確信している。我々は握手をしたのだ」(7・9)。また、金正恩書簡を公表した際は「金委員長からの素晴らしい手紙だ。大きな進展が図られている」(7・12)と、自画自賛が止まらない。

 

 しかし、「非核化」には、検証も含めた日程表の作成が欠かせない。一朝一夕で、施設を爆破しておしまいとは行かない。まして、北朝鮮はかつて検証逃れのために地下施設を数え切れないほど造ってきた。つい最近、米国の外交専門紙は平壌郊外のカンソンに秘密のウラン濃縮世説があるようだと報じた。実務者による地道で緻密な作業が欠かせない。その面から見ると「共同声明」は、ずさんだった。

 

 確かに、トランプでなければ、この首脳会談は開かれなかったに違いない。しかし、功を焦りすぎた。実よりも名をあげることに偏ってしまった。その軽薄さが、その後の進展のなさにつながっている。

 

利権のカゲがちらちらする

 

 もう一つ、気になるのは米朝首脳会談に、トランプの好きな「ディール」、言葉通りの商売、取り引きの影がちらつくことだ。別の表現をすれば利権がらみである。複数の米国紙が今回の会談にまつわる米実業家の動きを報じている。一人は、シンガポール在住の投資家ガブリエル・シュルツ氏。昨年夏、米朝関係改善、米朝首脳会談をやりたいという北朝鮮の意向を受けて、トランプの娘婿、クシュナー上級顧問に伝えた。

 

 これが、トランプを動かし、首脳会談実現に至る大きな要因になったという。北朝鮮は、米韓演習などトランプの軍事力を誇示に危機を感じ、昨年中頃から米朝関係改善を模索し始めた。しかし、従来の外交ルート、米国国務省との接触では首脳同士の対話までは行かないと判断、トランプにもっとも影響力のある身内のクシュナーに目を付け、シュルツとの関係が深いことから、斡旋を依頼したようだ。ことによると、シュルツの方が売り込んだのかもしれない。

 

 シュルツは、鉱山開発などで億万長者になった一族の子孫で、本人もアフリカ、アジアの低開発国でリスクの高いビジネスに投資をしている。実業家だった時のトランプがアジアでのビジネスを探していた時、関係があった。北朝鮮においても、シュルツは経済制裁が厳しくなった2016年まで鉱山関係などいくつかの事業を進め、何回も訪朝して人脈をつくっていた。レアメタルなどが豊富な北朝鮮は、未開拓の地域として魅力がある。経済制裁が解ければ、北朝鮮とのかねてのつながりを活かした大きなビジネスチャンスがある。

 

 もう一人は、トランプへの巨額の政治献金などで知られる有力な支持者で、カジノ王といわれるシェルドン・アデルソン氏。米国ユダヤ人社会のリーダーと言われ、金正恩がシンガポールで訪れたマリーナ・ベイ・サンズを経営している。何らかの関わりがあるのだろう。カジノ王としては、北朝鮮へのカジノ進出はこれからの計画に入っているだろう。

 

 シンガポールが首脳会談の舞台に選ばれたのは、米朝両国と国交があり、友好関係を保っている、これまでも米朝接触がおこなわれた、平壌から北朝鮮機で飛行可能(実際は中国機を使った)などの理由が揚げられた。しかし、その裏では、トランプを取り巻く実業家達の暗躍もチラチラする。

 

 「北朝鮮は素晴らしい可能性を持っている」。トランプは、首脳会談の際、金正恩に4分間の映像を送った。同じものがその後の記者会見の際も映し出された。未開発の北の現状と開発されればいかに素晴らしい国土に変わるかをCGを使って描いたものだ。何の施設もない海岸の風景の場面では「不動産という視点から考えたらどうか」とつぶやいたという。

 

 トランプの頭の中にも投資という観点からの関心があるのだろう。北朝鮮での利権は念頭にあるようだ。米国人実業家の北朝鮮への進出がかなえば、トランプに対する献金はさらに増え、支持の度合いは高くなる。計算高いトランプにとって、米朝関係の改善は、この面からも好ましいことだ。ただ、ここへの関心が高くなれば、「非核化」の比重は軽くなる。いい加減なところで妥協となっては、北朝鮮隣接国としてはゆゆしいことだ。

 

制裁のカギを握る中国と貿易戦争とは

 

 「北朝鮮からの輸入、前年比88%減」(7・13)――。中国税関総局が発表した今年上半期の中朝貿易の統計だ。特に6月は92.6%減だったという。北朝鮮にとって、中国は貿易の9割を占めると言われる。外貨不足は致命的だ。制裁は北朝鮮に大きな打撃を与えている。「非核化」に進展がなければ、当然、経済制裁は続けなければならない。

 

 国連制裁は2006年から続いているが、制裁の実が上がったのはここ1、2年。抜け穴だった中国が本気になったからだ。度を超した核ミサイル開発が中国の安全保障にも深刻な影響を与えはじめ、同時にトランプが不均衡な通商などを理由に中国に圧力をかけたことが大きい。要するに、対北制裁は中国の協力なしにはうまく作動しないのである。中国は「非核化」の大きなカギを握っている。

 

 ところが、ここへ来て、トランプは中国との間に騒動のタネを蒔いた。中国空のハイテク製品などへの制裁関税を課し(7・6)、やがて全製品を制裁関税の対象にする。当然、中国も報復関税を言明、世界第一、第二の経済大国による貿易戦争の始まりだ。こうした両国関係をにらみながら、すでに北朝鮮に隣接する中国東北部では、商売人が北朝鮮との商売を当て込んで、活発に動き始めた。関連の不動産も値上がりしているという。制裁決議はそのままでも、中国の取り締まりが緩くなることを見越してのことだ。

 

 米朝会談を前後して、金正恩は中国参りを繰り返し、習近平主席全面的に頼る姿勢を見せた。習近平も「ウイヤツじゃ」と思ったらしく、兄貴分らしく振る舞い、金正恩の後ろ盾になっている。朝鮮半島は中国の安全保障に大きくかかわる。中国としては新しい動きに深く関与して国益を守らなければならない。

 

 「中国は我々の貿易政策を理由に(米朝の)取り引きにネガティブな圧力をかけているかもしてない」(7・9)。トランプが自らつぶやいて認めたように、米朝貿易摩擦は「非核化」交渉にマイナスの影響を及ぼす。中国の制裁が緩んで、しばらくは米韓軍事演習もないとなれば、北朝鮮が「非核化」を急ぐ必要はなくなる。こんな時に、米中が角突き合わせてどうする。

 

「材料、賃金、労力をやたらつぎ込み、何だ!!」

 

 「手入れもしない馬小屋のような古い建物で、試験生産をしようとしている」「支配人らが責任を押し付け合い、正確に回答もできない」――。米朝首脳会談からしばらくして、金正恩は中朝国境の新義州周辺を経済視察(6・30~7・2)、工場などの責任者を厳しくしかり飛ばした。朝鮮中央通信は、笑顔で視察する写真を付けて、配信した。日本語のホームページには叱責の部分はないが、朝鮮語では報じている。

 

 視察は、鴨緑江河口の繊維原料にする葦の生産地である平安北道新島、新義州の化学繊維工場、紡績工場、化粧品工場、それに大豆を生産する人民軍部隊など、精力的に行われた。この時期、わざわざ中朝国境のこの地を視察したのは、中国や自国民に向けて、経済立て直しに本気で取り組む姿勢をアピールする狙いがあるだろう。

 

 ところが、生産の現地へ出向いてみると、現状はお粗末極まりない。紡績工場では「科学技術に基づいて、生産正常化を図らず、材料、賃金、労力をやたらに注ぎ込み、設備、機器の全面稼働も達成されていない」。報道からは、金正恩がいかなる口調で叱責したか不明だが、例のだみ声で怒鳴り散らしたかもしれない。責任者は命が縮む思いだ。

 

 続いて、咸鏡北道の野菜温室農場、カバン工場などを見学した。このうち、漁郎川発電所の建設現場では、工事が遅れていることについて「内閣の活動家達が(咸鏡北)道に任せきりで、全く関心を持っていない」「けしからんのは完成式にはぬけぬけと顔を出すことだ」と激怒した。そして、来年10月10日までに完成させると命令した。

 

 金正恩が現地視察をしようという事業体だから、おそらく地域ではいい方に違いない。それでもこの程度だ。しかし、工場が正常に稼働しないのは、金正恩に責任がある。核ミサイルのためにカネとモノ、優秀な人材を無制限につぎ込んできたツケだ。北朝鮮の工場の稼働率1割と言われて、すでに数十年も経つ。それなのに、民生経済をおろそかにして、軍事と領袖神格化事業を偏重する国家運営をしてきた。

 

 工場の責任者や担当省庁からすれば、「あんたにだけは言われたくない」だ。もちろん、そんなことを言ったら、直ちに打ち首。考えることすら恐ろしいのが北朝鮮だ。自分の責任を棚に上げて、怒って経済がよくなるわけではないが、「将軍様」が民生経済のお粗末さを知るのは必要なことだ。

 

金正恩の経済再生の本気度は?

 

 金正恩は、民生経済の立て直しにかなりやる気を出しているのだろう。訪中では、「両国関係は古今東西に類のない特別の関係に発展していく」(6・19)と、冗談かと思うほど大げさな表現で、関係改善が進んでいることを誇示、経済再生についての協力を依頼した。また、北京市郊外の最新技術を取り入れた農業研究施設や交通管制センターを視察した。経済協力の具体策を協議するため、対外経済省次官を訪中させた(7・2)。

 

 しかし、中国を味方に付けても、制裁がこのままでは、限界がある。原油などの海上での密貿易(瀬取り)も時々発覚するが、こうした商売で喜ぶのは「トンジュ」と言われるブローカーや商売人、それに群がる党や軍の幹部だけ。北朝鮮経済の立て直しに害にはなっても、プラスにはならない。

 

 中国はかねて「改革と開放」を求めてきた。周辺国もそうだ。そうでなければ、経済の立て直しは不可能だからだ。そして、インフラ整備、基幹産業の育成。発展途上国が必ず通らなければならない道である。それには資金、資材、技術など周辺国の協力が不可欠なのは言うまでもない。その大前提が北朝鮮の「非核化-国連経済制裁の解除」である。

 

 北朝鮮が、いつもの悪い癖を出して、交渉をぬらりくらりとやるのは勝手だが、それでは肝心の制裁解除は進まない。中国の抜け道見逃し程度では、生き残ることはできても経済再生とまでは行かない。そこを金正恩がどう考えるかである。

 

米中間選挙を前に成果が必要

 

 おそらく、実務レベルで協議を重ねても「非核化」は簡単には進まない。北朝鮮では「神御一人」がこうやれと言わなければ、それ以外の人間が妥協することはできないからだ。従って、いまの進展のなさは、金正恩の指示によるものだ。米国の下っ端は小うるさいことばかり言う。トランプだったら、もっと物わかりよく、こっちの言うことを聞くはず。と思っているのかもしれない。

 

 トランプは、いつまでも「大きな進展があった」とつぶやいてもいられないだろう。秋の中間選挙(11・6)を考えれば、このままではトランプ陣営に有利な材料にはならない。米ロ首脳会談も開かれた(7・16)が、もちろん成果はない。米朝関係で実績を示さなければならない。ここ2,3カ月のうちに「非核化」の具体的な成果が必要だ。

 

 北朝鮮は、そこをにらんで、「停戦協定」などの実を得ようとするか。はたまた、「非核化」で何らかの具体策を飲んで、トランプに恩を売る手もある。いずれにしても、足元を見られている。予測不能のトランプではあるが、いかなる形にせよ、首脳会談が白昼夢ではなかったことを証明する必要がある。何か手を打たなければならない。暑い夏だ。

 

更新日:2022年6月24日